2009年3月23日 (月)

最後の日曜日

Photo_2 ブラジル最後の日曜日は娘達が食事に連れて行ってくれました。その前にイタリア人街の広場のノミの市を見て回った。ここは骨董品が多く面白かったのだが1軒だけブリキの玩具の店があって中々良いものが置いてありました。「お宝鑑定団」に出しても高い金額になるのかも知れませんな。後はあまり興味を惹かなかったので食事にいきました。行ったお店は「地球の歩き方」にも乗っているバイア料理のPhoto_35つ星レストラン[Templo de Bahia]というお店で中々高級店でした。お客も殆どが埋まっていて人気のお店らしい。ムケッカというデンデ油で煮込んだ海鮮鍋みたいでグツグツ煮発った鍋とご飯、トウモロコシの粉、山芋の摩り下ろしのようなものが付いてきました。飲み物は「カイピリーニャ」いうのを初めて飲んでみました。ラPhoto_4イムと砂糖を入れたのにラム?と氷を加えたもので、美味しいけど昼間飲むにはきつい酒でした。鍋は海老、蛸、その他色々な魚が入っていてとても美味しかったです。流石一流のお店みたいです。ブラジル、アルゼンチンで食べたもので一番美味しかった。山芋みたいなのはそれだけでも複雑な味で全部を混ぜて食べるのがブラジル流みたいです。これ でブラジルはもう思い残す ことは無いなぁ。

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2009年3月22日 (日)

再びショーロ

カミさんが買い物に付き合うというので、一人でLuzの楽器屋にショーロを聞きに行った。ここいいんですよぉ。いつ行っても人が一杯で楽器を持った人達が多勢いて聴いてて楽しい。皆が入れ替わりで楽器を弾くんだけど、殆ど即興で合わせているらしい。皆かなりの腕の持ち主で結構お年寄りが多いのにはビックリする。この前の写真の人はかなり有名らしく、店員に説明されたけど勿論何言ってるのかわかりません。やっぱり腕がいいんだこの人。今日は唄う人が何人も出てきて唄ったのだがお客がそれに合わせて唄って生演奏の歌声喫茶みたいだ。唄っている途中で変な叔父さんが葉っぱを一枚持って輪の中に入ってきた。歌に合わせてやおらその葉っぱを口に咥えるとミュートのトランペットみたいな音がが飛び出してきた。いやぁビックリしました。いいんですよぉ!。ちゃんと掛け合いになってるの。いるもんだなぁ変な人。出入り自由で無料なので昼食を挟んで見てしまった。ずっと演奏は続いているのでいつ行ってもいいんだね。録音もしたし、サンバ、もボサノバも見なかったけどこれで充分。

近くの電気街をゆっくり見て回ったけど本当にここは秋葉原より凄いです。バチモンは堂々と露天で売られPC関係も殆どあると思われ、店の数もデパートみたいなのは無いけれど秋葉原より多いです。その一因に韓国、中国系の進出が大きいと思います。殆どの電化製品の宣伝はsamsonで中国系も多いようです。他の国に比べ日本人社会が確立されていたのに何故日本が負けてしまうのか納得いきません。駐在員でも韓国は「骨を埋める覚悟でやれ」と言われるそうですが、日本は2、3年で帰らされるので責任感も持たないし、昔アメリカに乗用車を売り込みに行ったサムライ達なぞ今は望むべきも無くなってしまったのでしょう。負けるのは当たり前だわな。今日本で景気が悪いのでブラジルから帰国する駐在員が多いんだそうだ。益々負けるほうに邁進してるんだろ。ここに無くて秋葉原にあるものは”メイド喫茶”と”フィギア屋”くらいです。マンガも”バカボンド”がブラジル語で売られていた。

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2009年3月20日 (金)

何となく

ブエノスから帰って何となく日を送っています。ショッピ(生ビール)を飲みに行くのも減りました。マウスにミルクをこぼして駄目にしたので買い替えました。こちらで45レアル(1800円)でちゃんと使えます。毎日日本食で日本のDVDでドラマを連続して見て(日本では殆ど見ない)、おまけにTVまでPCで見れるので殆ど日本に居る時と変わりません。ビールは缶(360ml)が40円しないので毎日飲んでます。お腹がまた出てきました。この前韓国料理店で冷麺を食べたけどなんだか黒くて細いの、でもあれが韓国の冷麺だって。美味しかった。色々付いて800円くらい。こっちで初めて麺を食べた。日本食、韓国食材には困らないね。何だってあるんだ。日曜市場は凄い人出だったし果物は豊富で野菜も大根を初め殆どあるんだ。日本人には暮らし安い外国では唯一かもしれないんだそうです。スペイン語は皆寝た時間に起きて1時間、覚えられません。問題はギターを弾く気にならない事です。何だか空気が違うのかなぁ。それでも行った時用に練習できる体制は作ったけど。あと少しでスペインに行けると思うとあせるんだけど仕方ないです。来週中にはスペインです。

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2009年3月 9日 (月)

フッチ ボール

ブラジルはサッカーの国です。昨日アパートの近所で突然爆発音が聞こえ人々の歓声が伝わってきました。聞いたらサッカー場が近くにあって試合があると何時もこうなんだと。TVではサッカーは何時も映してるみたいです。今朝のTVを見たら昨日のはロナウドがヘッドでゴールを決めたのでそのシーンを何回も流してした。喜んだロナウドは外に柵に駆け上ったのだが、それを見た外の観衆が押し寄せて柵全体を倒してしまった。爆竹を鳴らし興奮状態で警官隊や騎馬隊まで動員されおまけにショットガンまで持ち出していたのには驚いたね。今日はその話で持ちきりみたいだ。「腐っても鯛」なんだと。しかしTVを見てると日本のJリーガーなんて弱弱しく見えてしまうのは何故なんだろう。特にミドル レンジからのシュートなんて一直線にゴールに行っていて、日本のお辞儀しちゃう行儀の良いシュートとは全然ちがうんだ。折り返しは必ず誰かいるみたいだし、日本とレベルが違いすぎるね。といってもあんまりよく知らないんだけどね。毎日やることも無く1日が過ぎていくんだけどねぇ。ofuuu。。。Ronaudo_3

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2009年3月 7日 (土)

CAPOERA(カポエラ)

  娘の旦那がカポエラを何年もやっていてブラジルに居る要因の一つなんだ。団体はブラジルに無数にあるようなのだが、そのうちの割と大きい”ABADA”というのに所属している。練習があるというので一緒に出かけた。カポエラは日本でも試合を一度見たことあるだけで、内容も良く解っていないのだがブラジルを代表する武術の一つらしいただしそれは日本や他の国の武術とは大分違っていたのだ。カポエラは元々アフリカからの奴隷達が密かに行っていた身を守るための武術で手鎖をつけられていたので足技を発展させたということも聞いたことがあり、沖縄唐手に似た発展の仕方のようなきがする。沖縄は武器を薩摩藩から取り上げられ,鎌やトンファーを使ったり手足を鍛えて武器にしたのです。
金曜の練習は8時からなのだけど遅れていったのでもう終わりかけていた。消Capoera3防署の裏の屋外屋根付きフットサル場みたいな所に大人から子供まで50人以上集まっていた。サンパウロのこの団体の一番偉い先生に見学させてもらう許可をとってくれた。思い思いに飛んだり跳ねたりしていたのだが何をしているのか?今一ピンとこなかった。逆立ちして足を回転させたりバック転や回転蹴りをしていたが空手とは大分違う蹴り方で殆ど膝を曲げない旋風脚みたいなのが多かった。それを空中で何回も回したりしていたんだがそのうち皆ゾロゾロ出て行くので付いて行くと、通りを隔てた薄暗い公園に全員集まったんだ。
ビリンバウや大きいボンゴが持ち込まれ叩き始めた。50人全員が輪になって直径Capoera_2_23m位の空間を作ったのだ。先生の話から直ぐにそれは始まった。
全員がサンバみたいなのを歌いその中でカポエラが演じられるのだ。ジョーゴ(Jogo)というもので対戦相手が次々に変わっていくのだが何重もの人垣なので外からは中で何が行なわれているか見えないんだ。けれど覗いてみるとまるで獣が物凄い勢いで動き回ってる気配がする。100k近い体が凄い速さで回転して足技も見たことの無い圧力と動きなのだ。圧倒されてしまったのだけど良く見えない。そのうち先生が楽器の裏からみればよく見えると気を使ってくれたのでそちらから見ることができた。いやぁ凄かったとしか言いようの無いものです。乱闘寸前にまで行くのもあるし、しかしこの小さな空間の中ででの対戦で相手に実際当てないんだ。空手の寸止めとも違い動きが止まらず次々に技を繰り出し、次の相手と代わるので不思議と当たる音が聞こえない。カメラで写しても良いとのことなので映したら全部ブレていてそれだけ動きが早いということなんで映すのはあきらめてしまった。子供も女性も大きい男と混じって一緒に対戦するのだが、動きはそれ程そん色ないのには驚いてしまう。ボクシングならスーパーフライ級とヘビー級が試合しているのだがそれができるのは、当てないからだ。体重の差など無いくらいにヘビー級でも動きが精妙なんだ。全員パルマを打ちながら唄っているんだけどタンゴののりでこれは付いていけた。上級者と下級者と歌が違っていてそれでそのクラスの人が対戦するみCapoeraたいで婿さんはこの中の唯一の日本人で中級の下クラスらしい。中級が一番多いので輪の中に出て行くだけでも大変なんだ。モタモタしてたらはじき出されるくらいシビアで全員ライバルだから根性がないと怖くては入れない気がする。日本人だからって手加減なんてしないし、わざと当てられ転がされることもあるらしい。地面は勿論コンクリートなんだから。言い忘れたけど当然裸足です。女性と言ってもそこらに居るニコニコした小柄な人が一度輪に入ると文字通り豹変して山猫みたいななるんだけど、輪から外れると元の普通になるのにはビックリします。婿さんも頑張って戦っていました。いやぁ!!いいもん見せてもらいました。観光客じゃ絶対見れません。薄暗い公園で大勢の黒い目つきの鋭い人達が集まっている所にまず近ずけないよ。昔の奴隷達が行っていたのがそのまま残って今に伝わってる気がした。それに挑んでいる我が義理の息子って、俺がヒタノのフラメンコに近ずきたいのに似ている気がした。超えられないものがあるのに、そのコア(幹)に一歩でも近くに行きたいんだ。カポエラにも色々あるらしいけど昔のスタイルに関心があるのも似ている。自分も負けないでスペインに行ったらめげずに行く勇気を貰った気がしました。行ってよかったぁ!。

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2009年3月 5日 (木)

朝からボラチョ

Dsc_0273 娘夫婦のアパートはOscar Fereire通りのはずれにあり、楽器街が近くにあるのは述べたのだが、9時過ぎ郵便局にいき手紙を出したついでに近所を散歩した。落ち着いた雰囲気の家があったり、小さな花屋さんや古本屋さんだあったり中々楽しい。カミさんと歩くと必ずと言ってよいほどバルに寄ってしまうんだ。案の定今朝もビールのビンの種類が豊富なバルを見つけて入った。言葉が解らないのにあれこれ言って結局出てきたのがデッカイ ビールだった。大瓶2本分あるくらいの。それとオリーブをおつまみに飲んだけどまだ朝の10時だぜ。カミさんはご機嫌で釣られてオイラもゴキゲン。全部で16レアル(640円)娘はあきれるし、困ったもんだ。最近お腹がまた飛び出してきたもんな。まぁスペインに行ったらこんなふうにはいかないだろうけどね。まっいっかぁ。。

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2009年3月 3日 (火)

ぶらぶら 歩き

家に居ても仕方ないので殆ど出歩いています。地下鉄のsumar駅から何時も乗ってどこでも2.5レアル(100円)で行けます。昨日は日曜日なのでサンパウロ美術館のアンティーク市とヘブブリカ広場のノミの市に行った。アンティーク市も結構色Photo々なものがあり見ているだけで楽しい。カミさんはこういうのが好きで目の色を変えて安いものをさらに値切るのが趣味みたいだ。ノミの市はさらに地下鉄に乗って別の場所にある。ここは日用品から洋服まで沢山の露天が並び壮観だ。特に広場の周りに絵画と現代美術のオブジェが売られていて、広い家だったら飾りたいものもあった。ここで孫のために「デンデン太鼓」と可愛い子供服を買ったけどまだ大きすぎたね。アフリカ料理?の屋台のコロッケとオクラ入りカレーを食べたけどアジはまぁまぁでそれだけでお腹が一杯なってしまった。そんなに時間もかからずお昼過ぎには帰宅。
今日は一人でLuz駅まで行き、教わった地図でもう一つの楽器店にいったのだけど大したこともなく、その先にある電気街を歩いた。ここは正にサンパウロのアキハバラだった。あらゆる部品屋、電材屋、PC,電器店が軒を連ね雰囲気も秋葉原より綺麗なんだけど古いスピーカなんぞも売っていてハードオフが何軒もあるみたい。こっちは専門家なのでどんな店に何があるかちょっと覗いただけで解るから歩いていても楽しいんだ。大通りを渡るとオートバイの専門街でここは上野か?みたいで何でも置いてあるんだね。ここを詳しく歩くだけで1日かかるなぁ。帰りに古本屋があって音楽関係が一杯置いてあった。打楽器のDVDとギターの雑誌で7レアル(280円)安い!くたびれたので今日はそれで御仕舞い。
ところでウチの娘夫婦はあぶながりでここは一番危険だからと言ってカメラを持たしてくれないのだけど旧市街なので一杯映したいところがあったんだ。今度はカメラを持って行こう。しかしサンパウロは人種の坩堝だとつくずく感じる。日本じゃ考えられないね。大きいのから小さい(俺みたいな)の、黒、白、黄色の中間、超美人からそうでないのまで、若者から年寄りまでゴチャゴチャに生きてる感じ。朝からTVでは銃弾の開いた車の窓の外に死体がころがっているのを映してたり、その割りに街はギスギスしていなく、なんて町なんだと 思う。慣れれば住みよいんだろうなぁ。

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2009年3月 1日 (日)

戸塚(八木)マリ さんの事 その2

戸塚さんにお会いしたかったのは、日本のフラメンコ界の初期を知る人だったからです。その頃の話は伊東さんなどが話すギタリストのことが多くバイレのことには詳しくは知りませんでした。ギターラ以後は菊池女史が良いドキュメントをパセオに載せていたけどその前の時代はもうあまり知っている人も少なくなっているからです。
レッスンの後25年もマリ先生の代教をしている米原さんと4人で「とても美味しいけど店員の態度が最低」との評判の中華屋さんに行きました。その通りのお店でした。そこで色々お話を聞かせてもらった。

日本のフラメンコのバイレの最初は川上五郎さんと川上静子さんで、マリ先生はバレーを子供の頃からやっていたそうですが、トウシューズに合わなくフラメンコを川上先生から習ったそうです。(別に日本舞踊も習っていた)その頃教室に来ていたのが伊東日出男さんで結婚をされて7年暮らしたそうですが、その時宝ともこさんも加えて3人で日本各地を回ったのが日本の最初のクアドロだった。カンテはなく宝さんとマリさんが歌ったそうです。ギタリストは三好保彦さん高田健三さんそして伊東日出男さんの時代です。小松原葉子さんや長嶺康子さん、マルハ石川さんは次の世代の人達でマリ先生が教えたこともあったそうです。マルハさんのエピソードなど面白い話も聞かせてもらいました。小松原さんとは同じ歳だそうですが、自分は舞台でみっともなく見られたら直ぐ引退する覚悟で米原さんにも常にに言っているらしいのですが、舞台に上がるとまるで別人になって、本当に舞台Photo_2人だと思って何もいえなくなるらしい。これは日本舞踊のお師匠さんにもそういう人がいるのでよく解ります。スモークや衣装でごまかすようになったらお終いという事だろうなぁ。(これは俺の考えです)伊東さんがスペインに行ってる間スペイン人のAntonio Utreraのパ-トナーが体を壊したので代わりに全国を回って、その間にスペイン人からレッスンを受けてたら 伊東さん帰ったときコンパスが合わなくて揉めたらしい。これも良く解る気がする。昔の人達といってても第4世代くらいまでの人は旅回りをした、というのは他の人にもよく聞いたことがある。ストリップの前座で出たりヤクザの親分の前でやって危ない目にもあったとか、そういう時代だったんだ。カルロス モントージャが来日したとき彼の奥さんが気に入ってアメリカで自分のグループに入るように誘われたそうです。結局マリ先生はその頃何人ものスペイン人に習っていたけど一度もスペインに行って習ったことがなかったそうです。そして他のフラメンコとの接触もないうちに離婚されその後アイヌの人の木彫家と結婚して最後の移民船でブラジルに渡ったのだそうだ。それからも波乱万丈だったらしいのだけど何年か前にご主人を亡くされたそうです。サンパウロの日本人社会では有名な人で表彰も何回も受けてるみたいです。(ご本人は口にしませんでしたが)

今では週3回フラメンコを教える傍らタンゴ(ブエノスアイレスでみっちり教わったそうです)日本舞踊、演劇まで教えていて週の殆どはあちこち飛び回っているらしい。すごいバイタリティだよなぁ。

去年オートバイに跳ねられて病院に担ぎ込まれたのですが、特にそのときは異常がみられなかったので、3時間くらいで家に帰ってしまい、翌日の公演にでたそうで、その後毎週公演があり休まず出ていたのだが、とうとう頭のこぶから脳内出血をして倒れたそうです。米原さんが代わりにみんなを纏めて最後の公演をしたとき「先生は今までこんなに大変なことをやっていたんだ」と痛感したそうです。手術して3ヶ月後には復帰したそうで、いやはや凄い人なんだねぇ!!普通76歳でオートバイに跳ねられたら再起不能か死んでたかも解らないでしょ。「いい休養になったわ」と事もなげに言われたのにはあいた口がふさがりませんでた。美味しそうにビールを飲まれ食欲も旺盛で見ていて気持ちが良いです。日本の裏側で野の風に吹かれながら一輪の花が毅然と咲いている気がしてちょっと感動してしまいま
した。
戸塚マリ先生の今後の健康と活躍をお祈りいたします。

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戸塚(八木)マリ さんの事 その1

Photo_2  フラメンコでも歌舞伎でも その道があり今フラメンコをやっている人達の前にやはりこの道を作った人達が存在しているのです。そしていつかは今活躍している人達もその道の先達の一人になっていきます。
自分が初めてフラメンコに触れたのが伊東日出男さんのソノシートだったのですが、その中に日本人で初めてのクアドロをやった人の中に八木マリさんがいたのを覚えていました。2年くらい前にTVでブラジルで活躍している日本人の人達のなかに戸塚(八木)マリさんがいたのを思い出したのです。せっかくサンパウロにいるので娘がかかっている日本援協診療所に行ったので同じ建物にある日伯文化教会で聞いたところ何とここで週3日教えているとの事で連絡先を教えてもらい電話しました。若々しい声が電話から聞こえてきて、こんな綺麗な日本語を話す人は最近では聴いたことないです。翌日伺うことにしました。
何と9時?からフラメンコを教えているそうで、初めてお会いするマリ先生はとてPhoto_5も77歳とは思えない程で、完全にダンサーの脚でした。ストレッチの時の体の柔らかさは柔らかいだけでなく筋肉の強さみたいなものが感じられ驚嘆してしまいました。カミさんも誘われて10年ぶりにレッスンを何とサンダルで受けてしまった。今日は初心者の日で生徒さんは6人ですが皆さん楽しそうに練習していました。今の日本のレッスンがどんなものかは解らないけど、教え方は優しいながらも理に叶ったもので特にブエルタはそうやれば本当にそうなるという(できなくても)もので感心しました。とにかくとても77歳の動きではありませんでした。他の例えば今まで知った宝塚とかSKDのダンサーの年取った人に見られるある種毅然とした品格があり、やっぱりダンサーだとしかいえないです。これって凄い事なんだと思う。今並み居る現役で踊っているバイラオーラ達がその肉体とテンションを77歳まで維持できるのか?。肉体は言うに及ばず、その技量やテンションは修羅場をたくさん潜った人にしか持ちえない達人のような気もするけど、マリ先生はそんな事などおくびにも出さずただ淡々と自分のアルテを繰り広げているのだけなのかもしれない。笑顔が素敵な春風みたいな人です。俺にとっては”伝説の人”なんだけどねぇ。いやぁ!!いい人に会いました。。俺がこういうのも変ですが「心が洗われる」ようで会ってよかったです。フラメンコも何も結局は「人」なんだよなぁ。技術だとか何だとかの前にその人があるんだ。

追伸:レッスンで使われていたテープは何と故高田健三さんが弾いていました今聴いても気持ちの良い演奏です。高田さんも日本の裏側で多くの人達のバックでお役に立っているので本望だろうなぁ。

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2009年2月27日 (金)

楽器街

午前中スペイン語を習いに行き、午後近所の歩いて5分位の所にある楽器店を回りました。今までこの道は何度も通ったけど、カルナバルの休暇中で店は閉まっていたのです。坂道の両側にずらりとおよそ50件位の楽器店があって御茶ノ水の楽器店より数倍の規模の楽器店街でした。大きいのから小さいお店まで様々で主にギター(VIOLAO)と打楽器でギターは殆どがエレキギターでアコーステックは5分の一もありません。打楽器はドラムセットからボンゴ系に至るまで豊富でした。サックスのような金管楽器は大きなお店か専門店です。アコーステックギターはブラジルの10弦ギターや普通のクラッシックですが、使う木が違うのか色が大分違っていました。何台か弾かせてもらったけど、奥行きが無いし、硬い感じでしたが、弾く人が弾くと柔らかい音が出るようです。勿論フラメンコには向きません。フラメンコはこれだけあるお店でたった1台だけマドリ製のがあったけど、これも安物ギターみたいでしっくり来ません。楽譜屋さんが1件ありはいったのですが、皆JazzやRock関係ばかりでプレスリーのものまであったのですが、肝心のボサノバやショーロのは一つもありません。これにはビックリ、後で聞いたらここはそうゆうのばかりの楽器店街なんだって。CD屋さんもRockやJazzが多く、しかもボサノバでも誰が良いのかも知らないので何も買わず今回は見るだけにした。近所なので何時でもまた行けるしね。サンパウロに来てまだ一度も生の音楽を聴いていないんだ。まぁ遊びで来ているわけでもないんだけど、せっかくブラジルまで来たのにこのまま何も聴かずに帰るような気もしている。ライブハウスの情報も楽器店で聞いても解らないし、まぁブエノスアイレスにいくのでその時音楽に浸れるだろうからいっか。ところでもう一つ楽器店街があり其処は民族音楽のみたいなのと土曜に街路でやっているらしいので見に行こうと思っています。楽しみだね。でも来週になるんだよなぁ。

Yuna_2 ウチの娘夫婦はカポエラをやっているので、ビリンバウやタンバリンやボンゴみたいな打楽器を演奏している。娘は現地の名の通った奏者に日本語を教える代わりに教わっていたらしく、かなり上手いらしい。聴いたことないけど今は無理だものな。お腹に赤ちゃんがいた時もやっていたのだが、そのせいなのか、ワンワン泣いていてもサンバを聴かせると泣き止むのが不思議で機嫌がよくなるんだ。まだ産まれて一週間なのにね。驚いてしまう。やっとオッパイ飲むのを覚えたくらいです。可愛いよー。「ワタクシ ヨッチュ デスノー」みたいなオシャマさんです。

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2009年2月26日 (木)

お天気

サンパウロは標高800m位の位置なので夏ですがそれほど暑くありません。初めの夜は寒くて起きた程でした。ちょっと蒸し暑くて実は大気汚染が酷く1週間たって喘息みたいな症状がでて咳が止まらなくなりました。蜂蜜とのど飴で何とか凌いでいます。そしてサンパウロは一日に四季があると言われるくらい天候の変化が激しいです。今日は婿さんの仕事場にお邪魔して社長のお父さんと二人で近所に生ビールを飲みにいきました。生ビールはショッピといって何処のバルにあるわけでもないのです。銀座の通りみたいなパウリスタ通りのお店でお喋りしました。大学教授をリタイヤされた方で同じリタイヤでも職人のリタイヤとは違うけど同じ人間同士なので忌憚無く色んな事を話して楽しかったです。社長さんはわずか5年くらいで表通りの5階を借り切るくらいまでにしたやり手の旅行業者さんでしたが、お話を聞いて自分がやってきた自営での商売と共通なことを感じて共感する事が多かったです。帰りがけにいきなり曇ってきたので早く地下鉄に乗って駅に着いたら雷雨が酷くて立ち往生しました。一向に止む気配もないので隙をみて濡れて帰ったけど大変だった。近所の楽器店も行きたいのだが一日一つの事をやるので今のところ一杯です。合い変わらず睡眠も不規則だしね。

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2009年2月24日 (火)

寝まくっています。

朝は2時頃から起きて子供を抱っこして娘を寝かせてその間にスペイン語を少しずつ勉強しています。今日は朝から一人でガルボンブエノのシティでお金をだしてからリベルタージュの東洋人街をぶらぶら歩いた。目的はあったのだが今はカルナバルの休暇中でお休みだった。やっているのはお土産屋さんで殆ど中国系で昔は日本人の街だったらしい。CDを1枚買ったのだがボサノバと聞いていたんだけど帰ったら有名な歌い手の歌謡曲だったみたい。まるで秋葉原のラジオデパートのようで意外とお店に入ると中が複雑になってるみたい。観光客も大勢いました。そこから歩いて旧市街のほうに行ってみたら大きな教会の広場のところで色々なパホーマンスをしていたのだけど、ホームレスも多く危険な所だそうだ。ここでカポエラのパホーマンスをしていた。婿さんは会社を辞めてまでブラジルに残ったのはカポエラをやりたかったのが大きく、自分もどんな物か興味があったので見ていたけど、動きが普通でなく本場は凄いなと思ってきいたら、それらはあんまりたいしたこと無いんだと。ビデオを見せてもらったら本当にもっと高度でちゃんとテーマがあってやっているみたいだ。暇だったら練習を見せてもらおうと思っているのだけど、場所がもっと危険地帯なんだそうだ。ブラジルは本当に危険らしくすぐ撃つんだって特に女性の警官には気をつけた方がいいらしい。結局地下鉄4つの間を歩いてくたびれて帰っただけで、それからずっと眠り続けてご飯食べては寝て今まで眠れなかったのを取り戻すように眠い。起きたのが午前1時でこれを書いてます。

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2009年2月23日 (月)

怒涛の一週間

月曜に日本を立って火曜日にブラジル サンパウロに着き翌日水曜にスペイン語を習いに行き、木曜には子供が産まれ金曜はまたスペイン語に行き土曜日は娘が退院、おまけにカルナバルも夜中に見るし、日曜は近所の露天市に買い物に行っただけ。時差ぼけは治らず新生児の子守を全員でやってる状態。ミルクを飲むのが下手でオッパイもあまり出ず、そりゃぁ赤ちゃんも泣くわなぁ。で寝られず20分間きに起きて子守。最近の新生児がオッパイを吸えないのには驚いてしまう。昔では考えられないことだったな。猫でも産まれたら直ぐ吸うのに何故こんなになってしまったんだろうか?吸い方も知らないほど本能が薄れているとしか思えない。新米親子が一生懸命やってるので、黙って見てるしかないのだが、何だか母娘共々大変そうで可哀想になる。色々ありすぎて、ボケも治らず、凄い一週間だった。少し落ち着けると良いけどなぁ。Ofuuuu..

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2009年2月21日 (土)

サンパウロのカルナバル

  リオのCarnabar1_2カーニバルは世界一の規模で観光客向け要素が大きいそうです。サンパウロのカルナバルは地元の人達だけの為のものらしいのですが、この時期それを避けて郊外に出てしまう人も多いらしく交通渋滞が激しいのです。入場券を4人分手に入れてくれたのですが出産の為夫婦だけで出かけることにした。会場まで車で送ってくれたのだが、近くまでしか行けなく大分心配してくれたのだけど警察は一杯いるし俺達は平気だった。10時開始と聞いていたので混雑も考え8時半には着いたけどまだそれほど人は入ってなかった。会場は阿波踊りの会場を大規模にした様で何万人も入れるみたい。9時頃前座のチームが通ったので直ぐ始まると思ったのだがそれから一向に始まる気配がないんだ。観客は満席近くなっていて。ビール飲んだりのりのりで、前の席の仮装した観客にTVのインタビューをしていて後それがでTVで放映された。、しかし疲れていたので段々不機嫌になってしまった。11時半にやっと最初のチームがスタート、それを見たら度肝を抜かれてしまった。想像をはるかに超えていて観客の乗りも凄くて唄うやら踊るやら発炎筒を燃やすし喧嘩するやらで派手だねぇ。娘の旦那に注意されたのにもかかわらず一眼レフとビデオを持っていった(狙われやすいらしい)ので写真を撮りまくったのだけど、カミさんは心配して不機嫌になったのと疲れが限界に近ずいていたんだ。1チームが通りすぎるのが約1時間かかり2000人くらい出ているそうです。山車が凄くてこれを見るとデズニーランドなんて玩具みたいです。2チーム見たところで残念ながら体力が持たない(以前時差ボケ)で帰ったのだが、話しかけるのも多いのだけど殆ど物売りでこっちの人は黒くてデカイのだ。2m100kg近いのが一杯いるし、でも警察官も一杯いるのでタクシー乗り場を教わって早めに帰った。帰宅したのはそれでも朝の3時過ぎだった。

娘は去年3位になったチームに出場していたみたいで、その時の映像を見せてもらったが頭にお茶碗載せて飛び回っていました。疲れてなければもう1チーム見たかった。

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2009年2月20日 (金)

誕生!!

時差ボケが全然治らず朝方4時に寝たと思ったら5時頃娘に起こされた。どうやら破水したらしい。(来たか!)と思いながら右往左往。娘は落ち着いていてサンドイッチなんぞを10個ほど作っている。とりあえずはカメラとビデオをバックにぶち込んで地下の駐車場に行ったら何と他の車が3重に重なって駐車していて、いちいちそれをどかさにゃなら無かった。ここではそれが普通らしくギヤはニュートラルにしてブレーキなんぞ掛けてないらしく手で押してどかすんだ。驚いたね。車に乗り込み病院へ。受付で少し揉めたけど娘と旦那は処置室に入って行って我々は廊下で待っていた。いやぁそれからが長いのなんのって、周りは現地の人だけだし、言葉も解らないのでひたすら待つ他なかったのだ。一度特別に少しの間入れてもらったときはまだまだという感じ。可哀想で見てられないので再び廊下に。娘も旦那もポルトガル語の日上会話には困らないみたいで、受け答えや種類の書き込みなどはスムーズだったみたいだった。待たされること8時間やっと看護婦さんが顔をのぞかせ手招きしているので行ってみると黒々とした髪の毛の女の子が目をパッチリさせて保育器の中にいた。「いやぁ可愛いなぁ!!!」夢中でビデオを引っ張り出して写したけど、後で聞いたら特別に許されたんだと。看護婦さんたちも好意的でよかった。暫くしてから個室に荷物を持って行った。ブラジルでは翌日退院させるのも多く娘は2泊で返されるのだ。直ぐ前が新生児室で見ていてあきないね。写真を撮っていたらフラッシュは駄目(当たり前)であまり撮るなと言われてしまったけど、オイラは日本人だからなぁ。他の誰もそんな事している人はいなかったな。子供達は初め裸だけど直ぐに持っていった幼児服を着せられそれぞれ可愛いんだ。うちの子は娘が自分で刺繍したおくるみとヘヤバンドを着けて編んだ靴下まで履かせてもらって特に可愛かった。ところが日本のような合わせでは駄目で足までくるむ物でなければならないらしく、ズボンを持ってくるように言われた。並んでいる子供達はスヤスヤ眠っているのにうちの子だけが活発に動き回って全然寝ないのだ、子供達の中でも一番大きかった。みんな純粋の日本人は珍しいらしく警備員やスタッフも良く覗いていってくれているんだ。病室に娘が戻ってからもそれまでに持って行ったパンを分け合った食べただけで、あれが無かったらどうなっていたか?恐ろしいことだ。夜8時過ぎに娘の友達が2組お見舞いに来てくれて、色々持ってきてくれてよい環境とお友達ができていて何となく安心だった。やっと帰宅してアパートの1階のイタリヤレストランに行ったのは夜11時近くやっとまともな食事にありつけた。ビールで3人でお祝いし何だかテンションがあがっているのでビノに移りここのパスタは中々美味しかった。しかし疲れたぁ!!旦那はそれから病院に戻っていったけど、気が付かないほどバッタリ寝込んだ。でもボケは治らず2時間で目がさめてしまった。
Yuna記念すべき長い長い一日だったのだ。

名前:Yuna(結愛) Michelli 2009年2月19日13時産まれ。体重2940g。
奇しくも娘と同じ誕生日なのだ。
4人目のめんこい孫です。無事産まれたのと、これで娘達が皆子供を持って自分のファミリアが一人増えて嬉しいかぎりです。皆が健康で幸せに育ってくれることを望んでやみません。

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2009年2月19日 (木)

時差ボケ

ブラジルと日本は12時間の時差があり、何時もの事ながら時差ボケにかかっていて眠れません。前と違って移動が無いので体は楽です。朝食はパンとフルーツにヨーグルト。スイカとマンゴーでした。近所のスーパーを回って品物と何処で何を買うかを教わって、出産後は自分たちが買い物をしなければならないからです。買い物の後地下鉄で数駅先まで行きレストランテで食べ放題(バイキング)を取ることにした。ブラジルのお米料理や豆料理があって飲み物デザートもあり16レアル(640円)くらいで安いし美味しくお客もビジネスマンが多かった。東洋系から現地の人達まで様々でホワイトカラーの人達でした。その後近くの日本フンダシオンの図書館で時間を潰したのだが入るのにパスポートの提示をしなければならないビルの2階にあり其処にはポルトガル語の本や日本の数ヶ月前の週刊誌まであり、年配の女性が多かった気がする。観光客は来ない場所ですな。そこから近くのスペイン語を教えてくれる人の高級マンションに行ったら入り口でマリア先生が待っていてくれたのだ。娘が予約してくれていて先生はメキシコの人で旦那さんが日本人で日本の静岡に数年住んでいて日本語はペラペラでした。しかし週2回で数回しか受けられないし出産が重なるとそれも無理なので具体的なシチュエーションで教えてもらうように頼みました。けれど今まで一度もスペイン語を習ったことが無いので、まず聞き取りが難しく単語力もないので苦戦です。おまけに動詞の活用などさっぱり解らないながらも辛抱強く教えてくれて良い人でした。娘がボランティアで知り合ったらしく、娘のほうがポルトガル語ながら内容が良く解っていたみたいです。あまり詰め込んでも駄目なので適当に切り上げてもらいました。レッスン料も娘が払ってくれてこれじゃ何のために来たかも解らないです。帰宅後は一休みの後カミさんがソーメン(現地産)と野菜の天婦羅を揚げたのだが二度揚げしないと硬かったけど中々美味しかった。飲みに出ようと思ったのだが疲れて出かけなかった。相変わらず短時間しか眠れないのには参っているんだ。無理に寝ないでスペイン語の勉強したりビールをのんだりカミさんとしているんだ。まだ産まれそうにないなぁ。

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2009年2月18日 (水)

サンパウロ 到着

成田を16日の17時30発バンクーバー、トロントを経由しブラジルのサンパウロに着いたのは17日12時50分。途中何の話も無くというか降りたところでビールを飲みながらってのは夫婦の定番なのだ。娘の旦那が迎えに来てくれていた車に荷物を積み込み住処に。サンパウロは車で渋滞だった。医者に行ってた娘は臨月のおなかでパンパン。でも元気で一安心。一休みの後モラートコエリョ通りに食事に行った。通りの両側は洒落たレストランが並び人出も平日にしてはあるらしかった。ピカーニャという焼肉で美味しかった。第一日目はこれで終わり。PCをつなげてもらってこれを書いてます。ブラジルは何とかネット環境はあります。ちょっ疲れたのでここまで。周りが身内なのでブラジルにいる実感が沸きません。遠くに来た気がしないのが不思議。

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