戸塚さんにお会いしたかったのは、日本のフラメンコ界の初期を知る人だったからです。その頃の話は伊東さんなどが話すギタリストのことが多くバイレのことには詳しくは知りませんでした。ギターラ以後は菊池女史が良いドキュメントをパセオに載せていたけどその前の時代はもうあまり知っている人も少なくなっているからです。
レッスンの後25年もマリ先生の代教をしている米原さんと4人で「とても美味しいけど店員の態度が最低」との評判の中華屋さんに行きました。その通りのお店でした。そこで色々お話を聞かせてもらった。
日本のフラメンコのバイレの最初は川上五郎さんと川上静子さんで、マリ先生はバレーを子供の頃からやっていたそうですが、トウシューズに合わなくフラメンコを川上先生から習ったそうです。(別に日本舞踊も習っていた)その頃教室に来ていたのが伊東日出男さんで結婚をされて7年暮らしたそうですが、その時宝ともこさんも加えて3人で日本各地を回ったのが日本の最初のクアドロだった。カンテはなく宝さんとマリさんが歌ったそうです。ギタリストは三好保彦さん高田健三さんそして伊東日出男さんの時代です。小松原葉子さんや長嶺康子さん、マルハ石川さんは次の世代の人達でマリ先生が教えたこともあったそうです。マルハさんのエピソードなど面白い話も聞かせてもらいました。小松原さんとは同じ歳だそうですが、自分は舞台でみっともなく見られたら直ぐ引退する覚悟で米原さんにも常にに言っているらしいのですが、舞台に上がるとまるで別人になって、本当に舞台
人だと思って何もいえなくなるらしい。これは日本舞踊のお師匠さんにもそういう人がいるのでよく解ります。スモークや衣装でごまかすようになったらお終いという事だろうなぁ。(これは俺の考えです)伊東さんがスペインに行ってる間スペイン人のAntonio Utreraのパ-トナーが体を壊したので代わりに全国を回って、その間にスペイン人からレッスンを受けてたら 伊東さん帰ったときコンパスが合わなくて揉めたらしい。これも良く解る気がする。昔の人達といってても第4世代くらいまでの人は旅回りをした、というのは他の人にもよく聞いたことがある。ストリップの前座で出たりヤクザの親分の前でやって危ない目にもあったとか、そういう時代だったんだ。カルロス モントージャが来日したとき彼の奥さんが気に入ってアメリカで自分のグループに入るように誘われたそうです。結局マリ先生はその頃何人ものスペイン人に習っていたけど一度もスペインに行って習ったことがなかったそうです。そして他のフラメンコとの接触もないうちに離婚されその後アイヌの人の木彫家と結婚して最後の移民船でブラジルに渡ったのだそうだ。それからも波乱万丈だったらしいのだけど何年か前にご主人を亡くされたそうです。サンパウロの日本人社会では有名な人で表彰も何回も受けてるみたいです。(ご本人は口にしませんでしたが)
今では週3回フラメンコを教える傍らタンゴ(ブエノスアイレスでみっちり教わったそうです)日本舞踊、演劇まで教えていて週の殆どはあちこち飛び回っているらしい。すごいバイタリティだよなぁ。
去年オートバイに跳ねられて病院に担ぎ込まれたのですが、特にそのときは異常がみられなかったので、3時間くらいで家に帰ってしまい、翌日の公演にでたそうで、その後毎週公演があり休まず出ていたのだが、とうとう頭のこぶから脳内出血をして倒れたそうです。米原さんが代わりにみんなを纏めて最後の公演をしたとき「先生は今までこんなに大変なことをやっていたんだ」と痛感したそうです。手術して3ヶ月後には復帰したそうで、いやはや凄い人なんだねぇ!!普通76歳でオートバイに跳ねられたら再起不能か死んでたかも解らないでしょ。「いい休養になったわ」と事もなげに言われたのにはあいた口がふさがりませんでた。美味しそうにビールを飲まれ食欲も旺盛で見ていて気持ちが良いです。日本の裏側で野の風に吹かれながら一輪の花が毅然と咲いている気がしてちょっと感動してしまいま
した。
戸塚マリ先生の今後の健康と活躍をお祈りいたします。
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