2008年1月30日 (水)

経験不足

Img_2718 モロンに行って初めてマヌエルとぺぺとやった時のビデオを見て如何に自分が経験不足かというのが如実に見えて、何だか嫌気がさした。けれど嬉しくって舞い上がっているのもまた解るんだ。これを見るととマヌエルの弾き方が俺と全然違うのに気付かされる。彼の手の一振りがもうすでに違ってるのだ。首の振り方一つでもうフラメンコギター弾きなんだよな。あぁいう風に弾きたいなぁ。カッコだけでも真似したいけど、あれは真似したら駄目なんだろうな。自然にああいう風に弾けるようになんなくちゃ。プロのアーテストからみたら全然駄目かも知れないけど、俺はあぁいう風に弾けるようになりたい。あぁいう風にカンテを感じて弾いてみたい。テクニックの上手い下手じゃないんだな。モロンに住んだらあんな風に弾けるようになるんだろうか?しかし凄い時間を過ごしたんだなぁ!モロンに行ってすぐだもんな。

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2008年1月24日 (木)

恥ずかしかったな

Img_2407 ようやく念願の8mmのビデオプレイヤーを購入できたので、去年のアンダルシア道中記のビデオをDVDに変換できるようになった。最初にしたのはモロンのガジョでのカンカニージャとモジャのコンサートの模様だった。いわば隠し撮りに近いもので、大勢の人のいる小さいペーニャでは時々頭だけ写っていたりしたけど、まぁまぁの出来かな?。ビックリしたのはウトレラの第1夜のタイトルがあって何だろと思ってみたらバルでのやり取りが全部写っていた。(道中記参照)知らないうちにカミさんが撮ったらしい。いやぁ見ていて冷や汗を掻いてしまった。記憶ではちゃんと弾いた気がしたんだがそれは都合よく覚えていただけで酷いものだったなぁ。見ていて恥かしくなっちまった。それでも楽しく弾いていて皆も喜んでるみたいだけど、所々ずれていて、カンテはおかまいなしに唄っていて、いやぁシッチャカメッチャカだったんだなぁ。もっと冷静にならんとあかんな。それでも仲良くしてくれていたんだなぁ改めて嬉しくなってしまった。よくこんな中に入っていったなと我ながら感心じゃなくてあきれてしまったけど。やっぱりコンパスと冷静さが必要だ。あぁぁ疲れたな。明日から仕事モードにはいらねば。

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2007年3月20日 (火)

これですむとは思っちゃいなかった。。

3月6~7日(水)曇り 26日目 マドリッド~東京
AM6:30オスタルを出たところでタクシーに乗って空港に着いたらまだKLMの受付は開いていなくて、場所も解からずウロウロしてしまった。7:50受付開始で10:30出発なので随分時間が余ってしまって、コーヒーを飲みながら待つ。帰国の日本人が大勢いた。途中何の話も無くアムステルダムに到着13:30.次の乗り継ぎは15:20.その間ビールを飲んでお土産買ってゲートに戻ったら長蛇の列でボディチェックされた。あと11時間のフライトで日本に着くことになる。最初の機内食で1ケ月振りに米の飯(鰻)をを食べてカップヌードルも食べたがこれはあまり旨くなかった。スペインでは殆どパンと生ハムで通したといってよいかも知れない。それでも生ハムは美味しくて飽きはしなかったけど、ご飯を食べると胃が安心するのかもしれないな。機内ではやはり余り眠れず「マイアミバイス」と「カジノロワイヤル」見てしまった。ウトウトすると朝食で酸っぱい物が多いのは眼を覚まさせる役目があるのかも知れない。成田着AM10:30。これで順調に行かないのが俺達でやっぱり成田であった。俺のリュックだけ出てこないのだ。とうとう最後まで出てこなかった。KLMのカウンターで調べたらどうやら飛行機に積み忘れたらしい。(リストに無かった。)それまで待たされてこれだものな。一筋縄じゃいかないんだな、やっぱり。税関は係りの人が付いててくれて通ったけど。中はたいした物は入ってないのだけど、ビデオは旧式の8mmだが、写したテープが貴重なんだ。幸いカメラは持ってたから良かった(悪い予感がしたんだよ)ものの家の鍵が入っているのだ。まぁここまできたからいいやって、久しぶりにラーメンと生ビールで昼食、まぁまぁだった。リムジンバスが近くの駅まで行くことがわかりよかった。家に帰るとチコとハナ(猫)がギャァギャァ鳴いて寄ってきた。余程寂しかったのだろう。やっと家に帰った気がした。。。
終わり

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2007年3月19日 (月)

カサ パタス

スペイン旅行最後の夜なので8時頃街に出かけた。カサパタスは開いていたけどお客はまだ入れていなくて、カマレロに予約をいれたのだが、解かったかどうかあやふや。近くの古いバルに入ったらお通しがハモンイベリコだった。その前にタパスでイカのプランチャも美味しかった。カミさんがイベリコを食べたいけど幾ら?って聞いたらE25だったので「高けぇな」と言ったら「半分でもいいよ」と「いったのでそれでいくことにした。これがカミさんに大受けで、本当に旨かった!トロのように油のサシが入って絶妙な味、もうどうでもいいやってカミさんはサングリアを2杯も飲んでしまった。後はもうマドリッドも終わりなのでむ一回マジョール広場に行ってからカサパタス に言った。そこで日本の女子大生の卒業旅行の二人と話して、入場券を買ってE25入ったら、ちゃんとテーブルに名前があって、其処にImg_3105座った。ショーが始まって、ギターを聴いたらモデルノのギターでカンテも今風でバイレもパレハからはじまったけれど、足も上体も切れの悪いパホーマンスだけは一人前の、日本のフラメンコと大して違わないものだった。バルセロナの足や上体の切れの良さには及ぶべくも無く、ただ大仰な見得を切るだけで、俺達はヘレスのファミリーのを見ていたので「なんだ!こりゃぁ?」と思ったのも仕方のない事だ。俺は無意識に首を振ってたらしく、カミさんは酔っ払っているのか変なハレオをかけるし、気になって「おとなしくせいよ」と説教する始末で、参った。カミさんは今まで観てきたものとの違いがわかってたみたいだったが、俺はそれはそれでと思ってはみたけど「マドリッドがこれかよ?」と思ったのは事実でカサパタスにしてもお客の大半は観光客で、以前は地元客ばかりみたいで、見る目もきびしかったけど、今はそれも昔話。お客はこんなのでも”OLe!”だし、グラナダよりマシかもしれないけどあんまり違わないと思う。マドリッドのフラメンコはこれを見る限り品質は落ちていると思った。ヘレスでさんがマドリッドは駄目だと言ったのはこのことか?と納得してしまったよ。

追記:モデルノの行き着く先はこれじゃないかなぁ?考えてしまった。マドリッドはなんでも先端をいっていると思われているので、確かに昔は洗練された踊りが一杯見られた。しかし、洗練されたその先がこれじゃないのかな?モデルノというのはいわば無国籍のアルテで何でもやっても良いという風潮があるように感じる。しかしそれが本来持っている資質を変えてしまうのも確かだと思う。行き着く先は多分こんなものになるんだろうなという一つのモデルを見た気がした。

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マドリを歩く

3月5日(月)晴れ 25日目
ムセオでハモンで朝食、ボガディージョ、トリティージャとコーヒー。起きて直ビールを飲んだのImg_3086でそんなもの。エチュガライの入り口の楽器屋は開いていなかった。エチュガライのロスガブイエロスも工事中であの有名な骸骨のタイルは壊してしまったのだろうか?コルテイングレで娘のバックを買う。此処を出てファナック(CD屋)に行ったけどここは何もなかった。今日の目的はギターの楽譜を買うことなので王立劇場の近くのレアルムシカまで足を伸ばした。ここでも大した物はなくサビカスとコードの本を買ったがE85もした。王宮の広場ではギターの演奏をしていて、カミさんはギタリストに「フラメンコを弾いてくれ」と言ったら「じゃパコデ ルシアを弾く」「パコは嫌いだから振りのを弾いてくれ」と言ったらしい。何て奴だ!どうりでなんだか変なソレアを弾いていたんだな。ぶらぶら帰りながらプラサマジョールの別のバルでモルシージャアロスノがあったのでビールで昼食にしてしまった。ここで又ハンチングを「買ってしまった。セビージャで買ったのをヘレスのマカニータの時無くしてしまったのだ。日本でも普段から仕事で被っているので俺のは全部スペイン製なんだけどもうボロになっている。ヘレスとマドリッドでは形も少し違っているのだが、今やヘレスでImg_3094も何処でもハンチングを被っている人はあまりいないみたいだった。帰りにひょっと見ると「コンデエルマノス」の店があったので入って1台弾かせててもらったけど音がビッテいてあまりいい音ではなかった。今風の軽いタッチのギター用に作ったのかも知れないが、なんだ?こりゃぁである。それでもF-4とか言うような量販品でも無かったのだ。今回はチューナーも持って行ったのでちゃんと調弦して弾いたのだ、値段も安い物ではなかったけど、そんなに良い楽器ではなかった。ついでにラミレス の店にも寄って1台弾いたけどどうも気に入る音ではなかった。マドリッドで店構えは立派だがこれなら、ゴメレス坂の工房の方が格段に良いとカミさんも言ってたほImg_3097どだ。やはり名前に胡坐をかいてしまうと品質は悪くなるのかもしれないね。それでも最高級品は違うのかも知れないけど、同じ値段だったら比べるまでもないな。(コンデはもうGrabinaではやっていないらしい)グラナダの倍の値段であれじゃ知れてる様な気がした。朝の楽器やに言ったけど昔のようにフラメンコ関係は全然無くてようやくカラコールのカンテの楽譜本を買ったけど高くてエステバンサンルーカルはあきらめてしまった。しかしイングレでみたバックを又出かけて買ってしまった。E80明日は水とパンだけかも。。
カミさんとワインとサンドイッチで夕食。今回の旅は楽しかったなぁとふたりとも極楽トンボで「明日はあしたの風が吹く」だよっと。帰ってからのことは、帰ってから考えよっ。

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またつまずく

3月4日(日)曇り 24日目 ヘレス~セビージャ~マドリッド
ヘレスを早く発ってマドリッドにいくつもりで、6:30オスタルを出て駅まで歩いた。ところが時刻表を見ると9:44セビージャ行き。しまった!昨日時刻表見に来るつもりがさぼったので、この有様だ。バス停に行くとマドリッド行き7:05とあり、バスが着いていたのでカミさんを呼びに駅まで行って来るともうバスは出てしまっていた。6:55なのに。駅に戻ってカミさんが一番早くマドりッドに行く方法を聞いていた。ヘレスからマドリッドまで切符を買うことにしてAVE込みでの値段を電卓で提示されたE129を払って、カフェでコーヒーを飲んでいると先程の駅員がやってきて、どうやら間違ったので切符売り場まで来て欲しい言った。「随分安いな」とカミさんと話していたので、やっと気がついたにか?と思ったけど向こうは切符の値段を1枚ずつ提示してE159だと言うので、笑いながら「お前が間違っていたんだよ」と言うと上司もそうだとうなずいいたので、残りの金を払った。それでも時間があまって仕方が無い。これじゃ昨夜のペーニャのテレモートもいけたかな?と思ったけど、いやいや、欲をかいちゃいかんと、思うことにした。やれやれ。。。
セビージャに着いて待ち時間に駅の椅子に座っていたら、女の人がTVかラジオのインタビューをさせてくれ、とカミさんに言ってた。実はこれが2回目でテアトロセントラルの時Canar SurのTV中継の人と立ち話をしていた時、明日時間があったらインタビューさせてくれないか?といわれていたのだ。こっちはスペイン語も英語も大して解からないし明日どうなるかも解からないので断っていたのだ。この時はテープレコーダを出して録音してたけれど、日本のフラメンコに付いて聞きたかったみたいだった。日本では3千人以上の人がフラメンコを習っていて教室も100以上あると言ったつもりだったが通じたかどうかかわからないけど、質問には答えたつもり。新幹線のAVEに乗ったらどうもツーリスモではなくて高い席のようだった。安くても良かったのだがツーリスモと言わなければならなかったなぁ。半分はウトウトして、後はスペインの風景を眺めてた。アトーチャに着いて地下鉄に乗ったらカミさんが上手く改札が通れなく閉まってしまったので、這って入ったら駅員に見つかって怒られてしまったけど、仕方ないよ。ソル で降りてリュック担いでオスタルに向かって歩いて聞いたらこの上だというので上がっていったら違うオスタルだった。ついでに明日の予約もしようと思って値段を聞いたら安かったE40(トイレ別)今夜も此処に泊まることにした。Pension ALSINDA。ソルから200mくらい入った所なので、帰りも便利なのだ。荷物を置いてソルの近くのムセオデハモンに行ってビールと食べたいと思ってたモルシージャImg_3080がやっと食べられたけど、その量が多いのにはびっくり、充分堪能してしまった。エチュガライ通りもかわっていて、サンタアナ広場は以前より大きくなっているきがした。Villa Rosaは健在みたいで、しかも上はオスタルになってるみたいだった。解かってたらこっちに泊まったよ。警官に聞いた路は間違ってたけど、Casa Patasは以前の場所にあった。此の辺からカミさんは疲れて機嫌が悪くなっImg_3083たのでオスタルに帰ってしまった。俺はセビージャやマドリに来ると少しテンションが上がるのでまだ歩きたいけどしょうがないなぁ。シャワーは熱くて気持ちよかった。

街に出てみたけど、すごい人出で賑わっていた。アルコデクチジェロスの広場は大きな白いテントが立っていて何かの工事をしているみたいで、以前の明るさはなかった。以前行ったことのある牛の首が飾ってあるバルは美味しいので今回もよったが海老のオリーブ煮が美味しかった。ブラブラして日曜はタブラオは休みというので、トーレスベルメハスに行ったら偉そうに予約じゃないと入れないと言う。マドリッドのタブラオに予約して行ったことなんか1回もないぜ。別に特に見たいわけじゃないので帰りにコルテイングレの地下でビールとハモンを買ってたら閉店時間で追い出されてしまった。オスタルに帰ってビールを飲んで、TVをみた。カミさんが疲れから胃が痛くなってちょうどいい休養になったな。帰りの飛行機のチケットが1枚紛失して、パニックになったけど、全部開いてみたら見つかったがチケットはカミさんの係りなので、それもあって調子を崩したのかもしれない。明日は少し買い物して早く寝て帰国の支度をしなくてなならない。

マドリッドは黒人やアラブ、中国人が増えていた。以前のようにあまり汚い格好の人は見かけなかったけど、それでもパトカーのサイレンは鳴っていた。前に一度やられているので」気をつけなければならない。やっぱり、あぶなそうなのも何人もいた。

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ヒターナ

さて「ヒターナ」ですが、自分などがとやかく言うようなシロモノじゃござんせん。最初から最後まで目が釘付けで、今まで観た舞台の最高のものでした!ファラオーナの巨体がどんな動きをしたのか、ファルーカの切れと動きの素晴らしさ、マリキージャの足と、その切れ、アンヘリータのヒターナの風格と渋さ、若い  の洗練された動き。その圧倒的なコンパス感。しかしカンテのよさも見逃せない。まるで闘牛士のように踊りを引き出していく根性とアイレ、それに答えるバイレ!これがフラメンコ!!これがプーロ!!観客もそれに答えて凄い拍手だった!会場中が一つのパルマになってこんなの初めて体験した!最後は総立ちのスタンディングオベーションでその舞台の素晴らしさを現していた。いやぁー!いいものを見せてもらったです!!観ても観なくてもいいやって思ってた俺浅墓でした。得したなぁー。
と思いながら考えていたのは、今のヘレスに習いにきている人達はこの踊りを見て感激しているけど、この人達が習っているものはこれからかけ離れたものじゃないんだろうか?であった。つまりヘレスまでフラメンコを習いに来てるけど、こういうプーロなフラメンコとは、別の物をやってない?俺はこういうのがフラメンコだと思っていて、今のモデルノの踊りは全然別の物ではないかと思ってしまう。わざわざヘレスまで来て別の物を習って行くのは矛盾してない?そうじゃないと言われればそれまでだが、こういうのを観てしまうと今の人達は何処を見て踊っているのかさっぱり解からないのである。そういう俺は最近は殆ど踊りを観ないので偉そうに言えないけど、なんだか変だなぁと、モデルノだったら別にスペインに来てまで習う意味があるんだろうか?と思ってしまった。
ともあれ、かくして、ヘレスの最後の夜は楽しく幕を下ろしたのである。帰りに食べたパエジャも美味しかった。

VIVA JEREZ !!ありがとね。

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一期一会

ヘレス最後の夜は「ヒターナ」を観ることだった。ところが出掛けにカミさんがチケットをしまい忘れて大騒ぎに、隣のチャリートさんに笑われてしまった。公演をみるのも良いけれど、そこに来る人を見るのも好きなので30分くらい前に行って横のバルでフイノを飲みながら周りを見ていた。店の中は人で一杯で、そこへ、同じテーブルに座っても良いか?と上品なマダムが聞いてきてその夫婦と一緒に座ることとなった。カミさんと向こうの旦那とのタバコのやり取りから、フラメンコの話に及ぶと、何とこの奥さんフェルナンダの姉妹なんだと!!?「あっと驚くタメゴロ!?」じゃないけど本当にビックリしてしまった。旦那が色々血統の話をしてくれて、有名なアルテスタの名前がゴロゴロ出てきてその関係が良く解からなかったけど、フエルナンダ、フニ、、バカン、など全んどその人達を知っていたので、向こうもビックリして、話が楽しくなった。スペイン語は喋れないけどフラメンコのことならわかるんだ。彼女たちはサンティアゴに住んでいるみたいで旦那さんはマヌエルだけど奥さんの名前が覚えられなかった。劇場のスタッフの人も顔を出して俺達にも挨拶してくれた。みんな良い人達で話していて楽しかった。そのうち俺達の勘定も払ってくれて、なんだか良い話を聞いたので俺達が奢んなきゃいけないのになぁ、と思いながら甘えてしまった。ありがとね。
日本人同士でテーブルに固まって話してるのもいいけど、俺達は習いに来てるわけでもないから、そういう付き合いはないわけで、何処でも二人でいるので、なんだかスペインの人達と何となく仲良くなってしまう。ロクに話せもしないんだけど、すぐにちょっと話しかけると話が発展してしまうのが面白い。こだわりなく聞いてしまうと、色々教えてくれたり、カミさんは誰とでもなじんでしまう感じなのだ。遠くからでもヒターナのおばちゃんがニコニコみてたり、どこかに血が混じってんじゃないだろうか?と思うこともあるんだ。遠慮がないといえばそれまでだが、その方が心を開いてくれると思うのは気のせいだろうか?今回の旅も色々な人と接して公演をみるよりそっちの方が記憶に残っているのだ。

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2007年3月18日 (日)

ヘレス最後の日はやっぱりヘレス

3月3日(土)晴れ 23日目
昨夜(今朝)遅く寝たのでロタとか行くのも止めてシェリーのボデガに行くことにした。ティオペペImg_3042の前には何人かの人達がいたのでその中に混じって待っていた。入場券は「タパス付きE14]遊園地の汽車みたいなのでボデガを巡り説明を聞くのだが日本で本で読んでいたので、大体のことはわかった。しかし、ネズミがシェリーを飲んでいる場面をみれるとは思ってなかったので面白かった。ツァーの最後に試飲とあったけど日本のワイン工場と違って何本かを試飲できるものでは無かったのである。フィノの小瓶とオロロソが一杯とタパスはボカディージョだったけど、のんびり回って飲んでいるのもいいものだなぁ。レパントの小瓶も買ったけど、ここにきて俺は疲れてしまったので、先にオスタルに帰って寝てしまった。一眠りしてから屋上でギターを弾いたけど爪が割れてて上手く弾けなかったけど、これでアンダルシアの旅は終わったなぁと実感した。やっぱり楽しかったなぁ。後は怖いマドリッドを気をつけていくだけだ。

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朝の4時まで

Img_3014 スーパーでサーモンとパン、ヨーグルトを買ってそれが夕食。11時頃ビジャマルタの横のバル テアトロはまだ大勢の人がいたので一回入ってみようといったら、着飾った人達や今夜の出演者らしい人で一杯だった。その中で我等がアントニオもネクタイをびしっと決めて完全にカバジェロで、それを見てカミさんと笑ってしまった。前に来た時はお互いにヨレヨレの格好でいつも一緒に歩いていたんだ。それが立派になって嬉しくなってしまう。しばらくして今夜のPena Buleriaに行ったら、まだ開いてなくて前に今夜の歌い手アルフォンソたちが集まっていた。そこへギターを抱えたルビチがきたのでビックリしてしまった。(聞いたのを忘れていたのだ)挨拶して「今夜弾くのか?」と聞いたら「そうだ」と言ったのでラッキー来て良かったな。今夜はいいものになるのは間違いないと確信したよ。中々始まらなくて地元の人は入れてるみたいだな?と待っていたらやっと入ることができた。ごえちゃんたちも来ていた、さすがオタクですな。
誰がでるのかも解からない名前も知らなかったが、カルピオ一族の最初はソレアでカンテは凄く良いのだがギターが重くてオイオイと思ってたら次のAntonioのカンテとDiegoのギターのFandangoは普通に良かった。ギターでこの位弾けるのは日本でも一杯いるな、と思ってたら、次のブレリアを聴いてそれが大間違いだと気付かされた。ブレリアは殆どがリズムを刻んでいてファルセータは少しだったのだが、それは日本人には弾けないとおもったし、現実に聴いたこともなかった。一見単純に弾いてるけど正にヘレスのノリで、日本の真似っこヘレスじゃなく本物のヘレスの弾き方なんだ。これはモロンも同じだけど、そのスタイルとはファルセータじゃないんだ。リズムの刻みでモロンかヘレスか解かってしまうくらい違いがはっきりしているのだ。今のはそれが、あいまいになって、同じ様なというか中途半端な弾き方なんだけど、それとは違いはっきりとしたヘレスの弾き方だった。カンテも正統でよかった。
2部はミヒータイホ「アルフォンソ」と「ドミンゴ ルビチ」ドミンゴは今や押しも押されもしないマエストロなのだ。12年前のボロ家のレッスンを思い出して良かったなぁと嬉しくなってしまう。アルフォンソはアレグリアスから始めた。初めすこし固かったけど徐々に乗り始め次のファンダンゴでは完全にペースを掴んだようだった。前の二人と似た歌い方で力強いカンテだった。Solea por Buleria、そして最後のFin de Fiestaはカルピオ一族総出といったImg_3019フィエスタだった。歌い手の子供がかなり上手くウナパタを踊り、それぞれ一人ずつ披露したが、年取ったおっかさんが唄いだした時はビックリ!全んどマイク無しで会場中に声が通って声量も息子達と同じくらいあると思ったし、細かい歌いまわし方は息子達より断然上手かったのだ!Ofuuuやっぱり只者じゃないと思ってましたよ、アタシゃ。俺は昔からおっかさん達のカンテが好きで、ピリニャーカ、マリア,ソレア、ブーラなんか大好きなのだ。途中でペーニャのImg_3021 重鎮みたいな人も踊り、最後に中央でニコニコしてたおじいちゃんの踊りにもびっくり!。ヒターノの家族のフィエスタって凄ぇなと感じさせられた。とにかくも来て良かったよ。終わってからも感動が冷めやらず、少し残ってフイノを飲んで彼らの写真を撮らせてもらった。オスタルに帰ったのは朝の4時だった。
この人達に友達あつかいされたのかねぇ?最初ブレリアで飲んでた時はこんな凄い奴等だとは思いもよらなかったよ。。参ったね。。。
ドミンゴはいい顔になって風格がでてきたな。奥さんのエバも幸せそうでバイレとカンテの教室を持っていると言ってた。二人とも真面目に一生懸命働いている感じがして、俺達が通ってたサン ミゲル通りから引っ越したらしい。少しでも関わった人が幸せになっているのを見ると、こちらも幸せを分けてもらっているみたいで嬉しい。ドミンゴのギターは歌い手の顔から目を離さず、やはり先の二人とは違って上手いとしか言いようの無いギターだった。ブレリアのときはドミンゴと他の一人ずつと笑いながら楽しそうに弾いていた。本当に暖かい感じのそして熱いフィエスタだった。ヘレスは凄いなぁ。。やっぱり。。

追記:隣の席に座っていた人は日本で20年踊りをやっているWさんという人で、俺を見て「何国人だか解からなかった、随分なじんでるみたいで、此処に住んでる人かと思った。」と言われた。そう言われてみれば、こういうフラメンコの場所では日本でもスペインでも全く違和感を感じないし、感じ方も同じなのだ。いいフラメンコだとニコニコしちゃうし、ハレオもかけてしまうし、カンテに合わせて勝手に体も動いてしまう。そんなの考えたことも無く日本(スペイン )だからどうだという感じでは今までもないのだ。日本人だろうがスペイン人だろうが感じるのは同じで何処でも本物のフラメンコの匂いは一緒なんだな。俺にとっては此処がスペインだろうが日本だろうがフラメンコのある場所にいるのには変わりがないんだから。

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ヘレスも変わる

3月2日(金)晴れ 22日目
朝メルカドのお店でキャスター付きバックを見たらE50だったので他を回ることにして、お土産を買いながらブラブラしているとチャリートさんに会った。今夜のエスペランサ フェルナンデスのチケットを買いにきていたのだが、買おうかな?と思ったけど始まるのが12時と聞いて即座に止めた。今夜はペーニャブレリアに1時に行かなければならないんだ。そこで又もやアントニオに会った。(この日アントニオには色々なところで4-5回会うことになった。)先程の店でバックを買うことにしてE50を出すとさっきと違ったおばさんがE35おつりをくれた。横にいた店員がレジ係りに何か言ってたけどすかさず俺は受け取って店を出た。このバックがE15では安すぎるかも、でも俺だってセニョリートばかりしてられないんだ。オスタルに帰ったら安い部屋になっていたのだが又移されていて元の場所に近いところで値段も同じ。隣はチャリートさんの部屋だった。また外に出て、以前行ったJoseImg_2797 Mendezのアパートの近くのバルに行って見るとことにした。ブレリアに寄ったら犬のトマサがカミさんにピタっとくっ付いて「遊んでくれよ」と言っているみたいで、カミさんは「トマサにマッサヘしてやったからだ」と言って「犬にはもてるんだがなぁ」と言って嘆いていた。メンデスのお母さんの住所を聞いて道々訪ねながらいく途中ボデガでフィノを買った。メンデスのお母さんの住んでいるマンションは以前より上の場所の大きい所に住んでいるらしかった。そして、その周辺は一変していた。前にあったバルのところは跡形も無くアパート群が建ち並んでいた、下の広場のバルで聞いてみてもホセ メンデスのことすら知らなかった。かっImg_2804てここにはヒターノの家族が大勢いたところで、今でも日本人が此処まで来ることはあまりないと思うけど、当時は本当に珍しかったらしく、俺達を見に大勢のヒターノ達がバルに顔を覗かせていたのだ。今ではそのヒターノ達は何処かへいってしまい、アラブや黒人や他の土地から来た人ばかり住んでいるらしかった。本当に年月というのは大きいなぁと感じてしまった。帰りににサンミゲルの坂の下のレストランで食べた定食E8で美味しかった。特に骨付き肉の煮たのが柔らかくて味も良かった。帰って屋上でギターを弾いたけどここで弾くのは本当に気持ちがいい。今日は踊りの子達はいなかった。
もう少しで帰るのは寂しい気がしている。

追記:スペインは今日本でいえば「列島改造」の時と似ていると思う。いたる所で古い建物は壊され新しく建て替えられていて、市街の外側にも向かって建物群はアメーバのように広がっていく。バルには大きな液晶テレビが置かれて、車は書く家で持っているみたいだ。子供たちは新しい自転車や綺麗な服を着て楽しそうである。それにいわゆる貧民屈といった所も無くなりつつあるみたいだ。スペインは今バブルだという人もいるが実感として、そうは思われない。何故なら建物がそれだけ建つという事は、それに付随した商品が売れるという事であり、又建築の仕事が切れないので、我々のような労働者も仕事があって豊かになっているのだ。EU加盟で拍車がかかったのかどうかはわからないけど、2~3ねんで終わるバブルとは思えないのだ。何より昔の「スペイン人は働かない」というイメージではないのだ。たしかに愛想の無い売り子も多いけど、バルの働いている人を見るとキビキビと無駄の無い動きで、これは日本のハンバーショップのマニュアルの動きとは違うみたいだ。そして不動産の高い値段にはビックリする。また「SE VENDE」(売屋)の看板も多くみかけるが貸屋のはあまり見かけないのは何故なのか?皆家は買ってしまうのだろうか?買えるという事はそれだけ資金力があるということであり、皆そんなに稼いでいるのかなぁ?田舎も同じなのでスペイン全土で高いと思う。ちょっと住みにくくなったなぁ。

ヘレスでは今ビジャマルタ劇場で連日フラメンコの公演が催されているのだが、全くその公演を観ようと思ってないし、興味も持てないのは我ながら不思議だ。只「ヒターナ」だけは見たいと思っていたのだが、切符が買えたらなって感じで積極的ではないのだ。他から見ればもったいないかも知れないけれど、たまたま来たのがフェスティバルの時期だったのだ。ヘレスの街では多くの日本人を見かけたけど、皆暗い顔で緊張してるのか無表情で歩いていた。バルなどでは日本人同士で笑っている顔も見たけど、半分仕事みたいに習いに来てるのだから、大変なんだろうなぁ。それでも毎日練習して、夜は公演を見てとタフなんだなぁ。俺達は何もしないで只ブラブラしてるだけで面白くて、何だかなぁって感じだけど、もうそれも終わってしまうなぁ。

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よく歩くなぁ、俺達

3月1日(木) 晴れ 21日目 ヘレス~カデス~ヘレス
9:00の列車に乗ったら、何かの応援団(多分フットボールの地区予選か何か?)の多勢の人達が背中にワッペンを貼り付けて乗り込んで満員、途中の駅からも他の団体が乗ってきた。列車はのろのろ走ってカデスの4つくらい前の駅で皆降りていったけど、なんだったのだろうか?カデスに着いて明日の予定もわからないので、銀行で日本円を交換してもらったらImg_2956E1が167円でビックリしてしまった。ツゥーリストで街の地図をもらう時ペーニャの事を聞いたら即座に地図に書き込んでくれた。こんな事初めてで今までペーニャって聴くと「何それ?」って感じだったのだ。カテドラルの方に歩いたらもう海で名だたるカデスの海は綺麗で海岸沿いの道も整備されていて良かった。カテドラルは外から見ただけで、近くのメルカド(市場)が開いていたので入ってみたら、魚が豊富で醤油を持ってくれば良かったと後悔した。特に海老が甘エビ、手長海老、牡丹海老と色々あってしかも安いみたいなので、後でレストランで食べようという事になったのだがこれが誤算の元だったのだ。市場からカデスの海岸の先端にあるサンセバスチャン城に海岸沿いに長い距離を歩いて行った。城は海の中にあり入り口から城まで大分遠くに見えていたので、ここで止めようと言ったのだがカミさんは海が好きなので城までのかなりの距離の道をご機嫌で歩いて行った。城の門までで中には入れなかったけれど、海は綺麗で潮風が当たって気持ちは良かったけれどそれだけで30分以上歩いたのだ。何故あんまり気が進まなかったと言うと、入口の横にある”PeImg_2961na Juan  Villar”がまだ開いていたからなんだ。時間的に何時閉まるか解からないので気が気ではなかったのだ。しかし、幸運にも中に入れてフイノを飲みながら写真も撮らせてもらって、説明もしてくれた。中規模のペーニャでやはり写真が所狭しと貼られていた。明日のよるカンテがあるらしかったけど、見たかったけど仕方ないなぁ。それから「地球の歩き方」に書いてあるレストランに言ったけど高級(値段が高い)そうだったので、街の人に聞いた、何軒かの一つに入った。しかしそこでは海老料理は1種類しかなく適当に頼んだら鰯の揚げ物だった。ここで飲んだガスパチョは美味しかったけど。カミさんは海老を手掴みで剥いて食べ、俺はこういうのは下手なのでカミさんに剥いてもらった。カミさんは北海道の海の側で育ったので魚を綺麗に食べるのだが、海老蟹は手で剥いて頭の脳味噌までしゃぶってしまうのだ。でもその方が旨いのは確かだ。この前からカミさんは大量の野菜サラダを無理しても食べてるので「なんだ・」と聞くと便秘なんだそうだ。この時のサラダが利いたのかもしれImg_2977なく何日ぶりかで解決したらしい。勘定書きを見てビックリ、これだけでE45だった。これなら1泊できてしまうよ。それからまた海岸沿いに歩いて”Pana La Perla”に行ったけど、もう閉まっていて、(時間からしてそうだと思ったけど)外観は何の変哲も無い所だったけど、中は綺麗らしいので見たかったのだ。バス停で市内バスに乗ったら反対方向に走っていったので、あせってしまったけど、いいやって思って新市街の終点まで行って又反対の終点まで戻っていった。ちょうど疲れていたのでウトウトして良い休憩になった。バスステーションの近くに”Pana Mellizo”が海に面した倉庫街みたいな所にあるのだがここも閉まっていたのでガッカリ。でも開いている時間でもないし夜まで待っているわけにもいかない。バスがでImg_2983るまで1時間以上あったので、海岸を歩いてPunta Cancelaria迄歩いて行った。海は綺麗だったが、カミさんは疲れ果てて機嫌が悪くなってしまった。自分も疲れが出てきて調子が悪い。そちゃぁそうだよ、夜中の2-3時まで遊んでいて、朝早くから何時間も歩きまわっているんだもの。疲れないほうがおかしいっての。帰りのバスではヘレスまでぐっすり眠ったしまった。明日は部屋を帰るので、どこにもでかけないで、ヘレスにいることにした。もう旅も終わりに近くなったのだ。

ビジャマルタのキオスクで本を買って、シェリーバーでヘレスを3本買った。お客に教えてもらってドゥルセ(甘い)を買った、これはお土産用。他にも欲しいシェリーが一杯あって目移りしてしまうが、ようくわからないので勢いで決めてしまった。案外平凡な物かもしれない。今夜は何処にもフラメンコ(ペーニャとか)はやっていないみたいだった。アントニオが近所のバルで飲んでたので気付くべきだったのだけど、夜の暗い路をウロウロしただけだった。こんな夜もあるよって、それが普通だよな。バルでビールを飲んで寝た。普通の時間に。

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2007年3月17日 (土)

何とまぁ!!

オスタルに帰ってから、昨夜チャリートさんに頼まれたマッサージをカミさんがする事になり俺はTVで闘牛を見ているうちに眠ってしまった。起きたらカミさんがチャリートさんに借りた湯沸かし器で久しぶりに味噌汁を作って飲んだら美味しかったぁ。チャリートさんありがとうね。今夜1時にペーニャがチャコンであるらしいので、迷ったけど行くことにした。11時過ぎに外に出たら殆ど人が歩いていなかった。フランコ通りに行くと人が歩いていて付いていく途中で、何時も通り過ぎていたバルの中からパルマと子供みたいなカンテが聴こえてきた。覗いてみると人が多勢いて(何時もはあまりいないみたいだった。)中で誰か唄っているらしい。ペーニャの時間にははやかったので寄ってみることにした。若いグループがタンゴを唄っていて終わるところだった。何の気なしに見ると見たことのあるお母さんがグループの真ん中に座っていた。まさかなぁっておもったけど、隣のお兄ちゃんに「あれってImg_2936ドローレスかい?」って聞いたら「そうだよ」と答えたのでビックリしてしまった。とそこで見覚えのある顔を見つけた、日本のカンテをやっているYukiさんだった。ヘレスにいつも一人できているらしかった。彼女もロコの一人かも、じゃなきゃこんな所へ来ないよね。日本に来てさんとやったドローレス アグヘータ、真の歌い手ドローレスはファミリーと奥のテーブル座っていてとてもイイ女(ゴメンネ)だった、頃合を見計らって挨拶したら、日本でやった時の事を覚えていて、どうやら俺のことも覚えているみたいだった。ひとしきり彼女のファミリーの話をした後でカミさんを紹介したら、カミさんが同じテーブルに座るように薦められて、一緒に座る事になってしまった。いいのかね?と思ったたけど、カミさんは普通に座ってもうなじんでいるんだ。バルの中を一回りしてきたら、カミさんはドローレスや娘さんの肩を揉んでいた。俺はヒターノブロンセの兄弟と仲良くなって、ビールまで奢ってもらってしまった。前の回に何をやったかも知らないけれど、大分たってからドローレスが唄い始めた。ギターは若いディエゴでSolea,Siguiriyas,Martinete,Buleriaを唄ったけど正面の近くで聞いていて鳥肌が立つ位良かった!!賭けねなしのプーロなカンテヒターナ!前夜のマカニータが大きな場所の公演としたら、こちらは名前も知らないバルの一角で、しかし、そのフラメンコは比較なんか到底できない、純粋なフラメンコだったのだ。ドローレスのカンテをこんな間近 でしかもヘレスで聴けるとは思ってもみなかったので、俺ってやっぱりフラメンコにはついてるのかも知れない。ちなみにカミさんはドローレスが唄うまで有名な歌い手だとは知らなかったらしい。前Img_2940の時はマカニータにあんたもやる?と言って肩を揉んでやってたものな。Fin de Fiestaはドローレスの家族のフィエスタで娘達のカンテはそれぞれ違うけどとても良いものだった。来日した時アカチャンだったのに大きくなってたなぁ。従兄弟の小さい子供の踊りも中々良かった。ドローレスは子供達に向かって見守る様でとても優しい目をして唄っていた。本当に楽しい夜だった!!勿論ペーニャにはいきませんでした。

追記:ヘレスではこういうLiveはあまり宣伝しないのかも知れないなぁ。しかし多勢の人達が来ていてかなり賑わっていたけど、日本の人はもう一人の女性だけだった。このお客達は何処から情報を得てるのだろう?こういうとこはヘレスは贅沢でうらやましいなぁ。ところでこのバルはかなり大きくて奥にも大きな部屋があって何個もテーブルがありその一つでギターを弾いてフィエスタをやっていた。ギタリストはスペイン人では無いみたい?だったが、かなり上手くてアグヘータの若手も真剣に見ていた。かなり乗って弾いていてマダムみたいな人や若い娘がブレリアを唄っていた。弾き方はヘレススタイルでファルセータも凄く上手で只者じゃない!さすがヘレス!と思った。

ドローレスのギタリストディエゴはまだ若い髪の長い青年だったが、顔に似合わず太い正統なギImg_2939ターを弾いていた。リカルドのファルセータなども弾いていたけど今では珍しいかも。先程のギタリストは音を一杯使っていて上手いかも知れないが、やはりディエゴのように太い音がする強さとメリハリがあるギターには適わないという事がはっきり解かって面白かった。こういう騒がしい会場ではなおさらなんだ。いくら細かい音を一杯使って技巧的に弾いてもこういう所では何のインパクトも与えられないんだ。コンサートや身内のフィエスタならいざ知らず、マイクを使っていてもそういう差は出てしまうと思う。つまりこういう所では太い強い音じゃないと通用しないんじゃないかな?と思う。若いディエゴが自信を持って弾いていてたのに嬉しくなってしまった。けれども彼にしてもそのギタリストのことを真面目に真剣な目で見ていたのは印象的だった。決して他のギタリストを馬鹿にする態度ではなかった。それも凄いと思う。

黒い衣装のドローレスを見たら昼間見た黒立て髪の馬を思い出してしまった。どちらも力強く、しなやかで、優しい目を持っていて、本当に良く似て両方共プーロなフラメンコだった。変だと思う?

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馬に泣いた!

2月28日(水) 晴れ 20日目 ヘレス~アルコス デ ラ フロンテラ~ヘレス
AM9:00バスでAlcos de la Fronteraに向かった。崖の上の白い街として有名な所で、ヘレスからバスで30分位で行けるのだ。朝霧が酷くて途中追突事故を起こした車があったImg_2881。バス停からずっと登って行くと大音響のフラメンコが聴こえてきた。そのカハビド広場で何かの会場がセッティングの最中で、なんだ?と聞くと今日カバージョがあると教えてくれた。アルコスの街は山の上なので坂道ばかりで、ブラブラしながら一番先の方にあるサン アグスティン教会まで下りていった。細い道や曲がりくねった道はアンダルシアの典型的な町並みなのだが、山の上という事ですぐ霧に包まれてしまった。外から見た教会はかなり古くて言っては悪いがボロイ感じなのだが、内部は素晴らしく、もう一つのサンタマリア教会も入場料を取るだけあってよかった。アルコの旧市街はSE VENDE(売り屋)の家が多くこんな小さな村なのに不動産屋が多かったのは何故なんだろうか?アルコスの山の下の新市街は家が急速に建っているようだった。そのうち広場に戻りカバジョが始まるのを待っていた。スペインでは待つのがあまり苦にならず、そのうち楽隊が町を巡りはじめて、主催者の長い挨拶があって漸くカバジョが始まった。フェリア カバージョというのは見るのも聞くのも初めてだったけど、それは素晴らしいものだった。長い棒を持った4人の乗馬服の男達が巧みに馬を操り、馬も見事に答Img_2924えて観客の拍手をもらった。地元の子供達の馬術もあり、一人のカバージョが馬を操る技を解説しているけど、勿論何の事が解からないけど、何となく凄い技なのは感じる。ところで馬術の最中の音楽は殆どフラメンコなのだ。アレグリアスに合わせて馬がステップを踏んだりしているのだ。おまけにヒターナと馬とのセビジャーナスまであった。まるで人間みたいに馬が躍るのでビックリ!これまで馬に乗っての馬術だったが、のらずん手綱と鞭だけで馬を操るのもあった。音楽に合わせてこれも巧みに操っていた。昔の衣装を着けたカバージョが広場を縦横無尽に走り回っていた。最後にでてきたのは一人の男と真っ黒い髪の馬で、何と手綱も何も着けていなかったのである、男と馬は音楽に合わせてまるで本当にパレハで踊っているようだった。馬の黒く長い立髪がなびくとまるで女の人みたいで、一瞬呆Img_2931然として涙が零れてしまった。これは本当に感動した。まさか、馬見て泣かされるとは思いもしなかったよ。来てよかったよー!!ところで今日は休日でバスの時刻表が変わって帰りが2時間も遅れてしまった。アルコスのバス停で日本の2組の若者達がいて、皆学生で、話したけど男のほうは体は大きいけど、女の子達の方が逞しい感じだった。良い旅をと言ってヘレスのバス停で別れた。

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マカニータ

カミさんは疲れて今夜は出ないと言うので、少し外で飲んで寝ようと思って出たら、近所のビジャマルタの切符売り場が開いていたので、「今夜のマカニ-タの切符ある?」ってきいたら「何枚?」と言われ少し考えたけど、カミさんを連れてくのは、可哀想で俺だけ行くことにしたが帰って聞いてみたけど行かないと言うので一人で行くことにした。それでも開始が12時からなので3時間も時間がある。街をブラブラしてティオペペの方に向かったが偉く遠回りImg_2875 をして疲れ切てしまったので、ゴンザレス坂の途中にある胡散臭いバルに入った。胡散臭いのは俺で、3~4人の客はこいつは何だ?って顔でしらけた様子だったけど「、これからマカニータにいくんだ」と言ったら、バーテンのお兄ちゃんが「俺のカミさんはマカニータの姉妹だ」といったのにビックリ。それから急に皆打ち解けて、仲良くなって写真まで撮ってしまった。凄く親切に外まで出て道を教えてくれた。本当に人間ってのは外からじゃわからないよ。SanMiguelに行ったら何だこんなに近かったのかと思った。下の広場で一杯やってる志風さんみたいな人がいたけど、胡散臭そうにみられたので、声はかけなかった。
ティオペペが開いて前の方だったけれど、昨晩セルニカロスに来ていたカップルがいたので、手で挨拶したら、隣にチャリート(剣持)さんがいてビックリ。旦那のチャンケさんとも知り合いなので、聞いたら同じホテルに泊まっているのだそうだ。これにもびっくり。正面の2列目の席でこれは一番いい席だったかも知れない。チャリートさんと色々なことを話しているうちにマカニータの公演が始まった。Tientos, Solea por Buleria,Malaguena,Alegrias,Siguiriya,Fin de Fiesta.初めて見る(舞台で)マカニータはやっぱり凄くて、Paquera、Fernandaの後は自分なんだという自信みたいなのが感じられた。一 言で言うと正統派のプロの歌手である。マイク無しで聴いたマカニータの声量はそれ程とも思わなかったけど、その充実したアイレは完全にその舞台を制していたと思う。最後のブレリアで中々出ないなぁと思って期待してた、カンシオンブレリアが最後の最後で出た。フエルナンダを聴いてるとカンシオンブレリアが唄われるのだがヒターナのカンシオンはそん所そこらカンシオンとわけが違うんだ。俺はヒターノのこれが好きで本当の良い歌い手はこれが唄えなくっちゃナァ、と思っている程で、マカニータが唄ったのを聴いて初めて生で良い歌手のカンシオンを聴いた。ギターのマヌエル パリージャパリージャデ ヘレスの様に音が多くて、歌の合間に必ず面倒臭いファルセータを入れるタイプだった。まぁ正統派みたいだったけどあんまり好きではないな。モロンで聴いたモジャの方が唄を引き出すやり方だった。こっちは弾いてるだけ、みたいな感に。パルマの3人のうちの一人のおじさんは昨日ブレリアで一緒に飲んでた人だった。ともあれ終わってスタンディングオベーシオンをしたのは俺とチャリ-トさんだけだった。(後ろは見なかった)目の前でみてたらビンビン伝わってきてそれ程良かったんだ。帰りはチャリートさんとオスタルまで帰ったけど人が多かったので問題なかった。行ってみてよかったよ、楽しかったし。

追記:会場で久しぶりに写真家の高瀬さんに会った。勿論お仕事で助手みたいな人を何人も連れていた。客席に来てくれて少し話したけど懐かしかった。これも嬉しいことですな。

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ヘレスを歩きまわる、しかし

2月27日(火)晴れ 19日目

朝8時に起きて駅とバス停に時刻表を調べに行った。9時近くなってもバルもろくに開いてないようだった。10時にオスタルを出てフランコ通りの方に歩いていった。フンダシオンの途中にアルテスタたちの写真が飾ってあるバルに寄ってコーヒーとタパスで朝食。ここはペーニャじゃなく只のバルらしい。本当いうと今夜マカニータのカンテがあるらしいのでチケットを買える所を探しに出たんだけど。フンダシオンに寄ってディエギートのビデオを見ていたらカミさんがいなくなり途中で見るのを止めてしまった。そこからサンティアゴに行ったけどサンティアゴは大分変わっていて綺麗になっていた。アルコ デ サンティアゴというバルは以前バンビーノに会った所だったが、大分変わってここも綺麗になっていた。カジェ ヌエバは昔のように怖いところではなく、サンティアゴも今至る所で工事をしていた。ここで日本人のギタリストの事をきいてみたが、誰Img_2848も知らなかった。それから「ペーニャホセ  ラ パウラ」に行ったら今までと違って古いままだったのでヘレスも変わらないとこもあるんだ。3人ほどのおじさんがドミノをやっていただけ。次に歩いて出たところが「Pena Antonio Chacon」だったのでビノを飲んで一休み。チャコンは前と変わっていなかった。ティオペペのボデガに行ったらもう見学時間は終わっていて、カテドラルの前で昼食”フィノと定食E24高いなぁ。ここでカミさんが噛み付Img_2858いてきて「あんた本気で住む気があるのか?ギターを覚えられるところがいいんじゃないか?」と立て続けに聞いてきた。それは今まで自問自答してきたことでまだ回答が出来てない事だったのだ。モロン、ウトレラ、レブリハと皆「帯に襷で」今一ここという所が見つからなかったのだ。カミさんはさらに「今までの所何処にフラメンコがあったのか?」それも俺の中ではこなれてなかったので、凄く不快なってしまった。ギターを教わるのは日本でも充分でむしろ日本の方が良いのははっきり解かった、しかし教わるのと住んで体の中で変わっていくのは別なのだ。上手くいえないけど多分住んだらもう少し違った物になるのは予感している。しかし、それを何処の土地でやるのが一番いいのかは、まだわからないのだ。プロになるわけでもないのでテクニックを磨く必要は無いんだ。「どうせ一生のうちのほんの少しの間スペインに住んでもいいんじゃない?」とカミさんは言う。「そんなこたぁ解かってんだよ」と俺は心の中で言うけど黙っている。カミさんは草臥れ果てて機嫌が悪い。俺は自由にこの街をあてどもなく歩いていたいんだ。カミさんは何処へ向かってなんの目的で行くのか?」と聞くがそれに答えられない。「独りで部屋で休んでくれよ」とも言えない。独りで自由に動けないもどかしさがイライラさせられる。俺はスペインに目的も無くただ見たいからきたんだ。とも言えない。一応住むところを探すという名目があったからだ。だからカミさんが想像していたフラメンコがあろうが無かろうが俺にはどうでも良いことだったんだ。それでも前に予想していたことと違っていたこともあって、それが自分の中でまだ分析できてないんだ。だから今後どうしようという計画ができてないのだ。不機嫌のままオスタルの前のシェリーバルでソレーラがあったので買ってから寝てしまった。
一眠りの後屋上に行くと10人位の女の人が踊りの練習をしていた。俺も離れた所で弾き始めて、ここで弾くのは気持ちがいいんだ。ヘレスの屋根を見ながらモロンを弾くのは非肉なものだがそれしか弾けないんだからしょうがない。そのうち何処かの部屋のおばさんが文句を言ったみたいで、その人達は不満そうに降りていった。昔から此処は踊りの練習生が多く屋上は練習の場(しかもタダの)だったのだのでその人達が可哀想になった。そのうちカミさんも来て独りで踊り始めた。俺は俺で弾いてたけどカンテの伴奏にもつき合わされたけど、そんなのもう忘れてしまったので上手くいくはずもく、それでもカミさんは自分で踊ったせいか、機嫌が直ったようだった。前の店でビールとオリーブ、生ハムを買って飲んだ。バルで飲むより冷えてて旨い。今夜はマカニータがあるけどチケットは売れきれだろうし、おとなしく寝ることにしよう。

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2007年3月16日 (金)

セルニカロス

ほんの1時間程寝た後屋上の洗濯干し場でギターを弾いた。前に来た時はギターも持っていなかったので、今回は何となく弾いていて、誰が聞こうとかまうこっちゃないわい、とぼけっと弾いていた。しかもモロンだけ。改修工事中のお兄ちゃんが手を休めてパルマを打っていた。30分くらい弾いたら寒くなったので部屋に帰り前の店で焼きたてのパン、チョリソ、ビールを買って夕食にした。暖かいパンはとても美味しかった。公演情報で今夜Juana Amayaが踊るらしいので゙でSala Campainilloに9時頃でかけてチケットを買おうと思ったら売り切れだった。当たり前だよな。バルも皆閉まっていてどうしようかと思ったけど、仕方ないので、セルニカロスの方に歩いていった。途中前に来た時毎日行っていたバルが開いていたので寄ってみたら、凄く綺麗になっていて、家族連れもきていて、何だか良い感じだった。シェリーを飲みながら時間を潰したけど、1時に始まるのにまだ10時で、帰るわけにもいかないので、そこから直ぐのところにあるセルニカロスに行ったら、其処は灯りも無く、人っ子一人通らない道にあり昼間見てなかったら、到底解からなかった。ペーニャImg_2822 は入り口から階段を上がった3階にあり、入っていくと数人の人達がいるだけだった。その中に昼間のアルホンソを見つけたので少しほっとした。バルでビールを飲みながら、少し話して、日本のアフィシオナードだと解かって、写真の説明をしてくれたり、セクレタリの部屋まで見せてくれた。ペドロおじさんありがとう。バーテンは何とJose Mendezの叔父さんだった。お母さんはどうやら、パケーラとは従兄弟同士らしい。そんな話もしたけど、あまり細かいことが理解できないのが残念。とにかく自分はその中にいるだけで満足なので写真を撮ったり楽しい時間だったけど、カミさんは耐えるのが大変だったかもしれない。同じ頃にマラガからの新婚さん、みたいなカップルが来ていて、やはり誰も知り合いが居ないみたいなので少し話したけど、その後この人達とは色々な所で遭遇する事となった。
ようやく時間も経ち始まる時間には大分人も埋まってきていて、ふと後ろを見るとごえちゃんが座っていた。こんな所ににいるのはごえちゃん位だろうな?と思っていたので驚きはしなかった。挨拶して又後ろを見たらAntonio Moneaがいて えっ?と思って行ったらやっぱりアントニオだった。12年ぶりに見るアントニオは少し小柄になっていて、年取ったみたいだな。お互い様だけど。挨拶したらキョトンとしていて、こいつ忘れたなぁと思って、暫らくしてカミさんに会わせたら、思い出したようだった。何てぇやつだ。それから俺にビールを奢ってくれたのには驚いたけど、ネクタイなんざ締めてカバジェロ(紳士)なんだから当然だよな。
それから始まったのだが、誰が何をやるのかも知らなかったが、若いしっかりした体つきのバイラオーラがファルーカブレリア ポル ソレアを踊った。これは見ていてバルセロナのImg_2830足と、グラナダの力を足したような踊りだったのだが、力の加減がこれ以上抜くとつまらなくなるし、かといって一本調子になるのもな?といった感じだった。カンテの太った女性が歌って踊ったのだが、声にもう少し艶があると良くなるようなきがした。ともあれ全体には凄く良かった。Fin de Festa のウナパタはそれぞれが上手くて、やはり日本人とは、大分違うね、振りを踊ってるのじゃなくて、それぞれが自然なんだ。ところでファミリーの中でペルラ(デ カデス)に似たおっかさんがいて、ずっと気になっていた。ブレリアの中盤で唄ったのだがやはり只者じゃなかった。抜群に上手かったのである。太った娘もこのくらいの年にならないと良くならないのかも知れないとも思うけど、このお母さんの才能だなきっと。終わってみたら、超満員だったのでビックリしたけど、ごえちゃん達と早々に引き上げた。カミさんは良かったみたいで、少し機嫌も直ったみたいだ。

追記:ごえちゃんはJuana Amayaに行かずにこっちにきたらしい。俺ならファナにいったけどな。(日本では見にいけないから)好きなんだなぁ、こういうのが。俺もピパ見ないでカルボネリアに行ったからなぁ、同類だな?きっと、ところでこの夜の出演者って誰?教えてね?ごえちゃん。

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2007年3月15日 (木)

ヘレスは変わった?

2月26日(月) 晴れ 17日目 モロン~ヘレス
AM8:00オスタル出発、道を1本間違え遠回りをしてしまった。9:00発のバスに乗りセビージャのバス乗り場に着いたら直ぐに乗り継いだので何も飲まず食わずでヘレスまでいった。12:00着。ヘレスに着いたら周りは一変していて、此処は何処?と思ったが駅の側だったので、大体の方角は解かった。大きい道は出来てるし、高い建物は建っているしで、ヘレスも変わったんだなぁ。とにかく腹こしらえに近くのバルでコーヒーとボカディージョで落ち着くことにした。一休みの後前に来ていたのでおよその見当でセントロに向かった。前に泊まった”San Miguel”は今も昔と同じ場所で息子がやっているみたいだった。中はあまり変わってない様だったが部屋数も増えて綺麗になっていた。一休みして銀行に行ってから近くの”ビジャマルタ劇場”「ヒターナ」の切符を買ったがパスポートを見せImg_2789なければならなかったのは何故だ?もうあまりり券は余ってないようだったけど。街をブラブラしながら”ペーニャ ブレリア”に道々聞きながら行ったけど、前の所と違う場所のようだった。ブレリアは以前と比べて綺麗にしかも大きくなっていた。舞台のある部屋は別室でかなり広い部屋だった。飲んでると、おじさんや、若い衆が入ってきて、何となく話しているうちに、どうやらアルテスタみたいで、髭の若いのはアルホンソ、といってカンタオール、もう一人はバイラオールで金曜の夜ここでやるらしい。アルフォンソはアグヘータテレモートの一族の一人らしく、その夜弾くのはルビチだといっていた。それから話が盛り上がって本当にお友達で、横にいたミゲルという髭のおじさんが俺達にシェリーを奢ってくれたり、カンテも少し唄ってくれてちょImg_2798っとしたフィエスタ状態だった。後でアルフォンソは「俺はミヒータイホだ」と言ったので驚いてしまった。ミヒータを知ってた俺にアルフォンソも驚いたけど。俺達も短い期間だったけどルビチティブに習っていたので向こうもちゃんと解かってくれてるみたいだった。そこで目に付いた”ソレーラの1984”というシェリーがオロロソだったが凄く旨かった。これ買って帰ろう。ついでに今夜”ペーニャ セルニカロ”で1時から誰かのバイレがあると聞いていくことにしてオスタルに帰った。帰りがけに俺達が毎日通っていたパリージャの家は新しくなっていて売家になっていた。凄く悲しい気分だった。カミさんは酔っ払っていてすぐ寝てしまった。

アルフォンソはラモン(俵さん)の事をよく知っていてアナ マリア ロペスと一緒にやっていたことなどを話したので、当然よく知ってるので、俺達は仲間だという事になった。フラメンコって面白いっしょ?。(笑い)

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コリーダ デ トロ (闘牛)

ペーニャが終わるとまだ多勢の人がいるなか、オスタルにとって返して、暖かい格好で自分だけ闘牛場に向かった。5時からなので40分しかない。ビデオも持っていったけど慌てていたImg_2768ので予備のバッテリーを忘れてしまった闘牛場の周りには大勢の人達がバルで飲んだりしていた。入り口を聞いて自分の席を見つけるのに手間取ってしまったけど、暫らくして始まった。最初の闘牛士のTalanteは仕留める時4回も外してしまって観客は白けてフンていう感じだった。次にJuliというのが出てくると大きな拍手が起こって、よく解からないけど牛をやり過ごす動作が上手いみたいだった。牛を倒すと大歓声で耳を2つ貰った。次のMorenteという人も耳2つ。次にまたJiliが耳2つで合計4個。最後に最初失敗した」Taranteがでて、根性を見せて耳2つをもらった。闘牛はこれで3回目だがきっと今日はいい闘牛だったのかも知れない。ところで闘牛をやっている最中に向かいの中段の席から一人の男が朗々とモロンの闘牛に向かってサエタみたいに唄ったのだ!勿論マイクなんかなくてもその声は闘牛場の隅々まで響き渡ったのだ。今正に闘牛士と牛の命のやり取りをしている最中にである。これには驚いたけど何を歌っているのかはわからなかったけど観客には大受けで拍手喝采だった。終わりちかくに雨が降ってきたので、早々と帰り途中でガジョに寄ってペペに挨拶したら、ローリは悪いらしく、明日セビージャに連れて行くといってた。良くなるといいのに。カミさんと外で食事したかったけど、どこも閉まっていたので、開いていたパン屋で菓子パンを買って、これが今夜の夕食。風呂に入って寝ることにする。明日はいよいよヘレスに行こうと思っている。

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モロンの長い1日

2月25日(日) 晴れのち小雨 17日目
昨夜はぐっすり眠れて8:30頃起きた。10時頃街に出かけたが今日は日曜なのでバルもお店も全部といっていいほど閉まっていたのだ。今まで歩かなかった道をブラブラしてディエゴの銅像の広場に出た。そこを下がっていくと何だかサエタの会場みたいなのがあって、人達が集まっていて、大音響でサエタのバンドを流していた。その真向かいに闘牛場があった。モロンに帰った理由の1つに、今日催される闘牛を見ることだったのだ。闘牛場に行ったら車や歩いて入場券を買いに来ている人が多勢集まっていた。E40の券を買ったのだがこれは"Tienda Bajo, solo y sombra"というもので、他の安いのは売り切れていた。高いのはE100,俺のは安いクラス。帰りにガジョに寄ったらローラは具合がわるそうで悪寒がしているらしい。それでも今日はペーニャの日なので頑張って仕事をしていた。カミさんがオスタルから栄養剤を持ってきて飲ませたけど、少しは利いたのかかなぁ?モロンに来たもう一つの理由が”Pana Gallo”で催されるペーニャが今日あるからだったのImg_2759だ。昨日聞いたところではマラガの歌って、弾くのだ、と言ってたので”弾き語り?”と思ってあまり期待もしてなかった。しかも昼の1時からやるといってたので、セントロにいって何か買って来ようと行ったら、多勢の人達が集まっていてマーチングバンド見たいに綺麗な衣装を着けたグループが集まっていた。そのうち演奏を始めて先程見た会場のほうに行進していった。フェリアの何からしくとても良くてずっと見てた。1時近くにガジョに行くと人が一杯で皆飲んだり食べたりしていた。こっちもビールと食べ物を頼んだのだがローレが心配だった。いつも会っているおじさんが「今日のカンテはと言って紙に書いてくれた。{Cancanilla de Malaga, Antonio Moya]「モジャ?どれがそう?」って聞いたら「あの太った髭だ」と教えてくれた。アントニオ モジャディエゴのトーケから自分のスタイルに取り入れているギタリストで名前もCDも聞Img_2762いていたのである。頃合を見計らって小部屋にいるモジャに話に行った。Diegoのことや、使っているギターのこと(ベジードだった)今忙しくて寝不足だなど、色々話してくれた。ついでに写真、とサインを貰って出てきて、思い出してポケットに入っていた、日本の瞬間接着剤を持っていって見せると目を輝かせて「ムチシマ グラシアス。アリガト」と大喜びしていた。ところで多勢のお客のなかでしゃれたイケ面の若者がいて他のおじさんが「あれはJuan de Juanだ」と教えてくれた。俺は日本で踊りの公演は全くと言っていい程見ないので顔も知らなかったけど、こっちを向いて挨拶してくれたので「ブエノ」といった。オスタルにすっ飛んで帰ってビデオを抱えてきた。Moyaなら音だけでも取りたかったからだ。Solea, Tientos,Siguiriya, Buleriaが1部のヌメロだったけど、それは良いものだった。マラガからのカンカニージャは気合が入っている様で若さ溢れる良いカンテだった。(後から聞いたらCancanillaはもうベテランの歌手なんだって、知らなかったぁ)今風のカマロンスタイルではなくてプーロなフラメンコだった。初めて生で聴くモジャは随所にディエゴのファルセータを自分流に変えて弾いていた。どれがディエゴのものか、それが何処から出てきたのかははっきり知っていたので、聴いていて楽しかった。モジャのギターは今風のチャカチャカしたのではなくて正統に近いものなんだ。ブレリアの時Jua de Juan ともう一人が舞台に上がってパルマに付いた。
2部はSolea Por Buleriaで次に「Fandango かBuleria?」と客に聞いたら多勢が「ブレリア!」「トロがあるからよ」と言ってたけどカンカニージャは無視してFandangoを唄ったけどよかった。ブレリアも唄って踊ってと大活躍だった。Jua de Juanは最後まで踊らなかった。さてお客さんなのだが、フラメンコを皆良く知っていた、パルマも叩いている御婦人もいたりと、バルセロナの比べてもこっちの方がプーロだった。ところでビックリしたのは、この凄いカンテの公演が自分達が飲んだり食べてたりした勘定だけだったのだ。二人で飲んで食べてE10もかからなかった。これにはビックリ!モロンでこんな濃いカンテを聴けるとは思いもしなかったので、やはりツイテるのかな?

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2007年3月14日 (水)

あんたにゃ負ました。

カミさんは疲れたいたけど夕食を食べなきゃいかんので、街に出かけた。歩いていると今夜日本人のピアニストのコンサートがあるらしかった。Mie Matumuraという女性だった。オリエンタル劇場の前は金持ちそうな人達が三々五々集まってきていた。日本人として応援したい気持ちもあったのだが、カードのこともあって断念してしまった。前に寄ったレストランに寄ったらカミさに「帽子を忘れたでしょう?」といって奥から出してきてくれた。前に他の所を探したことがあって、あきらめていたのだ。何時来るかも解からない客のために保管してくれていたのだ。これには本当にビックリしてしまって、感激してしまった。カミさんは財布をグラナダの置き忘れてそれまで相当落ち込んでいたのである。こんなことがあるんだなぁと思いながら美味しい食事を取った。この後ガジョに言ったら相変わらず奥さんは不機嫌でペペも変わらなかった。横を見ると、Img_2721マヌエル が指に包帯を巻いてるではないか!?「どうしたんだ?」ときいたら、金槌で指を潰したんだと。。Ofuuuu.”俺はお前にちょっとでも教えててもらいに帰って来たんだよー、何でー?」彼は喉を切る仕草をして、ハァーって感じで早く帰っていった。どうすんだよ?もういいやってって感じだったけど、奥さんのローリに「アンタ首が凝って肩も痛いんだろう?」言って聞いてカミさんが少し揉んでやることにした。その間お客も少なかったのでペペに頼んで弾かしてもらうことにした。ディエゴの絵の前で。前が今一だったのは好きなように弾けなかったので自分の思い通りに弾きたかったからなんだ。本当にMoronで”PenaGallo”のDiegoの前で弾けるなんて夢みたいな事だった。お客のおじさんが寄ってきて「20年ぶりで聴いた」とか年配の奥さんがちゃんと聴いて目で合図してくれたり、他のおじさんがパルマ打ってたり、最後には耳元でガンガン言ってくるのでImg_2724弾けなくなってしまった。そのうちペペがきてもう本当に唄いたくてしょうがないみたいで、唄い始めた。ソレア、カンテに集中して聴いて、弾いて、他から見れば下手クソかも知れないけれど、俺にとっては大変なことなんだ。それでもペペは新たに客入ってくると相手をしに行かなくてはならないんだけど、その残念そうな後姿はよくわかるよ。ペペは本当に仕事よりカンテが好きなんだ。そのうち客の夫婦のおじさんがローリに聞いたらしく「俺にもマッサージをしてくれないか?」と言ってたみたでカミさんが揉んでやることにした。俺はその間ディエゴの前でソロを弾いてて最後にグラナイーナを弾いた時本当に少し泣いてしまった。俺はToque de Moronが好きでディエゴが好きだけでずっとやってきて、誰が聴こうが聞くまいが、ここで弾くのが夢だったんだ。普通の半分も弾けなかったけど、俺にとってはもう充分過ぎるほどで、本当に胸が詰まってしまった。だってそれ以上の物なんか持ってないんだもの。本当にこれだけがこの旅の本当の目的だったんだ。出来るとも思ってなかったし、俺って幸せだよなぁ。と俺が感激してたら、叔父さんの治療が終わってご機嫌で腕を振り回してた。聞いたらここ何日か肩が痛くて回らなくなっていたらしいのだ。それでも他のグループの奴がマッサヘってプータ(売春婦)がやると言って大笑いをしていたのを聞いてるので「馬鹿野朗プータが腕を直せるのか?」と啖呵きりたかったけど、隣の男はハエンの出身で英語も解かるらしく、日本のマッサージについても良く知っていた。そしてカミさんが言うのにはE10稼いだんだと、えっ15分で稼いだの?ってきいたら、「いらないって言ったんだけど、くれるというので貰っちゃった」「えぇーっスペインで稼いだのかぁ、参ったなぁ」それで帰るときお金を払おうとしたら受け取らないんだ。俺はもう夢がかなって幾ら払ってもいいと思ってるのに、いいからと言って受け取ってくれなかった。本当になんていっていいか言葉もなかったよ。カミさんはご機嫌で風呂に入って歌なんぞ唄っている始末なんだ。あんたにゃ負けたよ。ハイ。。他の客とすぐ友達みたいになじんでるし。何なんだよお前は。。。

追記:マヌエルに俺達がモロンを去ってその後ウトレラ、レブリハ、グラナダのフラメンコについて言ったら、ウトレラの人達はよく知っているみたいだった。グラナダについて聞いてみると「あそこはひどいよー、フラメンコなんて無い」と顔をしかめて言ってた。ヘレス、カデス、セビージャ、ウトレラ、モロンはフラメンコを持ってるけどグラナダは?と言って肩をすくめてはき捨てるように言っていた。俺が思ったことはあながち間違っていなかったかも知れない。それでも奥底に隠れているのかも知れないとも思っている。

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団塊のバックパッカー

2月24日(土)晴れ 16日目 グラナダ~再びモロンへ
朝8:18の列車でセビージャ行きに乗るので、レアル広場まで歩いた。駅まで歩いて行くつもりだったけど、タクシーが来たので乗ってしまった。が駅まで乗ってみると遠くて、よくここを歩いてリュック担いヌエバまで行ったなぁと我ながら感心してしまった。それで早く着きすぎたけどコーヒー飲んで時間潰し。列車は7分遅れで出発した。乗ると直ぐにパンと生ハムとビールで朝食。朝靄Img_2710の中をオリーブ畑の中を縫って走るのだが陽が差すに従って朝霧が牧草の上から立ち上っていくのが解かる。アンダルシアの雲は地上から立ち上っていくみたいだ。闘牛の牧場や建設中の建物などをぼうっとみているうちに眠ってしまった。サンタフスタ駅からカミさんは歩いて行くかバスで行くと言ったのだがタクシーで行くことにした。これにはE10掛かったけどあの距離を歩いていけないよ。バックパッカーなのにタクシー乗ってちっともそうじゃない、と言うが、年寄りなんだからな。バス乗り場でモロン行きの切符売り場が無かったので聞くと、14時に開くとか言ってるみたいだったが他で聞くとどうやら1時に14番乗り場で直接買うらしい。1時間近くあるので近くのバルでビールを飲んだ。以前来た時は物乞いや、やばそうなのがいたけど、今は全然見かけなくて治安はいいようだった。今度はバスなのでカミさんはぐっすり眠ってしまってた。1時間ほどでモロンに着いたけどここが何処だか解からない。まぁ登って行けばいいだろうと、思っていったらセントロの横に出た。一休みしてガジョに寄ったら、ペペは相変わらずで奥さんは憂鬱そうな顔をしてた。ビールを飲んで隣の人の”肉の煮込み”をたのんだら、これが抜群に美味しくてオリーブ油の角煮みたいだった。Hostal Moronタルーゴは同一の経営らしく予約していたのはE57だった。もっと安いのはないのか?と聞いても無いの一点張りで鍵をもらったのは別の建物の一番Img_2713高い(値段も)部屋だった。以前とは雲泥の差だったけど、まぁいいかと思ってしまった。TVではビートタケシの若い頃のコントをやっていて(勿論スペイン語の吹き替え)変な感じだが、カミさんは喜んで見ている。外に出てカードでお金を引き出そうとしたらカードが返還されて引き出せない。何回か他所の所で試しても同じ。何故なんだ?昨日あたりからそんな事が続いて、等々何処からも出なくなってしまった。お金が無かったら一体どうなんだろう?と思ったけど別の予備のカードを使ったらちゃんと出たので一安心。もうこのカードは使えないのか?不安は残っている。今回これ程不安になった事は無い。

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一体こりゃァ何だァ!!?

お金が飛ぶように消えてく気がする。カードで落とそうとしたら上手くいかなくてあせってしまった。新Img_2698市街のコルテイングレスで漸くCDやDVDが売っていたが、トリアーナのCDを買っただけだった。これは多分日本には来ないだろうと思ったからだけど、カマロンなんかは入るだろうからね。グランビアの”VIa Colon”という凄く綺麗なバルでビールでタパスをつまんだけど舞茸みたいなのが少し苦くても凄く美味しかった。バーテンが良い人でピメントも少し食べさせてくれたけど、E17だった。舞茸だけでE10でも美味しかったのでOK.
教えてもらった”ESHAVIRA”に言ったけどまだ早すぎてお客もいなくて、只そこはフラメンコのImg_2699匂いはしたけど、多分夜中過ぎにならないと人も来ない所だと思った。今夜はフラメンコはやらないらしく(ここの人達はショーをやる事がフラメンコをする事と思っているらしい)音楽はLIVEの中々良いフラメンコを流していたけど、明日は早いのでそこまで待っていられないので、昼間ポスターで見た、近くのカフェに寄って行くことにした。さっきのバルの路地を入ったところの広場で場所を聞いたらすぐ傍だったので行ってみると、ギターが中から聞こえてきてどうやらもう始まっているらしかった。食事はいらないから、飲むだけと言って次の間みたいな所に座った。後ろにはアメリカ人家族がいた。ギターと踊り手の娘がやっていて、何だかタンゴみたいだな?と思ってよく見ると一体これが何なのか?さっぱり解からなかった。コンパスなんてものはカケラも無くてただガシャガシャ弾いていて、それもやけになってパホーマンスで弾いてるだけでとてもフラメンコギターじゃないのだ。(本当に!!)踊りの方も一言でいうと”ゴーゴーフラメンコ”(解かるかね?)只それらしく動いているだけ(本当なんだから!)一体これ何やってんの?生まれて初めてこんなの見てビックリしてしまった。(後で考えたらこれの延長がタランタスの若いお兄ちゃんの踊りなんだ。)終わったら一応礼儀として拍手したけど、ギタリストは俺のギターケースを見て気にしてたみたいだけど、それよりお前の弾いてるのは一体何なのだ?と聞いてみたかった。とにかく驚きを通り越してあきれて笑ってしまった。若いのがこんなインチキなフラメンコもどきをやって、観光客相手にパホーマンスをしているのかも知れないが、これなら、日本のフラメンコの教室で習っている人の方が余程ましなのは確かだ。むしろ考えさせられたのは、こういうのを寛容しているグラナダのフラメンコ達がどうか?という事なんだ。自分たちはファミリーでフィエスタをやって、それが本物だから他所からの奴等なんかにはインチキでも何でも見せてやってればいいんだ、という考え方なんだ。それは他所から来たものにはグラナダのフラメンコはそんなものなんだ。と思われても仕方のない事ではないかと思う。だって見せられるものはそんな物しかないんだから。ともあれビノを飲Img_2663んでとっとっと帰ることにした。E5。これでもっとお金を取ったら気分悪くなって吐いてしまったろうけど。カミさんと大笑いしながら、なごやかにオスタルに帰ってきた。明日は早いのでちょうど良かったよ。もうグラナダには来なくてもいいや。多分グラナダには他に凄いフラメンコがあるんだよ、きっと。そんなに見れるほど安かぁないと言うだろうけど、別にどうだっていいんだ。

それともグラナダのフラメンコは強かなのかもしれないが、”タラントス”で見たアルテスタ達の身内のフィエスタがどれ程のものか解からないけど。10倍の凄さを出せるとも思われないのだ。彼らが演じたものの180度全く違ったものが出てくるとは思わない。何故なら普段出している技量やアルテからかけ離れたものというのは想像できないし、ありえないと思っているからだ。”タランタス”の延長にその凄いフラメンコがあるのだろうけど、あの延長のものなら特に自分にとってはあまり関心も持てないな、というのが今回のグラナダのフラメンコにたいする観想です。勿論間違っているかも知れないけれど。ファン マジャマノレーテをだしたグラナダは何処に行ってしまったんだろうか?

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ゴメレス坂

AM9:00荷物の整理をして広場の近くで朝食を取ってオスタル オーストリアを10時に出た。リュックを担いでマリアナ広場の傍のオスタルに行ったらおばぁさんが相手をしてくれて部屋に入ることが出来た。荷物を置いて一休みしてから街にギターを担いで出かけた。王室礼拝堂はやはり凄くて感動を与える建物だった。学校の生徒達と一緒になってしまい入り口は混雑したが中に入るとそれ程でもなくゆっくりと観ることができた。
それからゴメレス坂のギター屋さんに向かった。初め入ったお店でシ-プレスの中々良いギターImg_2681があって弾かせてもらった。シープレスじゃないのと弾き比べてみても大分違っていたけど、値段を聞いたらE1800(38万円位)だった。そこは女の人だけで工房ではなかったので、一番上の左側にあるお店に入った。おじさんがギターの弦を外していて奥で男のギターの修理をしているようだった。1本を弾かせてもらっていたら、おじさんが時折にやっとして、頷いていた。初めお店の人かと思ったが、どうやら自分のギターの弦高を直してもらいに来てたみたいだ。そのうち「自分のギターを持って来たんだけどコンディションが悪いので見て貰えるか?」と聞いたら「いいよ、タムラか?」聞いてきた。「そうだ」と言うと「タムラはいいギターだ、もう死んだけど」と言ってとても良く知っていた。ギターを取り出すとヘッドを指差して「タムラだ」と言い音を出してみた。「中々良いギターだ」と言ってさらに弾いて「これは表面板を取り替えれば凄くよくなる」横にいたおじさんもギターをとって傷だらけなのを観て「Ofuuu」と漏らしたが「このギターがそんなに良いのか?」と店主に聞いていた。「勿論タムラは凄く良いギターで、アビチュエラも使っていたんだ」と言ってタムラの良さを強く言ってたので嬉しくなってしまった。「このギターを直すのにどの位かかるのか?」「15日くらいかな」さらに「いくら掛かる?」と聞いたら「E3500だな」「えっE3500?]「でImg_2683も直せばE6000で売れるぞ」と言うので考えてしまった。だってさっきのギターがE1800だぞ?「それじゃぁ売ろうかな?」と言ったらおじさんが「こんなギターがそんなにするのか?」と驚いて「本当かいな?」店主「するよ、それだけ良いギターなんだ」「じゃあんた買ってくれない?」と冗談で聞いたら「俺ならE350だ」だと。おじさんもグラナイーナ弾いたり楽しい一時を過ごしたのだが、他の客も入ってきたのでお店をでた。もう1軒のギター屋にも行って見せたけど「いいギターだよ」と言っただけで、修理はしてないらしく、タムラも知らなかった。」あまりいい腕ではないみたいで、フラメンコギターは置いてなかった。スペインでギターを買うと皆とても良く鳴るのだが日本に持ち帰るとこんなはずじゃなかったということがあるけど、日本の湿気を一旦ギターが吸い込んで鳴らなくなるみたいだ。それと弾く場所によって、凄く響く場所で弾くと良く鳴っているみたいに感じてしまう。余程気をつけないと高い物を買うことになってしまう気がする。それでもギター屋さん巡りはとても楽しいものだった。一杯弾かせてもらったし、充分良い体験だった。
もう一つは土地のフラメンコが集まる場所を教えてもらうことだ。そこでも教えてもらったのだが、同じ場所のお土産やさんに入ったら、店の人が日本の女性でもう10年もグラナダで暮らしているらしい。グラナダのフラメンコの事を聞いたら良く知っているみたいで「グラナダは観光用のフラメンコとは別に底の方に隠れるようにして、そのファミリアのフィエスタや、限られた場所にある」のだそうである。それは観光客では見られないだろうし、解からないだろろうとの事だった。そうだろうな、と思ったけど「土地のアフシオナードが集まるバルはありましか?」と聞いたらすこし考えて「今日は金曜日だからやっているかも知れない」と言ってバルの場所と名前を教えてくれた。そこは地元の通の人が行くところだと聞いて、その場所に行って見ることにした。そこに行くのに何人もの人に聞いて皆親切に教えてくれたけど、バイクに乗ったお兄ちゃんがその場所に連れていってくれた。そこは昼間でも入るのを躊躇うような寂れた路地の突き当たりにあり、入り口の看板には「Flamenco y Jazz Bar ESHAVIRA]だった。場所はわかったので、近くのバルで今回初めてスパゲティーを食べてビールとサングリアを飲んでゆっくり休んだ。夜行ってみてやっていなかったら、もう一つのカフェに行ってみようと思って帰って一眠りすることにした。PM3:00

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20年は長いなァ。。

サクロモンテの洞窟タブラオに行くことにした。オスタルでチケット購入。E25.タクシ-で行くのか?と聞いたら広場からバスが10時に出るとの事。ヘェーと思って9時過ぎに出ようとして聞いたら9時だと言われあわてて、バスに乗ったら、どうも様子がおかしい。あんた達は10時だと言われ降ろされてしまった。近くでビールで腹こしらえをしてバスに乗った。どうやらアルバイシンからのアルハンブラの夜景ツァーも付いていたらしく、ニコラス教会まで、途中で降りて歩いて行った。(小雨の中)夜のアルハンブラはやっぱり綺麗でこれが見られただけでも良かったなぁ。20年前にも河の辺を歩いて帰った時も下から見たやっぱり夜景は綺麗だったけど、途中で絡まれたりしたから、アルバイシンの上まで夜なんかとても歩けなかったもの。それから、アルバイシンを下りていったのだけど小型ながらバスなのでジェットコースターみたいでスリルがあった。
20年ぶりの「ロスタラントス」は大きくなっていて、一つしかなかった部屋が二つあるようだった。20年前も今回も学校の生徒達が来ていて今回は高校生みたいで、前回はフランスの中学生の修学旅行だったなぁ。
肝心のフラメンコは?というと、これは全く様変わりしていて、昔は家族でやっている感じがしたけImg_2647ど、今は寄せ集めという感じで、”お仕事でやってます”という雰囲気だった。踊りは?というと力任せの踊りで、1番初めに踊った娘はヒターナって感じだけど、無表情に(踊りも)踊っていて時折はずしていた。それでも観光客相手なのでなんていう事も無く、ごまかしても解からないし、へいちゃらさ。ドカンドカンとやっていれば客は大喜びするんだからちょろいものよ。次にタティーというルンベーラが唄ったけどこれもまぁまぁでこのくらいは普通やるよね?ってとこ。その次はカホンを叩いてた若いのが踊ったけど、アメリカ人のタップダンサーが踊っている様で、とてもフラメンコにゃ見えなかった。あれがヒターノだったら笑ってしまうけどな。ギターも音を一杯使うだけで、音が余ったり、はずしてたりで、何だか勝手に弾いて、勝手に踊っているみたいだった。カンテも太った男だったけど、あいも変わらずカマロンタイプで高い声で普通に歌ってるだけ。たいして感じるものも無い。最後に年取ったヒターナが踊ったアレグリアスはさすがに昔の良さを少し残していたけど、やはり中途半端な気がした。とてもじゃないけど、”Zambra”なんてぇのは何処を探しても出てこなかった。20年前はまだペペアマジャなんてギタリストが凄く個性的なギターヲ弾いていたし、家族のヒターノらしい濃さが出ていたきがする。20年経つともうそんなものは消えてしまって、受ければ金になるし、グラナダのフラメンコといえばサクロモンテの洞窟と名前が知れ渡っているので、苦労しなくても金が稼げるのかもしれないが、その代り良い物が消えてしまったみたいだった。今ではショーの合間に物を売りつけようとする事もないのだ。ショーの合間にマリキージャや他のアルテスタの事を聞いてみたけど、何だか皆でその人達を馬鹿にした口ぶりでこれにも気持ちは良くなかったな。手前ぇらのフラメンコで先輩達を馬鹿にできんのかよ?と思ってしまったよ。それでもここまで来た事には後悔してないのだ。実際に見なきゃ解からないし、違っていても、自分で見て感じた事だから、それでいいんだ。本当いうと明日帰ってもいいんだけど、せっかく来たのだから、何か他の物を探そう。

ここのアルテスタ達は絶えず時間ばかりきにして演じてた。時計を見ながら踊っていたし、自分の時計を指して踊り手に教えてたり、時間を稼いだりと、全く観光客の時間調整の為だけにあるフラメンコなのだ。勿論その裏には彼等だけの本物?のフラメンコがあるのには違いない。それでも尚感じられるのは、もう違うフラメンコになってしまっているのだろうな、と想像できてしまのだ。グラナダもヘレスもモロンも今に皆同じ様なものになってしまうのかも知れない。そしたらそんなにも惹き付ける物が薄くなって只の音楽になってしまうだろう。濃い熱いものが無いなんてそれはもうフラメンコじゃないんだ。フラメンコという名前がついた音楽でありバレーなのだ。スペインがこれじゃ、日本なんか着物着てようが、下駄はいて踊ろうが、日本語でなにやらそれらしく唄おうが、何しようが、フラメンコです、って言えばそれが通っても当たり前なのかも知れないなぁ。皆ここで現代風?なのしか観られなく、教えられないとしたら、何やってもいいんだって。。。。

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2007年3月13日 (火)

こんな風になると思ったけど

2月22日(木)小雨 14日目 セビージャ~グラナダ
AM6:00オスタルから出たら雨で外は暗くて人通りもまばら。デュウケ広場に行ったけど、タクシーも見つからない。困ったなと思って歩いていると、タクシーが遠くにいたので呼んでサンタフスタ駅まで。キップを買おうと書いておいた物を見せたら、16.00、と20:00発と言われたような気がしたので困ってしまった。一休みしていたら親切なおばあさんが色々と面倒みてくれて、もう一度切符売り場に行ったら、横に時刻表があるじゃないか。それを見てもう一度取って返して「この列車に乗りたいんだ」と言ったら受け付けて、往復切符を買ったのが間違いだった。帰りの何便まで決まってしまうのを考えて無くて、向こうが適当に割り当てたようで今日の3:40頃の列車になっていた。グラナダに着いて変更したらE10も取られてしまった。駅からプラサ ヌエバまでバスで行こうとしたら、乗り場が間違っていて、行けども見当たらないのだ。やっとあったけど、もう半分以上歩いた所でこれなら」歩いていこうと、根性で歩いてしまった。スペインに来て歩いてばかりである。しかしこれが、今日のImg_2564歩き収めではなく、もっと酷いことになるとは思わなかった。プラサヌエバ広場のおじさんに聞くとゴメレス坂の上にはあるという事で一番近いオスタル オーストリアに行ったらお姉さんが今夜だけは開いているといって、明日は駄目だという。もう重い荷物を担いできて草臥れていたのとE35というのもあって泊まることにした。一休みして他のオスタルも当たったけど皆明日は駄目といわれ、何で?と思ったけど軽く考えたのが後で苦労することになった。ゴメレス坂はアルハンブラに向かう道なので、これも軽く考えてちょっと覗いていこうと思ったくらいで歩いていったのだが、切符売り場ばで大部登りで相当な距離歩かなければならなかった。カミさんはすでに顎をだしてしまい、休みながら漸く辿り着いたら、何と当日券売り場は長蛇の列で、帰るわけにもいかず、並ぶことにした。1時間並んでいよいよ入ろうとしたら、警察みたいなのに止められてあと2時間も入れないといわれた。”何だよ?”と思ったけどキップは買ってE10しまったし、待つことにしたけど雨は降ってくるで、踏んだり蹴ったりだ。カミさんは疲れ果てて口もききたく無いようだが、レストランで時間を潰すことにした。前のカフェでビール、サンドイッチ、ガスパチョ、魚のスーピ(熱い)をたのんだ。ガスパチョは夏のスープだけどメニューにあって、頼んだら美味しかった。カミさんの魚貝のスープも美味しかったらしく、少し機嫌が直ったけど疲れているのは仕方ない。「これじゃ今夜はフラメンコ見るどころじゃない、寝る!と言って怒ってたけど、こうゆう事があるような嫌な予感がしていたので、でも言い出したのはカミさんなんだけど、とも言えず黙ってた。ようやくj巻がきてアルハンブラに入った。以前ツァーの時は行かなかったアルカサールの上まで登っただけImg_2603で、自分の足も初めておかしくなり、疲労の極致にきたんだと思う。ゆっくり宮殿を観たがやはり凄かったが、ライオンの庭は修理中で肝心の所は写真に撮れなかった。フネラリーフェに行くどころではなく帰る事にしたが、バスが出ていたのでE1これなら行きもバスにすれば良かったけど後の祭り。広場から電話しても近くのオスタルに行っても明日は満室で「何で?」と聞いたら週末で自転車競技の何かあるらしく、こりゃ甘くみたなぁと不安になった。ギターを持った青年がいあたので「フラメンコ弾くのかい?」って聞いてみたらどっちかというとボブデュランだって。話のついでにオスタルの事を聞いてみたら相当考えて教えてくれたけど解かり難くそうだったので連れて行ってくれるという。付いて言ったら寂しい道でここが何処かも解からない。やばいなぁと思っていたら、あそこだと教えてくれて分かれた。疑ってしまってゴメンネ。2軒あったオスタルは1軒は満室でもう1軒はE60だという。もっと安いのはないのか?と聞いたら強気でこれしか無いという。一旦帰りかけたのだがカミさんがしょうがないから泊まろうというので、再び入って頼んだらその場で現金払いになってしまった。いいよ別に金が無いわけじゃないと思っい受け取りもらってそのオスタルを後にした。広場のバルでビールを飲んで帰ってやっと熱い風呂に入れた。セビージャのオスタルはろくにお湯も出ず、タオルも結局持ってこなかったので、面倒臭いので入らなかったのだ。久しぶりに入って気持ちよかった。PM7時

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ケ パサ ナダ

一眠りして宿泊代を払って外に出かけた。ブラブラとヒラルダの方へ歩いてお土産を買って”ロスガジョス”に行ったら8時からなので、カミさんを近くのバルに置いて、近所を一回りしてImg_2537きたらもう人入れが始まっていた。隣の客は日本からの新婚さんで久しぶりに日本語でお喋りした。ショーが始まりパタ デ コーラのアレグリアス、若い人のシギリジャ、フェステーラのタンゴ、そしてソレア、ヒターナのタラントス、最後にカーニャ、Fin de Fiestaと2時間びっしり、それは良い時間が過ごせた。セビージャのタブラオはバルセロナに比べると洗練されていて、全員が良いアルテスタだったと思う。とても楽しめた。E27.特にタラントを踊ったヒターナとシグイリジャの若いのは対照的だがとても良かった。ヒターナの方は一見地味だけど、よく見ると、凄く惹きつけられる踊りで昔のヒターナの踊りじゃないかとおもわされるものがあった。若い衆の方は動きの切れの良さは抜群でこれも良かったです。バルセロナと比べてもこっちの方がやはり優れている。来てよかったよ。やっぱりフラメンコはこのくらいの空間で見るのがいいなぁ。終わってからセビージャにきたら必ず寄ろうと思っていた、自分の拘っている場所、”カルボネリア”に行った。12年前と比べてそれ程変わっていると思わなかったけれど、中の人は全く変わってしまっていた。以前来た時はペペ島田さんの事を聞いたらすっ飛んできたカマレーロもいたけど、今では誰も知ってはいなかった。ファン デル ガストールも毎晩来てたみたいだけど、今では決まった日にしか来ないらしい。バルで日本人の人と話したらもう12年もセビージャに住んでいるみたいだったが、もう半年近く仕事が無いらしく、長く住むのは良くないみたいだった。入った時ピアノの生演奏と歌があったのだが、何とそれはカブレロの息子という事だった。フラメンコは決まった日にしかしてないらしかった。が一休みして飲んでると段々人が増えてきて、カミさんがギター持った人が行ったよ。というので広い部屋に戻っていったら、人が溢れていたのでビックリしてしまった。どうやら舞台でアフシオナードのカンテソロをやるらしく、座って見る事にした。
最初にSolea de Alcalaを歌って次にAlegriasを唄った。アレグリアスは知っているレトラばっImg_2553かりで楽しくてハレオを一杯掛けたら、隣の人に見られてしまった。それで一休みでカンタオールに色々聞いたら、名前はアルフォンソ ミゲルといってトリアーナ育ちみたいだった。カミさんはまだ居たそうだったが、明日があるのでそれで歩いて帰ってきた。もう1日いたいなんぞと言い出したが、二人ともご機嫌で歌いながら、深夜のセビージャの街を歩いて楽しかった。最近カミさんがよく言う言葉が”ケ パサ ナダ” (問題ないね)なんだけど?。

今度はカミさんが”フラメンコを探す旅だぁ”と言い出した。何のことやら?聞いたら普通の人のフラメンコをみたいんだって、だからグラナダに行きたいんだそうである。洞窟のフラメンコを、何で?って聞いたら、だってヒターノの家族がやっているわけでしょ?だって。そりゃぁそうだろうけど、それって普通の人のフラメンコかい?普通の人がやっているフラメンコったって、そんなのちょっくらちょっととはないっしょっ?俺なんて今まででジューブンで、そんな期待は持たないことにしているのに、女はずうずうしいよなぁ。よくそんな大それた事を考えるとあきれてしまった。明日がおもいやられるよ。大変だろうなきっと。。。

後記:後で”ロス ガジョス”のプログラムで見た出演者は次の通り、ただ誰がでてたかわかりません。
Bailaoras:Meme Menjibar,Manuera Rios,Soraya Clavujo,Almudena,Lidia Moron,Isabel Lopez, Ana la Marquesita
Bailaores:Juan Ogalla,Pepe de Moron,Felipe Mato
Cantaoras:Inmaclada Rivero
Cantaores: Paco del Viso,Moises,Enrique de Moron,Juan cantarote, Jesus de Utrera
Guitarristas:Ramon Amador,Miguel Perez, Jose Lius "Molito"Rafael Rodriguez            

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歩く歩く、カミさんはご機嫌斜め

2月21日(水)晴れ 13日目
朝さ9時頃オスタルを出てバルでクロワッサンとコーヒーで朝食。トリアーナに向かう。以前あっImg_2508た橋の傍の陶器市場は無くなっていて大きなメルカドになっていた。今回焼き物を買おうと思っていたのだが残念。トリアーナはフラメンコの発祥の場所のひとつだが元よりポット出の観光客が、それが何処にあるのか?解かるはずも無く只あてどなくトリアーナの町を歩いていた。それでも何軒かのバルで聞いてみたけど、よく解からなかった。俺は歌って踊れるんだというおじさんもいたけど、朝の11時は皆働いていて居る時間であり、おじさんも忙しそうに仕事に戻っていった。街からカンテが聞こえるわけもなく、カミさんは歩いているのが辛くなり不機嫌になっていた。そんなに簡単にフラメンコなんか見つからないんだよ。黄金の塔の橋からロペデベガ(劇場)に歩いて行って今夜の催しを確かめたら「ピパとそのカンパニー」だった。カミさんは見たくないというし(昨夜みたいなのは)そのまま、スペイン広場までまた歩いた。初めてここにきたのが20年以上前だったので少し懐かしかった。やはり団体客が多かった。少し休んでもカミさんは不機嫌でこっちも疲れているのでいい気はしない。明日行くグラナダの日本語センターにも電話したけど希望のような安い宿は無いみたいだった。サンタクルス街で食事をしようとしたけどバルが多くレストランが見つからなかったので ヒラルダの前の中華料理店に入った。中華や日本料理のお店にはスペインでは入ったことが無かったので今回が初めてだった。これが大当たり。定食もE6で春巻き、酢豚、チャーハン、コーヒー、ビノで全てが美味しく今までお米をちゃんと食べてなかったので、ようやくカミさんはご機嫌になった。さっきまで開いていたホセルイスポスティーゴのお店は閉まっていてオスタルに帰ってきた。このオスタルは湯船の栓も無く、言ってもシャワーのみで使うんだとくれなかったし、バスタオルも2日目には無く今までと比べてもあんまり良いオスタルではなかった。湯船の栓は他でもあったけどちゃんと他から持ってきてくれたぜ。昨夜の事があるので一眠りしてから出かけよう。トリアーナのスーパーで買ったビールとパンもあるし、今度は眠くならないようにしよう。

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眠かった 

2月20日240 テアトロセントラル PM8:30 開演
1部 May Hernandez (cante)
       Nino de la Leo (toque)
       Alegriasde Cadez, Malaguena,Fandango,Buleria
彼女のカンテは聴いた途端何だか習ったカンテだな?と思ってしまった。スペインでもこれなのか?とガッカリ。確かにちゃんと歌っていたけど、それはメロディーの正確さ、声の高低、一応の身振りは見られるもImg_2493のの、一言とで言うと平板でつまらないカンテで、やばいと思ったら本当に眠くなってしまった。ギターは親指使いみたいだったけど、弾き過ぎで、カンテを引き出すというより、削ぎ落としていたみたいだった。テクニックが上手くてひけらかしていて、カンテを支えている感じは全然しなくて、日本とあまり変わらないなぁ。退屈で眠らないようにするのが大変だった。

   Rancapino (Cante)
      Pascual de Lorca(Toque)
      Solea de Cadez,Alegrias,Malaguena deMellizo,FandangoNaturales,Bulerias de  Cadez
ランカピーノが登場して、こんなに体が大きかったっけ?と思うほど大きく見えた。日本の娘さんがどうとか、言って客席を笑わせてから唄い始めた。当たり前だが先程のMayとは雲泥の差でフラメンコとそうじゃないもの位の違いだった。ランカピーノのカンテは声を張り上げるカンテではないけれど、唄い回しの上手さ、レトラの途中のペジスコや歌い上げる時の間など、やっぱりいいよなぁ!!こういうフラメンコは今にスペインでも忘れられていくんだろうか?(悲)皆カマロン風なのばかりになって、渋い大人のカンテなんて好まれなくなるんだろうか?とにかく目は覚めて充分楽しめた。ギターのロルカもピカード使いみたいだったけど、カンテを引き出す良いギターだった。何より弾き過ぎずに、音を入れたのはとても良かった。所々にセンスの良いリズムの刻みやファルセータが入っていて。いいギタリストだなぁと感じてしまった。これだけでE13は安いよ。タブラオに行かなくて良かった。

2部  El Junco (Baile)
          David Sanchez, David Palma(Cante)
          Ramon Amador,Michelle Lacarino(Toque)
          Robert Jaen (Palma)
         Siguriya, Tango(Cante y Toque)Solea Por Buleria, Fin de Fiesta
Juncoって初めて見る踊りだけど、最初に見た途端、またこれかよ、と思ってしまった。つまり現代風ってやつ?確かに振りもかっこいいし、足も凄いとは思う、踊り全体も良いんだと思う。けれどもSiguirya,Solea por Buleriaもじゃ何処がちがうんだ?といえばパロが違うだけじゃないの?って思ってしまう。踊りはどっちがどっちでも大して変わらないんじゃないかと思う。日本でも全く同じ様なのを見てるので、スペインがこれじゃ、日本でももっとひどくてもしょうがないよね。只Juncoは最後の方で”あれっ?”と言うほど面白い動きをして、それがとても粋で良かった。Fin de FiestaではJuncoが歌ってカンテの一人がかっこいい踊りをしたのが良かった。この場面は少しフラメンコらしくて良かった。とにかく見た様な振りが多いし、それ程インパクトのあるとは思えなかった。観客も静かで時折小さなハレオがかかる位だった。

今まで、タブラオ、ヒターノのおじちゃん、テアトロ、と3つの踊りを見て思ったのは、その踊る場所の大きさの違いと、それに伴う質の違いだった。タブラオは割りと狭い場所で踊られる為、飛び跳ねたり、舞台の端から端へ動き回るというわけにはいかないのである。おのずとその動きは制約されるのだが、その分見せ場を作らなければならないので、どこを観客を惹き付けるかを考えているのだと思う。今回感じたのは”足”だった。バルセロナのほうがJuncoより余程強くて切れもあり、動きもきびきびしていた様に思う。Juncoの方は動きの大きさ、見せ方は優れていたかもしれない。ヒタノのフィエスタで踊る場所はテーブルの周りだけの空間だった。つまり今までの言った踊り方なんてできないのだ。しかし3つの中で一番印象に残っているのは間違いなくヒターノのおじちゃんの踊りだったのだ。これは自分の好みの問題かも知れないけれど、おじちゃんの踊りは踊りたくての気持ちの発露で動いてしまう、その場限りの一瞬の踊りで2度と同じものは踊れないんだと思う。その違いがコマーシャルなフラメンコとそうでない別なものの違いだと感じた。そして踊っている人の魂の場所も違うんだきっと、上手い下手じゃないんだ。フラメンコの純度の違いなんだよ。
5合のアルコール度30%のお酒を1lの水で薄めると味は希薄になってしまい同じ濃度にするためにはそれに色んなものを付け加えて同じ様なものにしなければならない、けれどそれはもう同じ酒とはいえない、舞台も同じ様なものかも知れない、と思った。空間が大きければおのずとそこにそれまでの物に何か付け加えなければ観客を惹きつけられないのだ余程純度が高ければ別だが。バレーだってオーケストラが無ければ成り立たないのではないかな。だから小さな場所でやっていたフラメンコとは違っていくのも仕方のない事なのかもしれないな。ここで疑問、スペインでテアトロ仕様の踊りを習ってそれを日本のタブラオにそのまま踊っているのはどうなんだろうか?これは現実にそうされてるようだが、なんだかなぁ?

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2007年3月12日 (月)

犬も歩けば。。

街に出かけて本屋によったけどフラメンコの物は無くて、今夜は”ロスガジョス”でも行こうと思っていたのだけど、キオスクで「La Flamenca]という雑誌を買ったら後ろのページにフラメンコのライブ情報が載っていて、今夜は?と思ったら何と!?ランカピーノのカンテがあるらしい。テアトロ セントラルの場所を聞いて歩いていったらなんと30分以上かかってしまった。おまけにまだ開いてなくて(6時頃)チケットも此処では売っていないとの事。疲れ果ててタクシーで帰ってきた。しょうがないや、とおもって歩いていたら以前闘牛のチケットを買ったところで聞いてみたら、コルテイングレの3階で売っているとのことだった。何ということだ。わざわざ歩いて行ったのは何だったんだ。インフォメーションサービスで1枚E13,最前列の2枚が余っていたのでそこにすることにした。値段は皆同じらしい。これで安心したので近くのバルで食事しようとしたら、皆終わっているみたいで、ブラブラしていると1軒のバルからフラメンコヌエボが聴こえてきたので入ってみる事にした。全然流行ってなさそうなバルImg_2490で内装もみすぼらしいテーブルも無いバルでビールを頼んで前を見ると「Huevos de Flamenca]という紙が貼ってあったので「これ何?」と聞いたら美味しそうだったので頼んでみた土鍋に卵、チョリソ、ケソ、トマト、ニンニクその他の瓶詰め、ピメントを煮込んだ物で良い味だった。そのうち何とこの若いバーテンはペレヒールの甥だと言ったのでビックリ!ペレヒールも奥さんもまだ元気でバルも健在だと聞いて嬉しかった。帰りがけにセビジャーナスのCDをもらっしまった。何処で誰に会うかもしれない、こういうとこが嬉しいんだよな。タクシーに乗ってテアトロに行き、開場と共にバルでティントを飲んで、お米のサラダみたいなのが美味しくて2個も頼んで食べた。今日の夕食はこれだけ。

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セビージャ

2月20日(火) 12日目 雨 レブリハ~セビージャ
朝起きて外に出たら雨がひどくて、スペインに来て初めての本格的な雨だった。車に荷物を積み込んで出発、高速でセビージャの向かった。この雨で最初返す予定だったサンタフスタ駅は止めて空港で返す事にした。市内は不案内で混雑していると思ったからだ。やっぱりセビージャの近くは渋滞したが、何とか空港の駐車場に入れた。女の子が車を点検してもうOKと言ったので、ミラーが壊されたのを何と言おうかと昨晩から2人で考えていたのが何のことも無く、行っていいよって事で拍子抜けしてしまった。空港のインフォメーシオンでオスタルのリストを貰ってみたけど、Wの部屋は皆E45~60くらいで、昨夜電話しておいた、」ごえちゃんが教えてくれたHostal Tarajanoに行くことにした。コルテイングレの近くで降りて教えてもらったカジェは間違っていて探していった。電話ではE45だったのだがカミさんが交渉してE40になったのでカミさんはご機嫌だった。11時頃でまだ早かったので荷物を預けて街にでかけた。その前に教えてもらったバルでもボカデージョのハモンが結構Img_2488旨かった。セビージャの街は12年前と変わってはいたけど、大体の様子は前に歩き回っていたので少しはわかったけど、カルボネリアだけはタクシーで行ったので今回は歩いて見に行った。夜来るのはやはりタクシーかな思ったけど大体場所はわかった。セビージャに来ると何か元気になり、いつも見ていた模型屋も健在だった。2時間近く歩き回ってオスタルに帰ってチェックインしてからコンチャさんに電話したらヘレスに行ってるらしく居なかった。カミさんはガッカリしてたけど、そんなもんだよ、と思ってるので別にどうって事じゃないんだ。それよりカミさんがグラナダに行きたいと言い出して困ったなぁ。25日にはモロンに行ってなくてはならないし、あっちへ行ったり来たりで参ってしまうなぁ。今夜はどうしよう。本当に行き当たりバッタリの旅だ。街には観光客が一杯でタブラオ行ってもしょうがないなぁ、気が進まない。フロントは大してバルのことも知らないみたいだし、一休みして考えよう。ハンチングをE15で買う。これは何時も買うけど安いんだ。明日1日ブラブラして次の日は街をでよう。

今回の旅で初めてカミさんに腹が立った。グラナダには洞窟のフラメンコを観る為に行きたいんだと。それは良いのだが、セビージャのタブラオは勿体無いから行くなと言うんだ。どっちが勿体無いのか金が掛かるのか考え方が変だ。一度言い出したら聞かないので行かなきゃしょうがないんだろうけど、こっちが不機嫌になってしまう。ヘレスは短くするしかない。方向も距離も解かってない人に説明できないんだ。自分が思い込んだら人のいう事聞かねぇんだから参っちゃうよ。。。

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2007年3月11日 (日)

Pena Pepe Montaraz

電話を掛けに外にでかけてたついでにスーパーで柔らかいパン、水。ビール、サラダ、サーモンの真空パック全部でE4.5。今一外で食べる気もしないので部屋で食べることに。面倒臭くないのでいいのだが、続くと辛いものががある。何せ貧乏旅行だからね。食べたらペーニャ モンタラスに出かけていった。中はかなり大きく舞台があって3人の叔父さん達がいたImg_2475けど、今夜は何をやるわけでも無いらしい。写真の許可を貰って壁一面の写真を撮った。舞台に向かって椅子が100席程並べられていて、本式のペーニャでレブリハのフィエスタ、カラコレスを主催しているみたいだった。色々な説明をしてくれたけど、アルテスタの名前は解かっても細かい話がわからないんだ。どうやらMoronのPena galloのフィエスタで表彰されたらしくて、カジョの大きなトロフィーが飾ってあった。自分を説明するのにギターを弾くのが解かりやすいと思ったのでちょっと弾いてみたら、少し喜んでくれたみたいで、他の人が来ても「こいつは弾く奴だ。お前歌ってみろよ」と入ってきた髭の男にいったていた。「いやぁ俺は。。」といったけどファンダンゴを唄い始め今度はこっちが困ってしまったけど何とImg_2478か合わせた弾いたけど音を取るのがやはり難しかった。3曲ほど歌ってソレアは唄えないよと言って帰っていった。カミさんはピソの話を持ち出して聞いたけど話は良さそうだった。明日は女の人のカンテがあるらしい、残念だけど明日は頭の痛いセビージャで車を返さなきゃならないんだ。泊まったメジーソは食事が美味しいらしかったけど今まで食べてなかったので帰って下のバルでコリーダトロという肉の煮込みを食べてこれは美味しかった。宿泊代込E47払って部屋に帰った。
今日で目的のアルカラ、モロン、ウトレラ、レブリハ、と全部巡ったのと、その全部の街で地元の人の前で弾いたので良しとしよう。明日からはToque de Moronじゃ無い世界なので弾くことはないから爪も少し切ってしまった。もう半分以上目的は果たしたので後は”おまけ”みたいなものなんだな。ただし、今一良く解かっていないと、自分ですっきりしないのは何故なんだ?

正直いってレブリハではモロンのトーケは今一受けなかったと思う。ウトレラとは人が違っていた。ヒターノじゃない上品な人達からか?よくわからないけど。

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レブリハ

2月19日 (月) 11日目 曇り
朝8:30に出る。バルはドアが全部閉まっていて、外に出られないかと思ったら、1ケ所レストランのドアが開いたので鍵を部屋に置いて出発。どうりで前の日払わされたわけだ。セビージャに向かってA364を走ったらどうも違うみたいで、昨日の道を行くことにした。難なくレブリハには10時頃着いてしまった。オスタルを車で探したら道を間違えたらしく中々その道に出ないので、歩いてセントロに行って教えてもらったバルを基点にしてみたら、すぐ解かった。歩いてバル兼HostalImg_2416 Mellizoに。部屋はありE36で見せてもらった。ここも広くTVもついて綺麗な部屋で、何より中庭が感じよくて決めてしまった。お腹が空いていたので、バルでコーヒーとパンを食べて、車を取りにいったら置いた場所にでるのに又探すはめに。オスタルの前の道に駐車して荷物を部屋に運び込んだ。この時ペーニャがある事が解かり名前を教えてもらって、セントロに見に行った。途中コンチャさんに電話したら出てくれてグラナデでしごとをらしい。明日セビージャに行ってまた電話することにする。ペーニャは門が閉まっていて近所の人に聞くと夜の7時か8時には開くかも知れないという事だった。歩いて教会を見てたりしてImg_2455いたら気分が悪くなりオスタルに戻りカミさんは資格を持ったプロの指圧師なので少し揉んでもらったら、大分楽になった。疲れが溜まってきたのかも知れない。少し元気になったのでギターを取り出して弾いてみた。スペインの床は大理石なのでよく響く。カミさんが屋上がいい、というので上がってみると、小さな洗濯干し場で遠くにアンダルシアの丘や、教会や、町並みが見えてここで弾いてると凄く気分が良かった。カミさんはご機嫌でカンテらしきものを踊りながら唄ってるし、何だかなぁという不思議な感じだったけど、音は飛んでしまうので、周りには迷惑じゃないだろうけど。。弾いていて何時もと違う音が出てきた。。

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酔っ払い

日曜の夜TVではサッカーをやっていた。バルサ対バレンシア 前半0-0試合はバレンシアが押していた。俺だって最近のサッカーブームでロナイディージョの名前くらい知っているんだ。カミさんがよく寝てるので一人で街に出かけた。サッカーの試合がある時はフラメンコなんて無いのはマドリッドで経験済みなので解かっていたけど念のため昨日の店にいったらやっぱり閉まっていた。街を一人でブラブラしてバルで新聞見たりしていて、やはり不動産はここでも高いらしく貧乏人の俺にゃ縁が無いなぁと思ってしまった。他のバルに寄ったら多勢の客が居てバルサとバレンシアの後半をやっていて2-0だったけど、どっちが勝っているのか今一解からなかった。ロスタイムにロナウディージョがフリーキックで1点入れて負けてるのがバルサだと解かった。客は静かにそれを見ているだけだったな。オスタルに帰ったらやっぱり多勢いてTVに釘付けだった。どこのバルにも大型の液晶テレビがあって(2台もあるところも)こういう時集まってくるんだな。セビージャ対何とかマドリッドらしくスコアは0-0だった。それからセビージャの誰かが1点入れてバルの中は大騒ぎに、さっきのバルとは大違いだ。2点目もは行ったときもう疲れたのと、カミさんはこりゃぁもう男の世界だといってとっとっと部屋に帰ってしまった。このときは2人でビノやタパスを何種類か食べてもE15位だった。俺もこの時相当酔っ払っていたけど「部屋に帰るまではシラフみたいにして。酔っ払って風呂に入ったら途中でお湯が水に。。なんだこりゃあ?。。ベットに入っても酔っ払ってどなっていたのがこれ。。
「ウトレラは失ったものを知らないんだ、あんた達はどれだけ大きいものを失ったかしらない。あんた達はそれがどれ程大切なものかも知らないんだ。あんた達は名前だけ知っていて、それがどれ程のものかも知らないで、どんな大切なものが失われたのかも気がつかないんだ。あんた達の宝が失われてしまったのも、それがどんな貴重なものかも。」俺が酔っ払ってがなっていても自然な気持ちなんだ。何ていわれようと、言いたい気持ちなんだ。俺はスペインに来て一番酔っ払っているけど、心の中は悲しみで一杯なんだ。何だかわからないけど。。。

後記:本当に何言ってんだろ?相当酔っ払っていたんだろな?読むのも判読しずらかったもの。でもこの時はそう思ったんだろうから、乗せることにしたのです。

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周辺を巡る

2月18日(日) 10日目 晴れ Utrera~Los Palacios~Las Cabesas~Leblija~Utrea
朝10時頃Tomas Perrateの住所に行って奥さんのやっている美容院も見たけど休みで近くのバルで聞いても解からなかったのであきらめて、近隣にドライブに出かけた。Los Placuos に行って写真を撮ったりしたけど時間があるのでLebrijaに行くことにした。道也に高速に乗ってLas  Cbesasで下りるときカーImg_2421ドで支払う方に入ってしまっいあわててしまった。後ろには車がいるのでバックもできずカードを取り出してやっと発進できた。今まで高速みたいな所ばっかりだったので料金所がいきなり見えたので支払があるとこを忘れていたのだ。そこからレブリハはすぐでセントロに車を止めて教会の写真を撮ってレブリーハやペドロ バカンの写真が貼ってあって少し聞いて見たけど冷淡だった気がした。街は落ち着いた感じで古い綺麗な街のような気がする。オスタルの場所を教えてもらって散歩しながら次のバルに入ったらサッカーバルのようなところで、カップが所狭しと飾ってあった。ここで食べたタラコのサラダみたいなのが美味しかった。帰りにラス カベサスに寄ったら一方通行を逆走してしまい、狭い路をUターンして帰ってきて街はみなかった。2時にはウトレラ着いてしまった。カードで宿泊代を払った。店の前に車を止めたら怒られてしまった。アンダルシアを車で巡るのは結構なんだけど、段々疲れてきて物事が面倒くさくなってるみたいだ。20日にセビージャに車を返すのに後1日あるのに気がつき明日レブリハに泊まろうと思っている。

一休みした後また街に出かけた。セントロから入った大きな広場は人が溢れていて汽車の形をした車が子供達を乗せて走りまわっていた。馬鹿げた事だが我々は曜日をそれまで1日間Img_2440_1違えていて今日が日曜日なのを気がついたのはこの時だったのだ。テラスでは寒くなると外灯のようなストーブが焚かれていた。頼んだものが中々こないのでカミさんが言いにいったら忘れていたらしい。それ程忙しくそれまでも何人の人達が催促にいっていたのだ。久しぶりのイカ墨のお米が胃に優しいとカミさんは喜んでいたけど。ウトレラの広場に座っていると、何だか不思議な気持ちでよくこんな所まで来たんだなぁ、と漠然と考えていた。観光の街でないのは確かで、色んな人がいたが、何かしら仕事をしているみたいだなぁ。

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フラメンコの匂いのする所

  一眠りした後カミさんはまだ寝てるので独りで街に出かけて行った。正直なところ、カミさんと一緒だと悪くはないのだが、自由にならなというか、気を使ってしまうのだ。昔から色々な所へ行くと、独りでその街をあちこち見て歩くのが好きなので目的もなく街を彷徨し始めた。フラメンコが無くとも今自分がウトレラという街に居る事自体が何となく嬉しくて考えも無く歩き回っていた。そのうち帰りがけに覗いたバルにヒターノみたいなバーテンがいたので入ってビールを頼んで「此の辺にフラメンコの集まるバルはないのかな?」と聞いてみた。すると暫らく考えて「そういえば"Calle quitero"に"Sala flamennca"という所があって毎日フィエスタみたいにしているから行ってみたら?」と言われて「そこ何処?」と聞いたら周りのお客にも聞いてくれて紙に書いてくれた。親切だよなぁ。それで元来た路を戻って歩いていると、小さな通りの中からパルマとカンテがかすかに聞こえてきて行って見るとそこはバルとも思えない得たいの知れない所みたいで、入ってみると人相の悪い人達が歌っていたんだ。入っていくと胡散臭そうに見られて普通の人なら引いてしまうかもしれない。ビールを頼んだら、けんもほろろに「んなものはねぇよ」ビノを頼むとマンサニージャが出てきた。ガラの悪いおっさんが俺のハンチングを見て「お前そりゃぁ花屋の被り方だぞ、そいつImg_2415はこやって被るもんだ」と言って何回も被りなおしてくたんだけど、なんだか喧嘩腰に聞こえて、それでも隣で唄ってるカンテは迫力があって良かったんだけど、飲んだら直ぐ出ることにしてたら、何やかにやら行ってきたけど当然言葉がわからないので「後でな」といって出てきてしまった。道々聞きながらやっとその場所に辿り着いたら外に若者達が居て覗いてみたらいきなりディエゴの写真が目に飛び込んできた。”あぁここだな”と思って通りすぎて行ったらそこはいつも通っていたセントロから20mも離れていなかった。看板もはっきりしないし、閉まっていたら誰もわからないよな。一旦オスタルに帰ってシャワーを浴びてE50を細かくしょうとおもったらE15きり返ってこなかった。どうやら宿泊代を取ったのらしかったのだが理解してなかったので険悪な雰囲気になった。

ギターを担いで店に入っていったら、おじさん連中が一つのテーブルに座っていて、ギターを置いて注文しようとしたら、「此処に来て座れ」と言われた。座って挨拶したら”この人はカンテを歌うとか、あっち、こっちの人が色々言ってくるので、何だか嬉しいけれど困ってしまった。けれどもこの空気はフラメンコの空気なんだ。すぐになじみの感じがして自然とニコニコしてしまう。壁には一杯アルテスタの写真が貼ってあって。これは誰?とかはすぐ解かるので答えると皆は驚いて顔を見合わせてたけど、そんなのはどうって事はないんだな。そのうちヒターノのおじちゃんが唄い始めて,益々いいなぁと嬉しくなってニコニコしちゃう。そのうち「お前ちょっと弾いてみろ」と言われ、ギターは他にいなくて、担いできたギターを引っ張り出して、弾き始めた。ディエゴのブレリア。おじさん達は初め何だ?って顔をしてたけど、そのうち、ディエゴだガストールだと声が聞こえてきた。カンテが入り何人もが歌って誰が誰やら解からないけど、えらく面白かった。が回りが興奮してワァワァやっているので、うるさすぎてカンテが聴こえないんだ。これには困ったけど、コードはあまり使わないでゴルペで弾いていた。とにかく相手が酔っ払っているみたいで音程が怪しいやら、聞き取り難いので、何とか辻褄あわせている感じだった。終わると皆が凄く喜んでくれているのが、はっきりImg_2397解かって、自分もこんな所で弾けるとは夢でしかなかったので感無量だった。が日本の人や日本に来ているスペイン人のカンテの伴奏とは全く違ってこっちの方がすごく難しく感じられた。知ってるようなカンテでも全く違って歌っていくので予想がつかないというか、これが地元の人達のカンテの伴奏をすることなのか?と痛烈に感じた。
ところで、このおじさん達は何とランカピーノのファミリー、ペラーテの叔父、フェルナンダの親戚、バンビーノの息子、などとんでもない人達だったのだ。その血縁の繋がりなどはっきりいって説明されてもよく解からなかった。ウトレラの殆どの有名なアルテスタの血縁が集まっていたのだろうか?ペーニャのクーロ デ ウトレラもきて唄った。ソレアも弾いたけどとにかく周りがすごくうるさくてそんな雰囲気じゃないんだ。なんだか凄い所にきてしまったなというのが実感で。でもそれを望んでいたんだよ、本物の普通のヒターノ達に囲まれているんだよなぁ。夢みたいで実感がないんだよ、これが普通みたいで。ランカピーノの甥だかは気に入ってくれてすぐ傍から離さないくらいで、カンシオンブレリアを唄った。やっぱりガスパールなんかとは同じレトラでも全然違うし酔っ払っているけど、よく聴くととても良いんだ。弾く方は難しいけどリブレみたいにして弾いたらぴったりあった。1時間以上やっていてみんな大喜びしていたみたいだった。それからおじさん達は帰り雰囲気も変わったので飲んだ勘定を払おうとしたら取ってもらえなかったので御礼を言ってオスタルに返った。

俺ってフラメンコの匂いを嗅ぎつけるのは今のところまだ上手いのかもしれないと自画自賛してしまった。ポッとウトレラに来て右も左も解からないでフラメンコなんて奥にしまわれていて解からないと思っていてもその匂いを少しでも嗅ぐと足がそっちに引き寄せられてしまうみたいだ。その場所は空気が震えてる気がしてすぐわかる。誰かの手助けがあったわけでもないし、日本人にもまだタブラオを除いて会ったことないもの。
明日は何もないだろうけど、今夜は大満足の夜だった。スーパーで買ったハモンイベリコとヘレスで乾杯しよう。 
Viva Flamenco!!

追記:おじさんの一人が凄くかっこいいブレリアを踊った!!掛け値なしのかっこいい踊りだった。あんな顔で、あんなに気持ち良さそうに踊れるなんて!いいよなぁ。本当に舞台用の踊りじゃないんだよ。マヒターノの踊りでアカデミアの踊りとは正反対のものなんだ。これはちょっと他では見られない気がして得したなぁ。こんなの生まれて初めてみたよ。

カミさんが言うのにはここのパルマは普通のとは違うみたいだ。といった。デタラメみたいに叩いててちゃんと彼らでは合っているんだと。でもこれが本当のヒターノのコンパスってやつじゃないのかなぁ?

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アンダルシア迷走

2月17日 (土) 9日目 雨~晴れ モロン~?~アレハル~ウトレラ
支度してAM8:30出発。だったのに、E38の約束が10%の税金が付くんだと。フン次は違うところにするわい。モロンの出口を間違えてA36?をどんどん走って行ったら山の中に入ってしまい、どうも違うでないかな?と思いながら標識をみて気がついた。全く反対方向に進んでるではないか!30分、100km/h位で走ってしまった。仕方ないので戻ることにした。モロンをまた通り越して、斜めに入る所を直進したら、マルチェーナへの路だったのだ。標識がはっきりしないので解からないよ。腹を括って高速まで行くことにしてやっとウトレラへの入った。そこでも間違えてアレハルに降りてしまったけど、街を通り抜けて又元の路にもどった。人がいる所ではすぐ聞くことだ。街中ではいけど、一旦外にでると家なんか見当たらない平原なんだから。ウトレラへの路に曲がるとあまり時間も経たずに着いてしまった。大きな通りが中心と思ったけど教会があるセントロにいけば間違いないのが解かってきたので、そちらに向かい、セントロの近くで車を止めてオスタルを探す事にしたら、声をかけてきた女性がいて、その人のホテルに行ったらE60だったので、もっと安い所を教えてくれたけどちょっと遠かったので、セントロのバルで聞く事にした。バルで聞いたら鉄道の駅前にあるらしく地図を書いてもらって、そこに行ってみる事にした。お客が色々親切に教えてくれて今までとちょっと違う印象を持った。行ってみると其処はバル兼レストラン兼オスタルでE35だったので泊まる事にして、車を取りにいきバル前に駐車した。一休みの後街に出ることにして、フラメンコの事を聞くとPena Curro de Utreraが今夜は開いてるよ。ということで、街を見学しながら、行って見ることにした。この町は教会が多いみたいで、色々な広場があって中々良い町であった。教会の傍にあったペーニャの隣の人に聞いたら何週間に1回開くらしく今夜は開かない。ときっぱり言われて、がっかりしてしまった。モロンと同じであんまりフラメンコの事は知らないみたいImg_2383だった。ウトレラ広場のバルの入り口に座っていたアントニオおじいさんは、周りの人がグランカンタオールだと揶揄をこめて言ってたけど、おだてられてファンダンゴを唄ったのが何か嬉しくてしゃがんで聴Img_2381いてしまった一回りした後そのバルで飲んでたら、そのおじいさんが入ってきてマンサニージャを飲んで小さな声で又ファンダンゴを歌い始めたんだけど、バルのお姉ちゃんは馬鹿にした顔で何か言っていたので、何だか可哀想で悲しくなってしまった。フラメンコのカンテが地元でも受け入れられて無く、馬鹿にされてる気がして、面白くなかった。どうもこの町も無さそうな気がしてきたのだが、カミさんも機嫌が悪くなっていて、オスタルに帰って食事をして寝てしまった。

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2007年3月10日 (土)

無知だったんだなぁ!カルナバル

3時間ほどねむって起き出してPM8;00オスタルを出てガジョの前を通ったら中に4人位いて何時もの通りのガジョだった。入らないで通り過ぎてモロンで一番流行っている(前を通ると何時も人が一杯)バルに入ってみた。初めビールとビノでケソのオリ-ブ煮みたいな物。少し塩辛いが味はまぁまぁ。次に一番高いSamon a salmoriloを頼んだらパンの上にハモンを乗せただけだった。これならさっき部屋で自分建ちが食べた方がハモンが厚いよと笑っていて、飲み物を頼んだらティントデベラーノと同じものだった。全部でE15.地元の人達には美味しいから人気なんだな。昔言われてた床が汚い店は流行ってるというのは、今は嘘です。何処の店でもすぐ拭くし綺麗です。(マドリッドでも他でも)食べ終わってもカミさんは不機嫌で、でももう最後の夜だからGalloに寄ろうよ、と説得して行ったら。。。
何とさっきまで人が居なかったのに。。

”人があふれてる!!!?”

満員もいImg_2358いところで、何処からこの人達はでてきたんだ!?そのうちに舞台では10人位のカルナバルの衣装を着けたグループが唄い始めた。周りからは”シー”の声が飛び、その瞬間打ちのめされた気がした。凄いんだよ!よくセビジャーナスのグループのCDを聴いた事ありますよね。ああいうハーモニーでコケティシュな歌や、カンシオンみたいなのが次々と繰り出されてくるんですよ。ある時目頭が熱くなって涙が少し零れてしまった程感動してしまった。その間ずうっ俺ってなあんにも知らなかったんだなぁと、そればかり思ってた。歌えるやつが居ないなんてとんでもない間違えで、ここの人達はそんなの通り越してたんだ。俺なんかがちょっと外から見てモロンにはフラメンコがもう無いなんて、粋がって言ったらアホの骨頂だという事なんだ。でも少しそう思っていたのも確かで浅はかだなぁと本当に思ってしまった。
Img_2366れぞれの衣装を着けたグループが4組出たけど、全てが素晴らしくて、とても素人の歌じゃない。いやぁ!本当に凄く良かった。!!
会場(ガジョ)では色々なおじさん達から「お前はディエゴ弾くんだってなぁ?」と声を掛けられた。只の一度だけペペさんやマヌエルと小部屋で弾いただけなのに、「こいつはディエゴみたいに弾く奴だ」と言ってくれたのかも知れないけど、知らない人からも言われた。嬉しいやら恥ずかしいやらで「えぇでもちょっとだけです」って答えていた。
街は色々な所でカルナバルみたいで何時もより人は多かった。マヌエルは明日はもっといいから来いよ、と言われたけどやっぱり、ウトレラに行くことにする。カルナバルを見なかったら、きっとモロンを誤解してたかも知れない。本当にラッキーだった。ポット出の日本人が全員地元の人達の中でこんなに濃いものを見られたのはまだ、フラメンコの神様に見捨てられなかったのかもしれないなぁ、とつくずく思ってしまった。

追記:こういう混んだ所で居場所を見つけるのは若い時の経験が物をいって冷蔵庫の上の特等席でビデオと摂った。しかしカミさんといえば、これも地元の奥さん達に混じってちゃっかり椅子に座って(本当はいけねぇんじゃないの?)すぐ親しくなってお喋り(喋れないのに)なんかしちゃってるし、まったくお前はすごいよ。。。

日本の学者や物知り達は「カルナバル?あれはフラメンコじゃないよ」と言うかもしれないけど、(確かに厳密にいえば範疇じゃないのかもしれない)でも俺はあれはやっぱりフラメンコなんだと思う。あの人達の上手く言えないけど、情熱、生き方、アルテ、観客も当たり前のようにパルマをタンゴ、ルンバを打ち分けていて、やっぱりフラメンコだと思う。実際に見て感じないとわからない事が多すぎるよ。見てても言葉が解からないのはつらいねぇ。モロンへの敬意はわかるけど、軽妙な動作や言葉で観客が大笑いしているのとかは、何でか解からないもの。でも何となくはわかるけど。。ね。各歌のグループの人達のリーダーみたいな人が小さな本を売って歩いていて、2冊ほど買ったらプエブラとあったので、この人達はプエブラからきたのかも知れないと思った。後は町内会のいわゆる、阿波踊りの”連”みImg_2373たい1年練習して舞台にあがるんだと思う。
3番目のグループは特に歌が上手く人気があった。
1番目は良く解からないうち始まったけどハーモニーは凄かった。
2番目は軽妙な歌詞や動作で一番受けてた。
4番目に仮面を着けた女性グループがでてこれも中々のものでした。後から見たらギター      は男だったけど。
始まると観客の誰彼問わずシー!という声が飛び「静かにしてください」と声が掛かった。これも印象深いものがあった。

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アンダルシアを疾走する

2月16日(金) 8日目 曇り モロン~マルチェーナ~プエブラカサージャ~モロン
8:00に起きて昨日買ったパン、オレンジジュースで朝食。前のバルで1日延長するといって、街の本屋でミシュランの道路マップを買う。モロンも大体観てしまったので近くの街に行くことにした。モロンから出た路がマルチェーナへの方向だったので、そっちに向かった。アンダルシアの平原を行く文字通りのワインディグロードでオリーブ畑の起伏の多い道を快調に走った。やっとアンダルシアを巡る実感がしたのはこれが初めてだった。空は真っ青であまり車も無く100km/h位で走ったが、他の車には追い抜かれていた。急ぐことはImg_2374何も無いので、ドライブを満喫できた。はるか彼方に教会の塔が見えてきてそこがマルチェーナの街だった。街角に車を止めてバルに入って一休み。「ここは、ギタリスト、メルチョールの出た街だから見にきたんだ」と言ったら「ペペ マルチェーナもそうだし、プエブロカサージャオスーナの3つはロマーノモヌメントの街だ。自分はプエブラの出身でメネセニーニャ デ プエブラがでているいい街だよ」と話してくれた。そこから教会を見て特に大きい路では車を止められなかったので、そのままプエブラカサージャまでドライブした。田舎の道を走るのは楽しいし気持ちよかったなぁ。プエブラのセントロでは衣類のフリーマーケッが始まったところで、カミさんは娘に財布を買っていた。古着ではなく全部新品だった。セントロから旧市街の周りは静かで碁盤の目のような街路だったがバルも見当たらなかった。教会からみたアンダルシアはとても静かでほっとした感じだった。街から出たところのドライブインで休憩したとき初めてフラメンコがかかっていた。カマロン、それと一緒に店の娘さんが一緒に口ずさんでいた。オスーナに行こうと思ったけど遠かったのでモロンに帰ることにした。カミさんはご機嫌で何やらカンテらしきものをがなってたけど、あっという間にモロン着いてしまった。これならオスーナに行けば良かったかも。ホスタルに帰って一眠りしたら、外は凄い風でおまけに雨まで降ってきた。カミさんが早く出ようと言うので、ガジョにいったけどカルナバルはやっていなくて、今日はペペは唄わないらしい。何だ唄わないのか?と思って他の客に聞いたらやっぱり聴くだけでカンテも弾きもしないらしい。9時半頃やるらしいけど3時間以上あるので、雨も降ってきたのでオスタルに帰ってきてしまった。ペペの奥さんは太っていて、不機嫌そうで、何かいても居心地が悪いのだ。マヌエルの奥さんは対照的に小柄で優しそうな人だった。

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モロン の街と Pana Gallo

Img_2273 モロンの街は今建築ブームからすざまじい勢いで変貌しつつある。どうしてこの町がそんなに建物が増えていくのか不思議であるのだが多分何か理由があるのだろう。しかしながら街にはそれ程の活気が見られないのは外部からの目なのか?むしろ何か陰気さが伴い、落ち着かないのである。以前はまだ元気さがあった様なきがしたけど、気のせいだろうか?落ち着いた雰囲気ではないのである。バルも以前より少ない気がするのだが、待ちに昼間多勢いた老人たちは何処へ行ってしまったのか?Pena Galloに至ってはもっと昼間人が少ない。確かに街の人達はパコやディエゴの事をよく知っているのだが、かと言ってフラメンコがそれ程好きでは無い様なきがする。Galloに来る人達も実際に唄うわけでもないし、普段弾く人もマヌエル位かも知れない。良く聞いてはいるけど、自分は唄わないという人も多い気がする。そしてマヌエルやペペは常連の人達に遠慮して小部屋でやっているのかも知れない。何だか謎だらけで外からでは覗い知れないのかも解からないが。俺達が知っているナナの雰囲気とは違うなぁと実感しました。ナナはアフシオナードが来て唄ったり弾いたり普通にしてるけど、ここはそうでもないなぁ、というのが一番の驚きだった。来て見ないと解からないものですなぁ。アルカラはもっとヒターノが少なくて差別されてるような気がした。フラメンコは何処かの片隅でやるものになってしまったんだろうか?

ところでこの「Pena El Gallo」はMoronのPena Galloに認められて正式に日本支部になりました。メンバーの偉い人らしいMoi de Moronの父とManuelとPepeに説明したらウンウンと頷いたので承認されたみたいです。日本で2回DiegoのHomenajeをやったと言ったらビックリしてたけど。バーチャルなペーニャですが嬉しいですな。これを機会に会員募集しようかな。本物のペーニャには今ネットで流れているDiegoの写真は殆どここにありました。

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弾かなくてもフラメンコ

腹が調子悪く色々考えて明日ウトレラに立つ事にして、夕食をちゃんと食べようとLa Campanaというバル兼レストランテに行った。ここいらはそれが普通らしい。勿論バルの客の方が多い。前菜は Arroz la marinera ガスパチョより濃いスープで味は良かった。カミさんは肉でSerect ibericoで凄く美味しい肉だった。魚はRape la plancha白身でこれも美味しかった。ポストレがコーヒーとflande huelvoプリン。終わったと思ったら何やら凍らせた小さなカップと瓶に入った茶色の何かがでてきた。何だろ?と思って飲んだら強烈で良く見るとアルコール度30%。これってアニス酒みたいなものだな。OTAORA Locor de hierbes .久しぶりにちゃんとした物を食べたきがする。この魚じゃなかったらお腹がもたなかったろう。食事の後ガジョに寄る。マヌエルが奥さんときていた。あと1組の夫婦だけ。ここで色んなフラメンコの話をした。ペペはやはりカマロンパコデルシアが1番と思っているらしく、俺達がディエゴがこぉんな1番と言うとあっちに行ってしまった。フェルナンダのカンテをマヌエルが唄っていて、俺がガスパールホセレーロのカンテを少しとっかかると、マヌエルがすかさず唄いつずけて、それは楽しい一時だった。今日はフラメンコは無いなと思ったけど何も弾いたりするだけがフラメンコじゃないんだ。話したり少し唄ったりとこれも充分フラメンコなんだ。それはナナでも同じで今までもそういう事があったし、それで充分楽しめたのだ。ところでもう1組の夫婦の旦那が「お前ディエゴ弾くんだって?聴かせてくれ}と言ったけどそんな雰囲気じゃなかったので、話をそらせたんだけど、この人は今売り出し中の”Son de la Frontera”のカンタオール”Moi de Moron”の父親で息子は今日本に行ってる。と言ってたけどそうだったのかな?日本に来てた?
明日ウトレラにたつ予定がもう1日居ることにした。明日このペーニャでカルナバルがあるらしい。マヌエルも弾いてペペも唄うらしいので、どんなものか見ていこうと思っている。
”明日は明日の風が吹く”って俺も古いね。。

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モロンは変貌する。

2月7日(木) 7日目 晴れ
AM4:00目が覚めてしまった。今日は何をどうやって言おうかと考えているうちにカミさんも起き出して2人で色々書いてみた。何せ会話が出来ないというのは非常に不便なのだがこれでやっていくしかないな。8:00頃このオスタルを経営しているバル タルーゴで朝食、パンImg_2729のうえにオリーブ油をかけたものを食べて、ここの場所を地図で教えてもらって、ディエゴの銅像のある広場に行った。周りはすっかり変わってしまっていて、以前はもっと広々していたと思ったのに、何かこじんまりした所になってしまっていた。何だかディエゴ も不機嫌そうに見えた。そこからPaso Galloに歩いていった。San Miguel教会の広場の端のCalle PositoからPseo Galloに登ってく階段の道がCalle Diego del Gastorなのだ。その角に昔あったCasa Pepeは今や綺麗な薬局になっていた。前来た時は当時のままの様で廃屋みたいだったのだ。登り切った所にディエゴがギターを弾いてる大きなタイル画があり綺麗に造り変えられていた。PseoGalloから観たモロンの街は今恐ろしい勢いで変貌しつつあるのがよくわかった。至る所で新しい建物が建設され、それはモロンの街が外に広がって行くのと同時に街中でも古い建物は壊され建て替えられていたのだ。不動産屋の表示をみてもピソでも3千Img_2280万円以上するし億単位も多かった。モロンに来ると必ず古い城跡に上っているので、家々の間から道の無い所を登っていった。初めて来た時はアニート島田さんと一緒だったなぁ、と感慨深かった。頂上から路はあるのに、カミさんを先頭に急坂を下りて行ったけど若いねぇ、アンタは。市場に行ったらもう終わりの時間でここのカフェでPaco del Gastorにコーヒー奢ってもらったんだった。今回は会えないな。隣のスーパーで水とジュースを買ってガジョに行く。ビールを飲んでいるとマヌエルが入ってきた。お土産用に25周年の本とバッジを買って、全部でいくらというからE50をだしてお釣りをもらったら、後からペペのカミさんがえらい剣幕でその値段じゃないと言い、ペペはすまなそうに後幾らといった。笑いながら払ったけど、いずれもカミさんは怖いよな。マヌエルに「今夜くる?」って聞いたら「カルナバルの打ち合わせでこれない」と言ってたみたいだ。昨夜聞いたピソの場所を教えてもらい行ってみることにした。そこからすぐのところで2階建てで中には入れなかったけど外から見たら中々良さそうだったけど、住むにしても7月からなので、当てにはできないことですな。ここスペインでは約束したって、すぐ変わってしまうのが当たり前だと経験から知っているので一々信じてはいられないのだ。フラメンコも同じで昨日できたから、今日も出来るとはかぎらないのが当たり前なんだ。定食でも食べようとレストランに入ったら2時からだと言われバルでビールとボカディージョ。最近こんなのばっかり食べている。安いからいいけどね。そしたら急にというか、朝から腹の調子が悪かったのが、痛くなってきたのでオスタルに帰って寝てしまった。水道の水を飲んでいたのが当たったのかも知れない。飲んでは駄目と言われてたのに、何の気なしに飲んでいたのだ。もう1日いるか、ウトレラに向かうか考え中、。。

バルではペペの乗っている大きな雑誌を買った。マヌエルとペラーテの息子(トマス ペラーテ)の話をしたけど、「父親は凄いけど息子は駄目だ」、とペペと2人で一刀の元に切り捨てられてしまった。この時かかっていたのがFernandaDiegoのカンテでよく知っているブレリアだった。それに合わせてマヌエルが口ずさみレトラについてペペと議論になっていた。”そこはこう唄っている、いやこうだ、とやっていた。スペイン人でも聞き取れないのは本当なんだぁと思って面白かった。Galloには古い物から新しい写真が一杯あって中には珍しいものもあった。Fernandaのテープは中々良い録音でさすがスペインと思ったけど、俺も持ってるから欲しくはなかったロスロビートスとかのテープもあったけど市販のコピーらしImg_2353かった。
ぺぺはPepe Lebronといって近隣では有名な歌手なんだそうだ。雑誌にも取り上げられていてDaniel Mendezとも演っているみたいだ。CDなど出していないだけで本当は凄い人なのかも知れない。恐妻家ではあるみたいだけど、優しいんだな。 

カミさんが昨日「あんなに広い所なのに、なんで何時も奥の小部屋で弾いてなくちゃならないのかねぇ?」「他の人は嫌いで弾くと迷惑だからじゃないか?」とと言ったけどそういわれてみるとナナみたいにフラメンコ好きが集まるって感じではないね。普通のバルでパルマなんて叩いてる雰囲気じゃないんだ。

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2007年3月 9日 (金)

もう一人のロコ !!

Pm8:00オスタルをギターを担いで夜の街へ。モロンの街はイルミネーション(カルナバルの為)が綺麗で人が多かった。前に入ったことのあるバルでタコと海老サラダとティントで一杯やったけどE8,落ち着かないので”Pena El Gallo”に向かった。中には5~6人の人が居てマージャンみたいなのをやっていた。眉毛の下がった小太りの男が何か大きな声で喋ってた。暫らくして話かけてみた。「ひょっとして貴方はManuel Coronadoさん?」「そうだよ俺がマヌエルだ」と言ってそれから何で知っているんだ?って顔で「俺はアフシオImg_2241 ナードで仕事はピソの何とかだ」と話した。”Manolo Coronado”のことは前から名前は知っていて、彼はフェスティバルなどで有名な歌い手の伴奏を何度もしている、モロンのベテランのギタリストなんだ。こんな所でいきなり会えるとは夢にも思ってなかった。それで「ちょっと聴かせてくれよ」と頼んだら「皆が帰った後でな」と言った。それから2人でずうっと話していて(こういう話は通じるんだ)Diegoがいかに凄かったか、何んてのはすぐ解かってしまうんだ。とにかくそれだけで嬉しかったな。それで2人でギターを持って奥の小部屋で2人きりで話して、俺のギターを取り出して彼に渡した。この時何の考えも無く自然にそうなったんだ。やっぱり”Toque de Moron”やってることは解かるけど聴いた事の無いのも出てくる。地元の”正真正銘のモロン弾き”!”これわかるか?”と眼で聞いてくる。ウンウンと俺。。これって何時も俵さんと俺が遊んでいる時と全く同じなんだ。次に俺がギターを取った。「少しネルビオだ」と言うと頷いて「大丈夫」と言う。ソレア。。。ちょっとビックリした顔で次に真剣な顔つきになった。こっちが弾くものにいちいち頷く。。ギターを変わって俺も同じ。。凄い!!。。マスターのペペが顔を覗かす。。窓の外から誰かが覗いている。そんなのかまっちゃ居られない。カミさんを呼んでビデオを撮ってもらったけど、それも意識の外に。。相手のToqueにお互いに集中してしまう。。ペペが来てシギリージャをマヌエルの伴奏で唄った。凄かったよー!!こんな上手い奴がいるのだよ、モロンには。。そして俺が弾いてソレア。。延々と30分近く唄ったかもしれない。こんなに長い時間ソレアの伴奏したのは生まれて初めてだ!しかもモロンで!!マヌエルはいちいち頷いて、ペペのカンテに感動して飛び上がった!!それ程良かったんだ。こっちも弾いていて感動したもの。。後で考えたらこんな事誰が想像できるんだい?と思ってしまったけど、やっていて良かったよー!!

マヌエルとまじかにお互いの眼を見詰め合ってまるでホモみたいだが、完全に俺と同じ種類の人間だと感じた。こいつもロコだなぁと思ってしまった。お互いに掛け値なしでフラメンコが好きなんだよ。そして今まで、ナナや、ペペ島田さん俵さんのお蔭でこういう楽しみ方が出来るようになったんだなぁ とつくずく思ってしまった。一朝一夕でこんな事出来るわけないんだ。金払ったわけでもないし、有力なコネがあったわけでもない。ただアフシオンがあっただけなんだ。相手はハポネスだからといって割り引いてくれるわけでもないし、こっちも甘えてなんざいられないし、したくもない。自分だけのアルテ(根性)でやりたかったんだ!間違っても下手でも関係ないよ。でもテクニックだけだったり、浮ついたものだったら受け入れてくれなかったのは確かだと思う。その辺は厳しく見られているのは凄く感じられた。(お前どれだけわかってんだ?って)気持ちが篭められれば少しは解かってくれるんだな。いやぁ!!俺にとってはこれ以上何を望むんだ?nada。。何も無いよ。
「明日もくるか?」と聞かれて「勿論!」明日はどうなるか?どうでもいい。そんなの。今夜は最高に幸せな夜だった。ペペさんに「お前のToqueはDiegoだ!」と言われた。こんな嬉しいことはない。勲章だぜぃ。全く。。
   ワオー!!!!
追記:カミさんが言うのに「ペペさん達と初めてモロンに来た時はセビジャーナスもロクに弾けなかったのに、よくここまできたね」と言われてしまった。そのとおり、何も言う事ござんせんよ。。ハイ

俵さん
本当にマジで俺達のいつもやっているやり方で遊んだんだ。何の違和感もなく。でもここはモロンで。。。これって何だ?って思ってしまう。ofuuu。。
俺達今までちゃんと遊んでいたんですよねぇ。。

マヌエルと話したことで”Diegoは難しい”ということだ。よく日本のギターの人がDiegoは弾くのは簡単だ、単純で只やさしい、聞きやすい、あるいは魂がどうの、とか言う人がいる。
俺達はそうじゃないことを知っていて、バリエーションの多さ、それを出す瞬間など、そう単純で簡単なことじゃないと2人とも思っている。

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クソ!!やられた!でもめげない

3月14日 (水) 6日目 雨 ドスエルマノス~マイレーナアルコール~アルカラ~モロン
ドスエルマノスのホテルが良かったので、泊まる所が無ければ戻ればいいやって思っていたのだが、若林さんの頼まれ物があるので又アルカラに行かなきゃならない。それで先にマイレーナに行ってPlaza Antonio Mairenaのペーニャに行くことにした。アルカラを通り越してマイレーナまでの路は通勤の車が多くやはりドスエルマノスは仕事の街らしく、そっちに行く車が多かった。地図を持っていなく、見ても解からないので聞きながらやっと広場の先の路上車を止めた。折から雨が降ってきて少し濡れてしまった。広場にマイレーナの銅像なんて無くて天使かなんかが立っていた。広場に面してバルがあってそれが"Pena Antonio Img_2207Mairena"だった。なかに入ると写真が一杯あって、ビールを飲んで銅像のことを聞くと別の場所にあるらしい。車に戻るとサイドミラーが壊されていてぶらさがっていた。「クソゥ!レンタカー2日目にしてこれだよ」と思ったけど、近くのコンビニみたいな所でセロテープを買って応急処置、これで返すまでこのままだった。もう銅像も見る気も無くなりアルカラに戻っていった。アルカラでも入り口を間違えて(反対から行ったので)散々迷ってやっとスーパーの駐車場に車を止めた。昨日のバルに行ったら運良く開いていて(当たり前だけどそう思った)中に主人のペペさんImg_2213がいて、若林さんからの荷物をやっと渡すことができた。確かにマノリートの写真もあって、やれやれだ。2人でビールを頼んで若林さんのCDを聞いて、地元の常連の客とフラメンコの話を少ししたけど、唄えないらしかった。それで持参しマノリートのソレアのCDを掛けたら皆真剣になって聴いていてペペさんも凄く気に入ったらしかったので、あげる事にした。(実は最初からそのつもりだったけど、聴いても解からないようだったら他に持っていくつもりだったのだ)ディエゴが好きそうだったので、少しギターを弾かせてもらったら、喜んでいるみたいだった。そのうちもう一人のJuan Gongoraさんが来てペペさんが品物を渡していました。Juanさんはモロンの人らしくよく知ってたけどオスタルの事は知らないみたいだった。モロンの人に聴いてもらいたかったので、少し弾いたら「ここが鳥肌が立った!」と言って腕をさすったので少し嬉しかった。(本当は凄く)「此処に泊まるのか?」と聞かれたけど、ここにはフラメンコが無い空気がしたので「いやぁモロンに行くよ」と答えた。この時ぺぺさんが貴重な写真を見せてくれ、「いやぁ凄いなこんなのあるんだ?」と信じられなかった。それはJuaquin de la Paula と Manolito de Mariaと一族のカルナバルの時の写真なんだ。どこのメディアにも乗ってないんじゃないかなぁ?驚いて見ていると「持ってけよ」と言われて信じられなかったよ。もう一人のお客にはロスロビートスの写真も貰ってしまった。その人にも別のCDをあげてしまった。これで役目は果たしたので、帰りに支払いをしようとおもったら「いいよ」といわれてお礼を言って店をでた。これで念願が適った気がしたので、後はどうでもいいやって気になってご機嫌だった。
モロンへの路はアンダルシアの広大な丘陵を延々と走るものでであった。前に北海道を車で走ったのを思い出してしまった。中々モロンに辿り着けなくて本当にこ路でいいんだろうか?と不安になる。標識はMoronになっているんだけど。ようやくモロンに着いたけど何せ車で来るのは初めての上、一方通行だらけで何処に行けばいいのか?さっぱり解からなかったけど、一度来た所は何となく覚えているもので、San Miguelの広場に車を止めた。前に泊まったHostal Pasqualを探したけどその辺りは一変していて影も形も無くモロンは変貌していた。仕方ないのでバルで聞くことにした。1軒のバルでビールを頼んでフラメンコの話を少しして、ペーニャ ガジョの場所を聞いたらこの少し先らしかった。肝心のオスタルのことを聞いたら二人の職人さん達がえらい勢いで教えてくれて、それぞれが自分の主張で教えてくれたけど、半分以上解からないのだ。それでも書いてくれたので、それを持ってガジョに向かった。その周りの公園は変わっていなくてすにわかった。ビールを頼んで話したけどもう終わりの時間らしく、オスタルのことをもう一度聞いて夜また来ることにした。オスタルもすぐに見つかり部屋も見せてもらって泊まることにした。San MiguelImg_2249までようやく戻り車でオスタルまでまた迷い他の車に連れてきてもらって、荷物を部屋に入れることができた。PM4:00.部屋は清潔でTVも風呂もあって文句ありません。E38.鍵を3つもくれたけど、どうすんだ?これ、、、Pension Tarugo

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きつかったぁ!!

2月13日(火)曇り 5日目 バルセロナ~セビージャ~アルカラ~ドスエルマノス
本当に時差ボケが直らず、眠れないので7時にオスタルを出てバスで空港まで。E5タクシーの1/3位。空港ではギターの機内持ち込みで少し揉めたけど上司の判断でOKに。12:00出発なのでそれまでの時間が長くて退屈だった。頭がボウっとして気持ちが悪い。それでも飛行中は30分程眠った。やっとセビージャにImg_2375到着。PM1:30。レンタカーを借りようとした安い会社は無くてEuropcarという会社から借りることにした。他の会社は横柄だったから。予定ではE180位だったのが1週間E590.高いと思ったけど車で巡るのも目的だった。車の準備ができる3時まで待たされた。借りたのはフィアットの4ドアセダンで後から考えたらちょうど良い大きさだった。しかし何の説明もされずに駐車場に行き自分で車を見つけて乗らなきゃならなかった。左ハンドルも右側通行も初めてでマニュアル車に乗るのも久しぶりなのだ。とにかく出発することにしたのだが、それからが大変。頭がボウっとしている上、道路マップも買えなくて、感に頼ったのが大間違い。空港の周りを1時間近く行ったり来たりして我ながら嫌になったけど、運転の練習だと思って我慢、やっとアルカラImg_2186への道を辿り始め若林さんの品物を渡すバルを目指した。アルカラの城壁の前で工事中で中々登っていけなくてようやく地図の場所に着いたけど、バルなんて見えないんだ。しかし親切な職人さん(いかつくて怖い感じの人)が連れて行ってくれたのはさっきの場所だが誰もいなくて、困って隣の洋服屋さんの人に聞いてもらったら、日本の親戚がいるのが隣に住んでいると聞いて其処に案内して建物に入れてくれた。(入り口は殆どが電子錠でちょっと入れない)しかしその家族は中国人家族で関係なく、それでも親切な人達だった。アルカラに泊まろうと思ってホテルを近くのバルで教えてもらった。ついでにフラメンコの事を聞いたら何も知らなくて、ここではそんなのやってないし、ペーニャは日曜に近くのマイレーナアルコールでやるよ。と言っていた。ホテルにいったら満員で断られてしまい、他のホテルも車で町中探したけど見つからなかったので街から出ることにした。あたりは暗くなってくるし、ホテルは決まらないで参ったなぁ、と思いながら、ドスエルマノスまで行ってみることにした。かなり走ったドスエルマノスは工場の街みたいでとてもじゃないがホテルなんてある雰囲気じゃない。それでも人に聞いてもう少し先に行ってみることにしたけどそれでも無いのでセビージャまで戻るかぁと車を反転した時カミさんが「そこにホテルがあった!」と言うのでまた戻ってその場所に行ったら確かにあったのだが、外観は本当にホテルか?会社じゃないのか?と思うほど普通のビルだった。しかし中で泊りの交渉をしに入った途端これが洗練されたいいホテルだと気がついた。廊下のオブジェや絵画がすごく洗練されていてImg_2195マドリッドのホテルより格段に良かった。一応★★★だった.Lefilet Hotel。E57これで安心。草臥れ果ててどうなる事と思ったけど、車でアルカラにいってて良かった、と良い方に考えて風呂ゆっくり入って今日はこのまま寝てしまうことにする。近くのスーパーでビール、ハモン、コーラ、パン、ビノ、でE10.こんな良いホテルでそんな食事をするのは気が引けるけど、かまっちゃいられない程疲れた。行き当たりバッタリがそんなに上手くいくはず無いよなぁ。フラメンコだって地元のアルカラの奴がファン タレガ、やマノリートの名前も知らないんだぜ、ホリコシさん。

先ず気がついたのは交差点に信号が無いことで、殆どロータリーになっていて左回りに回っていくのだ。入っている車優先で結構車も走っていてもスムーズに進んでいるのに驚いた。スピードも皆100km/h以上出しているけどこっちは60km/hで慎重に、ギヤとウインカーが逆で慣れるまで何回も間違った。道はわかり難いし、バルでビールを1杯飲んだのが間違いで汗びっしょりになってしまった。寝不足もひどくなっていてよく事故を起こさなかったなぁ。

スーパーで買った赤ワインが中々の物で少し空気に触れさせると段違いに美味しくなっていた。ハモンE1.3、パンは白くて柔らかいフランスパンといったところ。ドスエルマノスは車のディーラーが多いみたいだが中はどんなのかよくわからない。ホテルマンは宇多田カオルと浜崎あゆみのファンだと嬉しそうに言ってたけどフラメンコは嫌いなんだと。どうなってんだぁ

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quien(誰) と querer(欲しい)

今夜がバルセロナ最後の夜なのでPM6:00に街にでた。カードでE210をだしてみるが1回目は失敗、2回目で成功。使えることがわかる。(当たり前ですが、日本ではガソリン入れる時しか使ってない)只夜の街をブラブラしてもゴシック地区の古い建物のあいだを散歩しているのは楽しいけど、ちょっとバル恐怖症にかかっていて(値段の高さに)ちょっと食べて飲んでが2千円以上飛んで行ってしまうのだ。とてもじゃないけどバルの梯子なんてできゃしない。12年前の10倍位の感覚だもの。それでも市場の隣のテラスでカフェコンレチェで一休み。それからいつものタラントスに行く途中「Bar Gaudi」というタパスの店でビールとチョリソ、ここも大ジョッキでやっと飲み干した。チョリソはまぁまぁの味。よく見たらこの店のカサビノ[Vino Gaudi」を飲めばよかったけど後の祭り。E16
今夜は最初の1回見て帰るつもりだったので8:00に入った。マイク調整の最中だったけど昨夜と違ってガラガラ。日本人が4組。他に10人程。隣のデンマークの夫婦と子供連れと話しているうちにショーが始まった。ギターソロ,Solea、モデルノそのものだが今までのギタリストと音も技量も全然違ってよかった。ギター、カンテ、パルマ、カホン、バイオリン、それぞれ一人、バイレ2人の構成。バイオリンは黒人で、ギターはわからないが、全員パジョみたいだった。やってるのもそんな感じで、だからか客が少ないんだなと妙に納得した。だってファミリア総出の応援なんてなかったから。ハレオも俺と後ろの誰かくらいで寂しいものだった。後ろの誰かは舞台と一緒にパルマを打ってたけど振り向くわけにもいかないので誰かも解からなかった。ギターはJuanというらしい。カンテはでっかい男なのだが妙にカン高い声で勿論カマロン節ね。それでも音楽的にはとても良くてギターが全部を引っ張っていたのがよくわかった。バイレはアレグリアス」(男)とソレア ポル ブレリア(女)2部はその逆。やはり足技が目立ったけど、それは他が悪いという事では絶対無い。ここで観た全ての踊り手が上半身の切れのよさと、粋さは中々のもので、踊りの厚みなどは今風の踊り手には見かけられないものでした。ブラソも空気の重さを感じさせるもので無理の無い動きだった。フラメンコの原点の踊りだが若い年齢の体力と気力と生きの良さ、ケレン味のない躍動感溢れるフラメンコだったのだ。俺だってこういうフラメンコだって感じて乗れるんだぜ。(古いもの好きだけじゃないんだよ)休憩の時カンテのデブ(ゴメンヨ)にギタリストは誰?って聞いたらゴチャゴチャ答えて楽屋の方に行った。「えっ?」と思って気がついた。誰(quien)と聞いたつもりがquierer(欲しい)と言ったんだな。「ギタリスト欲しい」って言ってたんだ。”やべぇな”と思ってたら暫らくしてギタリストが来て挨拶してくれた。彼は日本にも仕事できてたらしく、小島さんとかとやっていたらしい。お決まりのギターの話から、ヘレスにいくとかでパリージャの話とか、フラメンコの話は通じるんだ。最後に「終わったら一緒にあそばないか?」と言ってたみたいだが、こっちはまた時差ボケが最高潮でよいよ眠くなってきて、次のステージは頭がボウとして何やらよくわからなくて、終わってすぐ帰ってシャワーも浴びず寝てしまったけど、相変わらず不眠症みたいで2時間しか眠れなかった。カミさんも同じ。まいったなぁ。
明日といっても今日だけどいよいよ念願のアンダルシアへ。どうなるのかなぁ。

TARANTOS:Jose Fernandez”Yuse” (cante)
                    Jose Andres (Toque)
                    Carlos Caro (Violi)
                    Juan Suarez (Cajon)
                    Sara Barrero  (Baile)

追記:バルセロナのタブラオ「コルドベス」は綺麗でエルフラより高級、舞台も洞窟風の凝った造りで、観光客相手で料金も高いものだった。
「タラントス」は対照的に飾りも無く映画館の入り口みたいで、ライブハウスといったところ。今回だけで感じたのはそのあまりの格差だった。
高級な場所でのフラメンコは3流で俺としては金払ってまで見たいものではなかったくらい。もう片方は1流に近いものが観れて尚値段の安さには驚いてしまう程だった。2日間は観客のノリも良くてこれを観ただけでも良かったと思ってる。カミさんが「バルセロナで一番安かったのがフラメンコ」その通りで一番印象にも残ったんだ。入場料E6.小瓶のティント、ビールE3、2人合わせてもE20いかないもの。飲まなければ3回文句も言われず見れるし、もう無くなりつつあるバイレが見れるんだものいう事ない。お勧めです。
最後にバルセロナは彼のカルメン アマジャの「バルセロナ物語」原題は「ロス タラントス」だった。だから皆足がしっかりしてるのかなぁ?でも本当に他もいいんだ。全体に切れがあるし、シメのつけ方が粋なんだよ。踊りの動作の途中の角度が抜群に良いとカミさんは言ってました。。けど。。。

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2007年3月 8日 (木)

今日はまぁまぁ?

2月12日(月) 曇り 4日目
AM8:00起きる。湯沸かし器が故障。分解したけど温度ヒューズが飛んでいて修理不能。昨日買ったボカディージョとセルベッサ(ビール)で朝食。すぐ近くの銀行でカードを使ってみたら案の定さっぱり解からない。店員に聞いてやっと現金が引き出せた。やれやれ。昨日行けなかったパトリオット邸へ。入場料E16,しかし見てよかった。長い間見たかった夢がかなった。1時間ほどみて歩いてカサカルベに向かい、道はわかり易くすぐ解かったけど、中は見られないので外からちょっと見ただけ。今日の目的は「クアトロ ガト(四匹の猫」で食事することなんだけど、1時間も早かったのでカテドラルに行くことにした。外部は修復中で中に入って驚いてしまった。荘厳で素晴らしく、ミサもやっていて、地元の年寄りが一杯いた。ゆっくりと周囲を散策しながら「クアトロガト」今日の定食を頼んだ。これが絶品でカミさんは”野菜のサラダ”俺は”生ハムの何だか”味はまろやかで、肉料理(チキンのクリーム煮)魚は(舌平目のムニエール)がこれまた美味しくてやっと食事らしいImg_2160物を食べた気がした。ビール3杯、コーヒー、ポストレ(チーズケーキ)で合計E34。昨日のまずいパエジャに比べたら雲泥の差だった。写真も撮れたのだがバッテリーが無くなって終わり。満足して帰りにピカソ美術館に寄ったら閉まっていてブラブラ帰りながらバッテリーを買ったらE50、税金が16%もついてるの。PM3:00部屋に帰る。今日もよく歩いた。疲れるけど。(8:00から15時まで食事を除いて歩き続きだもの)

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バルセロナのフラメンコは足、溜め、切れだ!

PM8:00過ぎに眼が覚めてしまった。2時間しか眠ってない。それでも支度してもう一つ近くにあるタブラオ「コルドベス」に行ったら、日本人の観光客の団体が多勢いて入るのを待っていた。ドアマンと話して団体客と一緒にはいった。予約していたらしい。こっちは予約なんかないのとフラメンコだけみればいいと言ったら何とか入れてくれることとなった。1人E30飲み物つき。カードは使えなかったのでカミさんに借りたE70で払った。俺達だけ入ったらもうショーは始まっていてSiguiriyaを若いバイラオールが踊ってた。客席はほぼ満員で2/3は日本の団体客、一番後ろの隅で見ていた。カンテは3人、よく見ると昨夜タラントスで唄ってたヒターナの娘で、後の2人は外人みたいなデッカイのと小柄な眼鏡のカンテ、これが呆けたカンテでひどいの。日本人の方がまだましな唄い方するよってなもの。ギターも何だかなぁって感じ。次はパタデコーラのアレグリアス。普通の習っているバイレみたいだった。最後にすこし腹のでてるバイラオールがSolea por Buleria、これは足が良かった。しかしバックと会わず、カンテ、ギター、バイレ全部バラバラでやっていた。踊っている人もバックにイライラしてみたいだけど踊り手とレベルが違いすぎるんだ。見るべきものは足だけだった。面白かったのはクアドロで1人ずつ自分で椅子を持ってきて少し踊るというものだがCD音楽でした。クアドロも大したことなくバラバラは変わらなかった。他のお客は大満足らしく、終わったらゾロゾロ帰り始めた。まだ見れるのか?と聞いたら駄目で帰ることにしたけど別に見なくてもいいやって思ってでてきた。
俺はもう帰ろうとしていたのだけれど、カミさんが口直しに昨夜の「タラントス」に寄ってみようと言い出した。あとE10と小銭しかないのでそう言ったら「何とかなるよ」と言うので寄ることにした。チケット2人でE12これでちょうど無一文になってしまった。どうしよう。
入ったら昨Img_2183夜(日曜)よりすくなかったが多勢の人達がいて舞台では熱いのをやっていたんだ。これで一気に眼が覚めた。やっぱりこれだわいな。ギター2人とカンテは新しい人で、ギターの一人は女性で何とこれがいいギターを弾くんだわ。昨日のバイラオールがSolea por Buleriaを踊っていて、足が途中ピタっと止まってそれが何とも壷にはまっていて嬉しくなってしまう。カンテも昨日より良いし益々いいなぁ。それで1部は終わりでそのまま次も見ることにした。ビール2、E6、ビノ2、E6、つぎのステージは男の踊り手でやはり足技だけど上体も何もかもフラメンコでもう何も言う事ないです。MuyBien!その前のカンテソロがまた素晴らしかった。ギターのハーモニックスの二重奏から始まりトレモロ リブレのカンテと今風で何のパロかも解からなかったけど情感溢れていていいカンテでした。バイラオーラのアレグリアスは昨日と違った明るい衣装でこれもいう事なしの良い踊りでした。こういう踊りが俺達はすきなんだ。エレガンテでしかもしっかりした厚みがあってビシッと決まる踊り。今風の薄いフラットなバレェみたいなのじゃなくてね。バルセロナでこんなバイレが見れるとは思ってもみなかったよ。良い物が残ってんだなバルセロナって。

タラントスみたいなタブラオは一度も見たことない。舞台は飾り気の無い素っ気ないものだけどお客が全然違ってた。半分以上地元の人で、ヒターノとすぐわかる人達が大勢いて舞台を真剣に見ていて決まるところはOle!を頻発にだすし、カンテにあわせて歌うやつもいるしで、舞台と客が一緒にフラメンコやってる感じなんだ。これ程のはヘレスでもセビージャでも見たことなかった。ましてマドリッドなんか。。
ショーの間にファミリアや友達と客席でお喋りしてるし、向こうじゃ親父が若い人達にフラメンコを語っているし、それを真剣に若いのが聞いているんだ。なにより美人さんが多いのはオジサン少し嬉しい。。こんなタブラオ初めてだ。カミさんが言うのにはバルセロナは皆値段が高くて一番安いのがこのタブラオなんだ。これは本当にそうです。明日も来ようかな。
帰りにカミさんのオゴリでタパスBarに寄ってビールとタパス2種類E21。マッシュルームが美味しくて作り方を聞いたらシェリー酒をいれるんだって、ニンニク、タマネギで煮るんだとおもう。オリーブはいれない。初めて美味しいタパスを食べた。

しかし良いことだけではなくて、時差ボケで今でも寝れない。1時間ウトウトし起き出してトイレのなかで書いている。困ったなぁ。。。

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 ガウディを巡る

Img_2017 2月11日 (月)晴れ 3日目 (バルセロナ)
8:30 地下鉄に乗ってサグラダファミリア(聖家族教会)へ。切符は帰るけど入る時のバーの押し方が悪くて何回も失敗した。バルセロナといえばサクラダファミリア。地下から出るとその大きさに圧倒されてしまった。写真と実物の違いがよく解かった。入る前にBarで朝食パン コン トマテとトルテージャ、コーヒーでE6.25.入場券エレベータ一1人E10.内部と地下の展示室、屋上からの眺め、全部良かったが、少し疲れたので一通り見て、また地下鉄でグエル公園まで、駅から入り口まで大分歩いた。有名なトカゲのオブジェは鼻が壊されてカバーが掛かってい、広場には多勢の観光客がいた。それからが大変で延々と歩いてバルセロナを一望できる広場までふうふう言いながら登った。帰りがてら何処からかカンテが聴こえてきたのでそっちに向かったのが間違いでまた延々と歩いて隣の駅まで歩いたけど考えてみたら朝からずっと歩き放しだったが街並みを見ながらの散歩は悪くなかった。また途中のフォンタナ駅で降りてカサ ビセンスこれは駅から近かったので良かったけど内部は見れなかった。ガウディの処女作らしいが鉄の門にゃバルコニーの飾りが良かった。これはスペインの鍛冶屋の腕のよさからているのだと思う。そして次のディアゴナル駅からカサ ミラ に向かった。大きな交差点の傍にあるのが遠くからでも見えたので急にお腹が空いてカサミラが見えるレストランテに入った。これが失敗、だった。入った途端、しまったな、と思ったけど後戻りはできなく、そこは高級レストランだったのだ。周りは皆ネクタイ締めて金持ちそうな人達ばかりなのである。食費にはあまりお金を使わないとカミさんと決めてたけど、こうなってはどうしようもない。昼の定職の時間はもう終わっていたので、メニュー見ても解からないので、隣で食べてる人のパエジャを頼んだ。パエジャは旨いと聞いてたけど中々こなくてやっとビールがきたのが10分以上過ぎてた頃だった。その間我々の両隣に座っていた老夫婦と話し始め二組とも地元の人達だった。一組は何かのプロデゥーサーで日本にも来た事があるらしかった。やっとイカ墨のパエジャがきたのだが一口食べて顔をしかめてしまった。米が固いのはいいとしても味か塩辛すぎるのである。せっかくの魚貝類の味が消えてしまい、塩っぱいだけが残るのである。こんなのが旨いのか?周りはみんな満足そうにしているのを見てこいつ等は味オンチだと思ってしまった。これならカミさんが海で拾った貝で作ったパエジャの方が余程ましだ。ビールとパエジャでE45.カードを使えたがちょうどあったので現金払い。あといくらも残ってないと重いながらカサミラに行く。入場料E8、エレベータで4Fで降りてその次代の部屋の内部の見学、屋上では写真で見た有名な煙突をみた。この頃にはずっと歩き詰めが限界に来ていて一通り見て帰ることにリセウ駅で降りてボカデイージョE4.5ビールE2.5,コーラE2 馬鹿高いんでないかい?部屋に帰ってカミさんはすぐ寝てしまったのでギターを持ち出して外のバルコニーで弾いてみたら指は動かないし、ボウっとしてボケた弾き方だったけど裏街のシェスタの静かな雰囲気で悪い気はしなかった。ちょっと弾いてから寝てしまった。今日は本当に疲れた。何時間も歩き通しだったのだ。PM 6:00

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スペインの1日は2回ある。

スペインでは1日は2回あって昼(朝)の部と夜です。その間シエスタがあって我々も寝てたので別々に日記は分けて書いていました。
何となく寒くて起きたらPM9:00近くで、寝ていてもしょうがないので、昼間タブラオが近くにあるのを見つけていたので行くことにした。レアル広場にある「タラントス」入場料E10飲み物別。期待もしていなかったのだが、これが大当たり!!ビールを買って座って見れたのだが、最初若いギタリスト2人のブレリア、モデルノ。若いカンタオーラのブレリア、次に出てきた若い踊り手が凄く良かった、アレグリアス、正統派(プーロ)の踊り。いやぁー!こんなのがいるんだぁ?と思った程です。この時浮かんだのが日本の若い踊り手と比較して”技”のレベルが違いすぎるよ。まさかバルセロナでこんなバイレが見れるとは思ってもみなかったよ。
もっと興味深かったのは客席のお客そのものだったのである。今までマドリッド、セビージャ、ヘレス、日本のタブラオは随分見てきたつもりだけど、こんなタブラオは初めて!!何せ舞台のカンテに合わせて客席の後ろで立って一緒に唄ってパルマ叩いているんだ!動作が決まる度にOle!がかかり賑やかな事この上無し。1部が終わっても次も見る事にしたのはカミさんのリクエスト、追加料金もない。その間後ろの方ではカンテ、パルマが始まりフィエスタ状態に。横で見てたら眼が合って若い衆の仲間入り。その若い衆達はカンテ、ギター、バイレのファミリア(グループ)だった。ギターは少し弾くよとと言ったら、奴は自分のギターを引っ張り出して弾こうとしたら店の人に止められてしまっていた。何て世界だここは!「それコンデだろ?」って言ったら周りの仲間に「何でこいつは解かるんだ?」(俺も持ってんだよ)と言ってそれから仲良くなってしまった。次のステージが始まって彼らは途中で帰って行ったけど。若いヒターナのアレグリアスもとても良かった。やはり正統派の踊り。バイラオール(Kaitia Moro)はSolea por Buleria 一瞬の技が凄くてビックリ、やはり若い粋のよいのはいいですなぁ!最後に客席の最前列に並んでいたヒターノのファミリアの中から女の子が出てきてFin de Festa で真剣に踊る姿が良かった。
バイレ(男、女)2人、カンテ(女)2人、ギター2人、カホンの構成

帰りに広場でビノを飲みながら色々話したけど、カミさんは涙が出るくらい感動したらしい。自分が習ったテイブがいるみたいだと、この後延々とフラメンコの話をしてしまった。こんな事はめったにないし、今までは面倒臭いのでファミリアの話とかしなかったんだ。カミさんがあんなに熱くフラメンコの事を語るのは初めてかもしれないな。
本当に行って良かった!楽しい2日目でした。

追記:日本の踊り手がシャツを出しているのを見て、足が短いのにダサイと思ったけど、ここの若いのも出していて(そういうや皆出してたな)足の長さだけじゃなくて、シャツの長さが股のところまでしかないの、短いんだよ。きっと計算してんだよな?出すの真似すんだったらそこまでマネしてもらいたいなぁと何となく思ってしまったよ。短いのを余計短く見せてどうすんだよ。

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2007年3月 7日 (水)

ドタバタは続く

2月10日 (土)晴れ 2日目 (マドリッド~バルセロナ)
時差のせいで2人共眠れなくなり、寝ていてもしょうがないので朝の早便でバルセロナに行くことにして6:00まだ暗いうちにホテルをでた。初めは行く予定では無かったので飛行機の予約はしていなく、当日買うことにしたのだが、これが大変だったのである。「地球の歩き方」でマドリッドはT3ターミナルである事を知ってたのだが、運転手が親切にも「此処で買って乗るのはあっちだ」と降ろされたのがT2ターミナル。確かに”Spanair”のチケット売り場はあったので購入しようとしたらT3ターミナルに行けと言う。T3ターミナルに行くとさっきの所で買えといわれ逆戻り、「どうなってるんだ!?」と言うと外に出てからT3に行かねばならないらしい。重いリュックを担いでやっとカウンターに辿り着き「この便のチケットが欲しい」とネットの時刻表を見せたら、どうやらネットで予約したと思ったらしく、PC検索を始めた。言葉が解からないのでモタモタしてたら「予約は見つからない」といわれ「予約なんかしないのでここで買いたいんだ」と言ったら此処は予約専用なんだと。7時にならないとチケット売り場は開かないらしい。仕方ないので買おうと待っていたらさっきのT2の売り場の人だった。そんなら早く言えよと思ったけどにこやかに買うことにした。13日の予約も頼んでみたけどそれも出来なかったみたいだ。そんなこんなでやっと乗り込んだ所機内はガラガラに空いてた。これからバルセロナはどんな事になるやら Ofuuu。。

AM8:00 発 9:10バルセロナ到着
バルセロナについたけど荷物を取る場所が離れていて迷ってしまった。ようやく見つけて13日のセビージャ行きのキップを買った。これは今まで一番スムーズに変えて一安心。空港からランブラス通りにあるHostal Palmero にタクシーで、E25。入り口を間違えてたら運転手が教えてくれて入るまで見ててくれた。カウンターのおばちゃんが予約をしていると言っても解からなかったのでメールを見せたら納得したようだった。Wの部屋風呂付E55.一休みの後裏のメルカド(市場)に行った。一番大きい市場で色んな店が出てて面白かった。ランブラス通りを歩いて、カミさんが喉が渇いたのでテラスでビールを頼んだらバケツみたいなグラスで持ってきたのにゃぁ驚いた。しかも値段も馬鹿高く2杯でE20.飲みきれるわけないだろうに?名物みたいなのかも。他の観光客も飲んでいた。
その後港の横の海洋博物館に行った。これはよかった!!帆船模型好きにとっては至福の場所なのだ。特に実際の大きさのガレー船のレプリカが展示されていて写真を撮り良い時間が過ごせて楽しかった。ブラブラ歩いて帰る途中市場で飲んで食べようと思ったら凄い人手で何処のバルも満員。やっとカミさんだけ座らせて俺は立って食べたけどそんな物旨くも何ともない気がした。カミさんはご機嫌だったけど。横にいた人が仮面ライダーの唄を歌ってた。TVアニメは日本の物が多いんだ。部屋に帰って漸く眠れた。PM3:00

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題して「団塊夫婦のアンダルシア珍道中」

2月4日(金)晴れ 1日目 (成田~マドリッド)
初めから躓いた!
いよいよ今日は出発の日、次女が成田まで車で送ってくれた。彼女は今月の終わりにブラジルに行ってしまうので暫らくは会えないのだ。しかし、ここで最初の間違いが起きてしまう。娘はてっきり第2ターミナルだと思い込んで、こっちも確認しないまま駐車場からカートで4Fに行ったら受付が無いのである。慌ててみると何と第1ターミナルに気がついた。駐車場を出てからまた第1ターミナルに行き4Fに行くとHISのカウンターの周りは長蛇の列でようやく順番がきてチケットを受け取るともう出発の時間。慌ててKLMのカウンターに行くと此処も凄く並んでいた。漸くチェックインしたら、何と出発が2時間遅れとの事。娘と最後の昼食をゆっくり摂っていたら出国審査がまた長い列なのだ。結局時間間際になって搭乗となったけど、ギターのお蔭で何とビジネスクラスと一緒に先に乗れたのだ。ギターが手荷物として機内持ち込みが出来るか心配だってけど、スタッフが気を使ってくれて先に乗せてくれたのだ。
PM2.30離陸、 それからアムステルダムまでの11時間が長くてとうとう一睡も出来なかって。仕方ないので虎造を全巻聴いてしまった。16.30スキポール空港到着。またまた2時間の待ち合わせ。これで少しのんびり出来ると思い、カミさんがタバコが吸えるカフェテリアでビールを1杯、しかし、これがその後とんでもない事になるとは気がつかなかったのだ。貰ったチケットには出発ゲートC-9とあったので、パスポートチェックを受けてゲートの前で座って待っていた。出発まであと5分になって、どうもおかしいのでカミさんがスタッフに聞くとD-84に変更になったという事だ。これで大慌てでギターケースを担いでDのゲートまで走っていった。CとDでは空港の端から端まででその距離は相当ある。出発ゲートの近くに行った時は出発時間を10分以上過ぎていた。急いで降りて行ったらまだチェックはされておらず、まだ大勢の人が待っていた。二人ともヘトヘトに疲れてハァハァ言うしさっき飲んだビールは全部汗になって出てしまった。結局のところそれから30分は待ったので、日本と違って時間にルーズなのが幸いしたのである。
20:00離陸 すぐに1時間近く眠ってしまって離陸したのもしらなかった。 23:30マリッド 到着。空から見る灯りにようやく来たのだと実感。荷物検査も無くタクシーで予約していたソルの近くのホテル ヨーロツパ向かった。マドリッドの街が綺麗で気分が高揚してきたのだが、近くに来て運転手が車を止めて何か言ってるけど解からないのだ。車を降りて聴くと、どうやら「お前達が泊まるのはどっちなのだ?」と聞いてるらしく、パンフレットを見せると「早くそれを見せればいいんだ」と言って場所を教えてくれたので、此処から深夜の人のいなImg_1959い街を歩いて向かった。同じような名前のホテルが2軒もあるなんて知らないものな。でも運転手は親切だった。ホテルにチェックインできたのが 0:30. それから風呂に入って、持参した湯沸かし器でスープを作って飲んでようやく就寝。しかし、隣から音がするので眼が覚めて眠れなくなってしまった。 2:30 起きてこれを書いている。
本日の教訓 ”よく見て確認せよ”

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