2月20日
テアトロセントラル PM8:30 開演
1部 May Hernandez (cante)
Nino de la Leo (toque)
Alegriasde Cadez, Malaguena,Fandango,Buleria
彼女のカンテは聴いた途端何だか習ったカンテだな?と思ってしまった。スペインでもこれなのか?とガッカリ。確かにちゃんと歌っていたけど、それはメロディーの正確さ、声の高低、一応の身振りは見られるも
のの、一言とで言うと平板でつまらないカンテで、やばいと思ったら本当に眠くなってしまった。ギターは親指使いみたいだったけど、弾き過ぎで、カンテを引き出すというより、削ぎ落としていたみたいだった。テクニックが上手くてひけらかしていて、カンテを支えている感じは全然しなくて、日本とあまり変わらないなぁ。退屈で眠らないようにするのが大変だった。
Rancapino (Cante)
Pascual de Lorca(Toque)
Solea de Cadez,Alegrias,Malaguena deMellizo,FandangoNaturales,Bulerias de Cadez
ランカピーノが登場して、こんなに体が大きかったっけ?と思うほど大きく見えた。日本の娘さんがどうとか、言って客席を笑わせてから唄い始めた。当たり前だが先程のMayとは雲泥の差でフラメンコとそうじゃないもの位の違いだった。ランカピーノのカンテは声を張り上げるカンテではないけれど、唄い回しの上手さ、レトラの途中のペジスコや歌い上げる時の間など、やっぱりいいよなぁ!!こういうフラメンコは今にスペインでも忘れられていくんだろうか?(悲)皆カマロン風なのばかりになって、渋い大人のカンテなんて好まれなくなるんだろうか?とにかく目は覚めて充分楽しめた。ギターのロルカもピカード使いみたいだったけど、カンテを引き出す良いギターだった。何より弾き過ぎずに、音を入れたのはとても良かった。所々にセンスの良いリズムの刻みやファルセータが入っていて。いいギタリストだなぁと感じてしまった。これだけでE13は安いよ。タブラオに行かなくて良かった。
2部 El Junco (Baile)
David Sanchez, David Palma(Cante)
Ramon Amador,Michelle Lacarino(Toque)
Robert Jaen (Palma)
Siguriya, Tango(Cante y Toque)Solea Por Buleria, Fin de Fiesta
Juncoって初めて見る踊りだけど、最初に見た途端、またこれかよ、と思ってしまった。つまり現代風ってやつ?確かに振りもかっこいいし、足も凄いとは思う、踊り全体も良いんだと思う。けれどもSiguirya,Solea por Buleriaもじゃ何処がちがうんだ?といえばパロが違うだけじゃないの?って思ってしまう。踊りはどっちがどっちでも大して変わらないんじゃないかと思う。日本でも全く同じ様なのを見てるので、スペインがこれじゃ、日本でももっとひどくてもしょうがないよね。只Juncoは最後の方で”あれっ?”と言うほど面白い動きをして、それがとても粋で良かった。Fin de FiestaではJuncoが歌ってカンテの一人がかっこいい踊りをしたのが良かった。この場面は少しフラメンコらしくて良かった。とにかく見た様な振りが多いし、それ程インパクトのあるとは思えなかった。観客も静かで時折小さなハレオがかかる位だった。
今まで、タブラオ、ヒターノのおじちゃん、テアトロ、と3つの踊りを見て思ったのは、その踊る場所の大きさの違いと、それに伴う質の違いだった。タブラオは割りと狭い場所で踊られる為、飛び跳ねたり、舞台の端から端へ動き回るというわけにはいかないのである。おのずとその動きは制約されるのだが、その分見せ場を作らなければならないので、どこを観客を惹き付けるかを考えているのだと思う。今回感じたのは”足”だった。バルセロナのほうがJuncoより余程強くて切れもあり、動きもきびきびしていた様に思う。Juncoの方は動きの大きさ、見せ方は優れていたかもしれない。ヒタノのフィエスタで踊る場所はテーブルの周りだけの空間だった。つまり今までの言った踊り方なんてできないのだ。しかし3つの中で一番印象に残っているのは間違いなくヒターノのおじちゃんの踊りだったのだ。これは自分の好みの問題かも知れないけれど、おじちゃんの踊りは踊りたくての気持ちの発露で動いてしまう、その場限りの一瞬の踊りで2度と同じものは踊れないんだと思う。その違いがコマーシャルなフラメンコとそうでない別なものの違いだと感じた。そして踊っている人の魂の場所も違うんだきっと、上手い下手じゃないんだ。フラメンコの純度の違いなんだよ。
5合のアルコール度30%のお酒を1lの水で薄めると味は希薄になってしまい同じ濃度にするためにはそれに色んなものを付け加えて同じ様なものにしなければならない、けれどそれはもう同じ酒とはいえない、舞台も同じ様なものかも知れない、と思った。空間が大きければおのずとそこにそれまでの物に何か付け加えなければ観客を惹きつけられないのだ余程純度が高ければ別だが。バレーだってオーケストラが無ければ成り立たないのではないかな。だから小さな場所でやっていたフラメンコとは違っていくのも仕方のない事なのかもしれないな。ここで疑問、スペインでテアトロ仕様の踊りを習ってそれを日本のタブラオにそのまま踊っているのはどうなんだろうか?これは現実にそうされてるようだが、なんだかなぁ?
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