2009年10月 9日 (金)

偶然

昨日住民登録証を貰ったのでセビージャの警察に居住許可証の変更申請に行きました。相変わらず混んでいて9時過ぎに受け付けて、順番が来たのは12時近かった。もう待つ事はしょうがないと思うことにしたけど、厭だネェ。手続きは簡単に済んでカルタは送ってくれるらしい。バルで持ってきたパンとビールを飲んで、時間が余ったのでセビージャのメルカドに行くことにした。(寒くなってきたので魚が新鮮なら買おうと思ったのだ)ブラブラ歩いてヒラルダの傍に行ったら向こうから見たことのあるような日本人のカップルがいた。よく見たら関西のギタリスト中西君とカンタオーラの井上恵理さんだった。おや!まぁ偶然。来ているのは知っていたけどこんな所で会うとは。彼らは行き当たりばったりの旅行みたいで、近くの"Compas Sur"というセビージャでは今唯一みたいな?フラメンコ専門のCD屋さんに案内したんだけど、自分達も急いで行かなきゃなら無い店があったので其処で分かれた。シェスタになると店が全部閉まってしまうのでその時間帯は厳しいのだ。カジェ フェリアでは路上市が開かれていたけど大したものは無かった。メルカドで色々買ってたら時間が無くなり、やっとバスでモロンに帰ってきたら、カミさんはダウンしてしまい、今になってサンタンデールの疲れがどっと出てきた感じ。明日は完全休養にしよう。スペイン語のクラスも初めて休んでしまった。

追記:10日にカデスの”Pena Juan Villar”で俵さんのコーディネートで平野さんが歌いエンリケさんが弾くのを中西君達は見に行くらしい。スペインに来てワザワザ日本人のカンテとギターを聴きに行くのは奇特な事だなよなぁ。そういう有名なペーニャでやるのはきっとステイタスになるんだろうねぇ。またヨイショ記事でも出るんだろうか?昨夜”Pena El Gallo”でタダで唄った小里綾さんはステイタスにもならんね。(笑い)トルタと俵さんがやるなら見に行くけどね。カデスは遠いよ。

| | コメント (2)

2009年9月24日 (木)

住民登録((inscripcion en el padron)

居住許可証が下りたらayuntamento(市役所)で住民登録の申請をします。居住許可証(カード)パスポートとその全コピー、住んでいるピソの賃貸契約書のコピー、大家さんの納税証明書のコピーが必要です。それらを提出し数日後に住民登録がもらえます。今日(木曜)提出して火曜日に下りるそうです。細かい話が解らず又もや青木さんにお世話になってしまった。「何日に再び来たらよいのか?」聴いたのだが早口で聞き取れず困ってしまったのだ。アンダルシア弁は本当に何を言ってるのか?解らない時があるのだ。でも無事に済んだのでよいとしよう。驚いたことにこの部屋にオリジナルのガスパチョやフエリアのポスター(原画)が飾ってあり次回、写真を撮らせてもらう事にした。こういうのは解るんだよね。今日から新しいスペイン語教室に行く予定です。此処も無料なので助かります。大抵の市にはこういいう無料の教室があるみたいなので、探してみるとよいと思います。

追伸:行ってみたら誰も居ない。6時からが7時だという。7時に行ったら誰も居ない。今日はしないみたい。手続きの時は火、木曜の6時からと言っていたのに。これがスペインです。いちいち頭にきてたら生活できないのです。帰りにセルベセリアで日も高いのに一杯やって帰った。1日一つの事をこなせば上等だよ。

| | コメント (7)

2009年7月27日 (月)

ようやく

スペインに2年住むというのは30年位前からの夢でした。小さい夢が今やっと叶おうとしている時その夢をかなえるためには切り捨てなければいけないものや失うものも大きいと気付かされたのも、今度の一時帰国でした。それでも「夢が叶うというのは、誰にでも出来ることではないよ。」と言ってくれたのは昨夜のナナでの炎さんです。アフシオナードとしての今の自分を振り返ってみると、誰にも媚びず、恐れず思ったことをそのまま正直に言って敵も一杯作ったし嫌われもしたけど、そうやって歩いてきた道に微塵も後悔はしていない。それが出来たのも、その道のりにナナさんやペペさん俵さんたち多くの人の助けがあったからに他ならない。ここらで一区切りしてこれからスペインでアフシオナードとして一からやり直してみようと思っています。最後に俵さんたちが出演したエルフラに行った。Juan Villalのカンテを中心とした島村香、金子文乃、伊集院史郎のバイレでした。Juanのカンテは最初のカナステーロが良くて踊りのカンテも声の出し方を瞬間的に変えてるみたいでレトラも即興で歌っている?のもあってとても良かったです。バイレは金子さんのシギリジャが印象深く、踊りが進むにつれ表情も踊りも変わっていくのにはビックリ!けっして器用な踊り手では無いけれども、他の人の真似の出来ないものを持っている一人だと思う。打ち上げにも混ぜてもらって楽しい一時を過ごさせてもらった。
最後にナナに一人で行ってお客も居ないので炎さんと昔話をした。ナナは自分のフラメンコの殆どだったと言ってよい。此処から始まった自分のフラメンコを今度は別の場所で探すことになる。帰る間際に瀧本さんが入ってきた。Solea、Sigurijya、Buleriaを唄ってくれた。最後までなんて俺は付いてるんだろう!亡くなったナナさんが言った通りだった。。これまでフラメンコで遊んでくれた皆さんありがとう!
Hasta Luego

| | コメント (1)

2009年7月17日 (金)

ビザ取得

今日漸くビザを貰いました。これまで青木さんには随分お世話になってしまった。「よく待ちましたね」と大使館の人に言われたけど貰うまでに丸1年以上かかってしまったのだ。最長期間かもしれない。そもそも大使館の人が2ヶ月で出るようなことを言っていて申請も言う通りに行ったのだが、それが甘かったのだと言わざるを得ない。とにかく普通の考えではスペインビザは取れないと思った方が良い気がする。だから貰うまでは疑心案暗偽でまた何かあるのでは?と疑い深くなっていた。まぁこれでもらえたのでほっとしたのは事実だけど、スペインでのレジデンシャル(居住許可)があるのだ。それはまた帰ってからですがね。
帰りにスペインのお土産を買いに浅草に行った。久しぶりの浅草はやっぱり外人の人達が多く、ここなら何でも揃うので来て良かった。買った後はこれまた久しぶりに「神谷バー」に。ここはスペインのバルみたいで地元の人も観光客も気楽に入れる老舗です。簡単なツマミと生ビールと当然電気ブランを頼む。地元の人はどうやって飲むのが多いのか?興味があったので見ていた。大抵は電気ブランと水をチェイサーにして飲んでいるようだった。俺はビールをチェイサーにして飲むものだと思っていたんだけどな?違ったみたいだ。あれは本当はどうやって飲むのが正しいんだろうか?
もう後は帰るばかりになった。本当は行くというのが正しいのかも知れないけど、「帰りたい」が本心なんだ。日本には居場所が無いからだけど。

| | コメント (8)

2009年4月22日 (水)

あと少し

エステポーナの青木さんの家に来てもう1ヶ月近くなります。明後日モロンに発つのでこれがエステポーナの最後になります。モロンではネットが直ぐには繋がらないので暫くお休みです。思えば僅か一ヶ月の間に色々なことがありすぎて、展開の速さに驚いていて唖然とする事が多かった気がします。けれどもそれは全てに於いて嬉しい驚きでした。これも青木さんのお陰です。地元のTVに出たことによって何人もの人に声をかけられたり、それは恥ずかしかったけれども好意的に見られたのは嬉しいことでした。ヒメノスさんやイグナシオに会えたのも、モロンでアントニオに会ったのも偶然かもしれないけど、何年も好きだけで追っかけてきたのをフラメンコの神様が可哀想に思ったのかもしれません。ヒタノのフラメンコのファミリーと付き合う事になるとは夢にも思わなかった事です。最後のレッスンにイグナシオにちょっと褒められたのを糧にモロンで地道に練習しようと思っています。ミツコさんが言った「これからがスペイン語も喋れない夫婦の本当の大冒険」が始まるのだと思っています。ゆっくりモロンで暮らしていければよいです。それではまたね。Hasta luego

| | コメント (1)

2009年4月16日 (木)

Moron 家探し 2日目 その2

アントニオ達と話していると、マヌエーと呼びかけたのでそっちを見るとお懐かしやManolo Coronadoさんじゃぁありませんか!アントニオは紹介してくれるつもりだったのだけど、旧知の仲なんだ。マノロは俺の事「こいつはブレリア下手糞なんだよな」って言いやがんの。「此の前の指の怪我はどうした?」って聞いたら指を広げてみせた。中指が曲がり放っしになってしまっていた。それどもギターは弾いてるみたいで良かった。聞いたらペペと喧嘩したらしくガジョには行っていないみたいなんだ。どうりで空気が冷たかったわけなんだ。25日にPrunaでフィエスタやるからお前も来いと言われたので其処は何処なんだ?歩いていけるのか?と青木さんが聞いたら25kmも離れてるんだって。行けたらいくよって事だね。(後で聞いたらイグナシオにも誘われたので行こうかと思っている。ヒタノが皆集まるらしい)外のテーブルに小太りのいGaspar かにもヒタノのガスパール(まだ若い?)がやってきて「俺はアニージャの孫だ」と言ったので「あのアニージャかい?」と驚いてしまった。(”Aniya la de Ronda” 伝説のカンタオーラでDiegoの大伯母:El eco de unos toquesに写真があります)これは間違いでDolores Amaya Floresの孫みたいだった。アントニオの話だとガスパールの踊りは大したものらしい。(ガスパールは瀧本さんにそっくりで思わず笑ってしまった)青木さんと話込んでいたけど、何だか解らないけど結構俺達を心配してくれて「いい奴ばかりじゃないからな」と言っていたみたいだった。アントニオに今日のお礼にガジョに来てくれるように頼んで帰ったけど二人とも興奮状態でシェスタもできなかった。

ガジョにいくとアントニオヒタノのアントニオ(ややこしい)が入ってきた。二人ともカンテを唄うみたいだった。アントニオがポケットから取り出してくれたのは「2008年ディエゴ生誕百周年記念」に作られたCDだった。まだ日本では発売されてなくこれもForoがかかわっているみたいなのだが、掛けてみると全く聞いたことのないフアルセータの曲がありもう売られていないみたいだが、確かでは無い。PepeがJoselero,Perrate、Bernardaをかけて、いいんです!これが。思わずJoseleroのレトラをなぞったり、Perrateのメロディーを鼻歌で追ったり、ここがいいんだよーと目配せすると「こいつ良く知ってるなぁ」と言ってくれた。(俺だってそれくらいの事はできるんだい、ベラボウメ!(注)長井さんのマネ)アントニオは二人ともSinギターで唄いヒタノのほうはちょいと踊ったりしてこれがまたいいんだね。(笑い)粋なんだよ。(今俺は”ナナ”で遊んでいる時と同じ様に普通にモロンで遊んでるんだなよぁ)と感じたらなんだかジンとしてしまった。こんな事できるとは夢にも思っていなかったし、ただDiegoが好きというだけで、受け入れて普通に話したり(言葉はあんまり解らないけど)してくれるのは本当に楽しかったんだ。やっぱりモロンに来てよかったよ。フラメンコっていいんだよなぁ!!。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Moron 家探し 2日目 その1

例のバルで朝食を食べてから "Pena Gallo"に行った。Pepe (Lebron)は前よりこざっぱりしていて元気そうだった。どうやら思い出してくれた?みたいだったが、相変わらずの感じで何だか可愛いんだね。最近出した自分のCDをだして早速売りつけられたが青木さんと1枚ずつお付き合い。奥さんのエンカルナ(ローラじゃなかった)が居ないので聞くとあまり体調が良くないみたいだった。青木さんはフラメンコの話をしたのだが、以前と雰囲気が変わっていて、フラメンコの匂いはしなかったのだが、その理由は後にわかる事になるのだが壁の写真は大分変わっていて、増えていたのとDiegoの見たことの無いのも飾ってあった。ちょっと飲んで不動産屋との約束の時間が来たので店を後にした。

案内されたのは街の下の幹線道路沿いの6階建てアパートの最上階だったのだが、スペインに来てまでアパートに住みたくないのでここも断念した。ここも電気、水道、ガス料金は別だった。さて、困ってしまったのでバルで相談する事になったのだが、家賃は殆ど同じで電気、水道料金が同じだとすると、一番初めに見たピソが際立ってよかった。カミさんも仕方なく妥協すると言ったので電話連絡して後ほど会うことになった。歩いていたら突然俺の電話が鳴り足をけがしたマノロからで1時間30分後に1軒見せるのでバルに来いといわれた。了解して電話を置いた途端又鳴って今度はアントニオからで今から1軒見せるからバル ミゲリートの所に来いという。そっちに向かう途中ヒョイと横を見ると「ん!?」向こうもこっちを向いて?”Paco Paco del Gastor”さんじゃありませんか!」奥さんと散歩中みたいでダンディに決めてました。青木さんは20年ぶりに会ったので舞い上がっていて、「あなたの作ったパハロのパエジャは美味しかった」とかわけの解らないことをいってるし、パコはペペ島田さんの事を覚えていてその話をするし、どうやら「そのうち俺の家にも来い」と言ったみたいだが定かではない。こんな風に会ったのは2度目だけど、前回モロンに一週間いたけど誰にも会わなかったのに変だなぁ。奥さんは大柄だけどとても優しそうでカミさんとなにやら話してたみただったが?アントニオに今パコと会ったと言ったら「友達だよ」で終わり。皆知り合いなのかね?
セントロからすぐの道を登った所に大柄で物静かで知的な女性が待っていてくれて、ドア(ガレージ)の鍵を開けてくれた。彼女がここのオーナーのMercedes(Merci)だった。ガレージの奥のドアを開けると、廊下の右にアーチがあって小さなパティオがあった。奥はサロンと台所ここもオール電化、寝室2つ、場所は良い環境で車は通り抜けられないのだ。しかし、またしてもシャワー式で断ることにした。するとアントニオが思いがけないことを言い出したんだ。「この壁を壊して風呂を作ってやれよ。(壁を壊す?)するとメルシは躊躇無く同意してしまったのには驚いてしまった。だって日本ではありえないでしょ!?しかも家賃も負けてくれるらしい。ここまでされては風呂の問題が無ければ良いことだし、決めることにした。懸念していたネットはケーブルTVが入っているので電話を引くことなくできるみたいで、これだけでも助かるのだ。しかしアントニオの友達のマノロとの約束もあるので、そちらを見てから決めることにして了解を取った。バルでマノロと待っていたのはニコニコした銀行員みたいな人で案内されたのは先ほどの家の真向かいだったのには驚いてしまったのだが、中にはいると月とスッポンほど違っていて、3階は3寝室、2階に豪華なサロンと事務部屋1階にキッチンとバスルーム、とてもじゃないけどこんな所に夫婦2人で住めないよー。かえって断りやすかったので良かった。実際の所一番最初のが良かったのだけれども、此処はアントニオの身内やマノロの身内も住んでいて、何かあったときは助けてくれるかもしれないという甘い根性もあるのだけど、何だかここの方がフラメンコの匂いがするんだね。後で聞いたらDieguitoPepe Torreも近くにいるらしかった。夕方書類の事でメルシと会うことにしたのだがバルの前を通りかかったのでそのまま渡して翌日に契約することにして、もうこれで今日は何もする事も無くなって何だか信じられない気分だった。(続く)

| | コメント (0)

Moron 家探し 1日目 その2

Aoki 待ち合わせの時間に車で」迎えに来てくれたのは若いKiko氏で案内してくれたのはCalle Pocitoから入った2階のピソだった。3寝室、サロン、浴室、キッチンでオール電化、窓の外は古城が見えて抜群の環境。実はこのピソはその後見た中で一番気に入った物件でした。問題は家賃なのだが我々は限られた予算で出来るだけ長く住もうと思っているので、安いにこしたことはないのだ。ここは電気、水道料金が別でその経費が馬鹿にならないのでは?との不安があり、後々カミさんと議論する事になるのだ。とりあえず他も見る事にしてそちらに向かうことにした。
案内されたのは地図で示された場所とは違いLa Carreraに近い小路の2階のピソで2寝室、サロン、キッチンで環境も良く綺麗なピソだったのだが、1つの問題で断念してしまった。それは風呂で、ブラジルでシャワーだけの経験をしてきたので、我々にはそれだけは譲れないと決めていたのだ。ここも電気、水道料金別。もう一度不動産屋で明日他の物件を探してもらうことにした。
先ほどのバルでアントニオに「まだ見つからないんだ」と言うと「心配するな、ゆっくり探せ。見つけてやるから」と言ってくれたけど、正直(あてになるのか?)と思っていたんだ。今日(月曜日)はGalloも休みで食事してオスタルに帰ったが、ピソはともかくもフラメンコがあるのは分かっただけでも良かったな、と自分の慰めにしたけれども、ピソが見つかるか?どうかは全く分からずどれだけ時間がかかるのか?見当も付かず不安が増すばかりだった。けれども腹を括って見つかるまで居ようと決めて翌日も泊まることにしたのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月28日 (土)

銀行の事

Dsc_0002 日本のCti銀行でトラベラーズ チェックを薦められこれだと簡単にスペインの銀行にパスポートを持っていけば口座が作れると言われたのだが、そう甘いものではなかった。まず金額が多い(600ユーロ以上)と本社にお伺いを立てなければいけないらしい。アメックスが本物かも問題だ。書類のサインも多いし、何より言葉が解らないのだ。青木さんの知り合いのホセ マヌエルさんが担当してくれて青木さんが全部翻訳してくれたので、何とか口座は作れたのだが物凄く時間がかかった。青木さんが居なかったら途中で放り出していたのは間違いないことだ。ところが終わって食事中ホセさんから電話でTsでは新規口座は開けないんだと。それでもホセさんが自分の責任でやってくると言ってくれたので安心した。青木さんの顔の広さには驚いてしまうよ。他の人もそれなら俺が他の銀行に話してやると言ってくれたりするんだ。結局日本の銀行の情報が間違っていたのが原因で大分迷惑を掛けてしまった。これから来る人達も気をつけた方がよいです。別の対応も準備できたんですから。カードが出来るのは10日くらい先かもしれない。下手をしたらTRは何の価値も無かったかもしれないのだ。お昼は港の前の中華店で点心と炒飯で中々美味しかった。昨夜は歓迎会で3人でやはり港の高級なお店で魚のフライみたいなのを食べ過ぎてしまった。ここも美味しかったです。落ち着いたら近くの村にも行ってみたいな。4月の2週目にセマナサンタがここエステポーナであるのと、とても良いそうなので楽しみです。

| | コメント (0)

2009年2月10日 (火)

準備

もう出発まで一週間をきりました。今の段階は持っていく荷物は大体そろったけど結構重いものになってしまった。それにギターが加わるので大変だ。家の管理を娘に任せるのでその引継ぎやらなにやらで、バタバタしているところです。ビザは間に合わなかったようだ。出たら一時帰国しようと思う。それより、仕事の整理もつけて、行くまで一週間を切った今その間の待つことに変な焦燥感や本当に行けるんだろうか?という不安感で胃が痛くなる時がある。不思議と向こうでの生活には不安は持たないのだけれど、出発できるのか?何か起きるのでは?とか思ってしまうのです。結構気が弱いんだね俺って。今漸く夢がかないかけているこの時に嬉しさよりも戸惑いと不安に駆られるのは何なんだろう?臆病なのかも知れないね。かといって留まるつもりは毛頭ないんだけど。矛盾してるよなぁ我ながら。。

| | コメント (1)

2009年1月16日 (金)

ビザ申請

ブラジル大使館に観光ビザの申請に行きました。かなりのブラジル人が訪れていた。日本は今景気が良くないので帰国する人も多いんだろうなぁ?申請用紙は前もってネットでDLして、ポルトガル語はネットの翻訳サイトから採って書き込んで提出したら、特に訂正も無くOKだったので拍子抜けしてしまった。スペイン大使館との何度ものやり取りは何だったんだろう?と思うほどだ。30分もかからず終わってしまった。それからスペイン大使館に行ってみたら大違いで、待たされたあげく、何時頃ビザが下りるか解らないんだと。もう半年だよー。挙句の果てには一番難しいビザだからとか何とか。そんな事言っていなかったでしょ。3ヶ月で充分と言ってたのに。はぁあ。気が抜けた。仕方が無いので出た時点で一時帰国することにした。何ぼなんでも1年以上かかるか?普通。。驚いちゃうよなぁ。いくらスペインがいい加減でもそりゃないだろよ。と怒ったところで始まらないので銀座のエスペロでランチを食べて帰った。ここの1000円ランチってTVでも出たらしいけど美味しいんだよ。しっかし疲れ果ててしまった。歳だねぇ。。Ofuuuuu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 9日 (金)

いよいよ

チケット購入しました。まずはブラジル行きの片道切符ですが、まだブラジルの観光ビザの申請をしなければなりません。来週の後半になるけど間に合うんだろうか?スペインのビザは何も言ってきません。もう6ヶ月経つのに。無理だったのかも。まぁいいやっ、いよいよ煮詰まってきた感じ。まだ仕事も残ってるし、準備も何もしてないんだ。ブラジルは今夏でおまけにリオのカーニバルなんだと。行ってもそれどころじゃないんだろうけどなぁ。。ofuuuu

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年11月 4日 (火)

ビザの事

今日スペイン大使館に電話したが、まだ下りないというか、しかも何も解らないとの事。一体どうなっているのかいな?リタイヤメントビザは難しいのだそうだ。そんな事聞いてないよー。書類は全部整って、3ヶ月で下りると簡単そうに受付の人は言ってたけど、今度はいつになるか解らないらしいのだそうだ。おまけに下りるかどうかも解らないんだって。参ったねぇ。お役所ってのは何処の国でも同じなんだな。まぁ今年一杯は動けないので気長に待つてよ。Ofuuu...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月16日 (木)

株価下落

世間ではアメリカの株価急落に伴って世界の株式全体が一気に落ちて大騒ぎだそうだけど、庶民の俺にとってはあまり感じません。持ってた端株はとっくに売って使っちゃったしね。株を初めて買ったのは高校生のころでアルバイトして買ったんだった。生来の博才の無さと金儲けには縁が無いのでそのまま10年以上ほっといたんだ。ただこのところのユーロの価格には敏感になるね。少し前にユーロに変えたのがあるけどそれより大分下がってしまったのだから困ったね。ユーロの為替はスペインでの生活がどうなるかに影響するので為替価格と物価の連動がどうなっていくのか?今一番の問題は家賃と物件があるか?なのだけどネットで調べているけどどうなんだろうねぇ?。なるべく安く住みたいのだけどね。ところでまだビザは下りてきません。どうなってんだろう?7月に提出してもう3ヶ月たって何の連絡も無い。けれども今の仕事が伸びたので自分にとっては問題ないのだ。行けるのは来年になってからになることになってしまった。そのころユーロはどうなっているんだろ?今より下がる気もするね。どう思う?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月25日 (金)

提出完了

今日はカミさんの無犯罪証明書と戸籍謄本及び住民票のアポスティーユとスペイン語の訳を添えて提出した。やはりアポスティーユもコピーも必要だった。これでようやく審査待ちという事でまずよかった。しかし、またもや問題が出てきて向こうで居住証明書を地元警察に提出してカードを貰わなくてはならないのだけど、降りるまでスペインから出国出来ないみたいだったのだ。12月に行って2月にはブラジルまで行かなければならないので、困ったので聞いてみたらどうやら許可を貰えば大丈夫らしいので一安心。段々現実味を帯びてきたみたいだけど、これから大変な仕事がまっているので専心できるのでちょうどよかったな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月10日 (木)

やっぱり!甘かぁなかった。

今まで皆からスペインにビザ申請は簡単じゃないと散々言われてきた。大使館からカミさんとの夫婦関係の証明の為に住民票と戸籍謄本およびそのスペイン語訳を提出しろと電話があった。これまで何回も行っているのにその説明は受けていなかったし、申請手引書にもその記述はなかったのだ。みんなの言ういわゆるスペイン流というのがこれなのかなぁ?と思って妙にに実感した。一回できちんと説明してくれれば書類も整えられるのだけど小出しにするのは何か意味があるのだろうか?それでもブログのネタにもなるのでこれも経験だと思っていくことにする。あった事柄を忠実に書いておくこともこれから申請する人達にも参考になるかもしれないからね。今回も説明無かったがアポスティーユも取っておかないと必ずまた次に言われる気もするし、コピーもとっておかなければ油断できません。時間的には余裕があるみたいなので出来次第提出することでいいらしいので良かった。まだ何か出てくるんだろうか?今まで5,6回は大使館に行ったものなぁ。それではまだ甘いという事かね?まだまだ一筋縄ではビザは取れない気がしてきた。Ofuuu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 9日 (水)

ビザ申請書 提出

ようやくビザ申請をすませた。カミさんの健康診断と海外保険を7日不受理の後すぐに電話で対応して役所の書類も取って2日後の今日再提出した。前に自分のは見てもらっていて訂正部分のみの確認ですみ、なんのことなく終了。拍子抜けするくらいだった。しかしカミさんの無犯罪証明書が残っていて後日提出することになってその足で警視庁にいき手続きをすませたのだがもう1回大使館に行くことになった。やっと提出できたのだけど、自分一人では出来なかった。色んな人達の助けがあったからです。ビザがでるまで4ヶ月くらいかかるとのことなので、ちょうど良い時期に提出できました。帰りにカミさんが前から行きたかったらしい(TVでやってた)銀座のエスペロの1000円ランチを食べにいった。前に一人で行ったときは量がイマイチかな?と思ったけど選ぶ品によって充分おなかが一杯になり味も良いのでお勧めです。しかし今回カミさんは真っ赤な服を着ていくと言ったのでビックリ「お前そんな服きて警視庁に無犯罪証明もらいにいくんか?どう見ても犯罪者に見られちまうぞ」と言って止めさせたけど不満顔だったな。何考えてんだか?Ofuuuu

参考までに提出書類(非営利目的居住査証)
1.査証申請書 写真付きオリジナル 及び コピー 3部
2.パスポート とそのコピー 1部
3.無犯罪証明書(警視庁に本人が申請)1部
4.健康診断書(指定用紙に医師及び病院印が必要)オリジナル及びコピー3部
5.年金証明書(スペイン語訳付き)オリジナル及びそのアポスティーユ(外務省にて取得)       とコピー3部
6.海外旅行保険証明書(保険会社の押し印のあるもの)コピー3部
7.居住証明書(スペイン国内の届出正式書類)及びコピー3部
8.連絡用データ用紙 1部
9.返信用封筒80円切手付き 2部
スペインに渡る時期を決めてその5ヶ月前に提出をめどに書類等を集めました。証明書類には期限があるので考慮が必要です。

追伸:夫婦で行くので結局
10.カミさんの無犯罪証明書
11.戸籍謄本(スペイン語訳付き)アポスティーユ、コピー3部
12.住民票(スペイン語訳付き)アポスティーユ、コピー3部
追加提出しました。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 8日 (火)

仏滅かぁ?

7月7日にビザの申請をスペイン大使館に提出した。これが見事失敗。仏滅の日に何か決めようなんて、と思った(古いね俺も)けどね。最初書類を貰いに行った日にカミさんの申請はいらないと聞いていて書類も1枚しかくれなかった。申請時点でカミさんの分も同じ書類を書かねばならないんだと。ガビーン!また一からやらなければならないのかぁ?これで意気消沈。おまけに健康診断書と旅行保険に印鑑がしていなかったのである。保険会社の送ってくれた書類が正しいと思ってしまって、其処まで考えなかった。診断書は医師の印はあったのだが医院のゴム印が押してなく不受理に。カミさんの診断書も取らねばならないし、無犯罪証明書もとらねば、改めて提出し直しになった。
神保町にいってお昼の南海キッチンでカツカレーを食べた。ここは並んでいたので美味いかな?と思ってちょうど隙いたので入ったのだけど、量が多くて味も良かった。コーヒーを飲みにサボウルに入ったら目の前のテーブルに直木賞作家の逢坂剛さんがいてビックリ!向こうもビックリしてこんなところで会うなんて奇遇だ。同じテーブルで少しフラメンコのことを話してコーヒーもご馳走してもらってしまった。逢坂さんはラミレスのギターの修理したのを受け取りにきたらしい。ここの店にはよく来るらしいのだけど、殆どナナでしか会ったことがないので運だねぇ。フラメンコはかなり共通点があるので話が合うのです。別れて古本屋街をぶらぶらして1954年発行のガルシア ロルカ{血の婚礼」の戯曲本を買った。暇をみて読もうと思うけど、小説ではなく戯曲の訳文みたいで面白そう。黒澤楽器でフラメンコギターの試奏をさせてもらった。アントニオ エルナンデスとかいうのだったが値段の割には良いギターだった。其処から新宿へ。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月19日 (木)

健康診断

ビザ申請には健康診断書も必要で要するにペスト他の法定伝染病にかかっていないか?とか薬物中毒にかかっていないか?の診断なのだがこれが思ったより手間取った。規定の用紙に医師と病院の印がいるのだが、国立病院などでは記入してくれなく、所属の健康組合の医院ではスペイン語がわからず判断できず、これも駄目だった。結局のところ我が家のかかりつけの医院で書いてもらったのだが(診察は受けた)、何のことも無く初めから行けば良かったのだ。小さい頃から診察を受けてる先生なのでよく解っているからだった。銀行の残高証明にも手間がかかったけど、そもそも電話ですればよかっただけなのにわざわざ出向いたので、細かいことも解って良かった。来月初めには提出しようと思っているのだが、そう簡単にいくとは思っていないので、これからも気を抜かないで行こう。スペイン語もまだ勉強しなくてはならないけどね。仕事もこなさなければ行けないのだが。。Ofuu

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月 5日 (木)

年金と後期高齢者

非営利目的ビザの申請に年金証書が必要なのですが、自分は自営業なので国民年金です。国民年金の支給額はほんの雀の涙ほどでとても暮らしていけるほどは、出ていません。以前は年金支給額の最低ラインがUS1万ドルだったそうです、今はそれが無くなったのですが、大使館に問い居合わせたら銀行残高証明をつけたほうが良いと言われました。たしかに大使館員が驚くほどの安さで、日本人はこれで暮らしていけるのか?と疑問をもったかも知れません。申請する他の人達は殆どが会社の退職者で厚生年金だそうです。その人達は充分クリアしているのですが、国民年金は及びもつかないのです。今問題になっている生活もできないほどの支給額からさらに後期高齢者の医療保険として天引きすることはまさに年寄は早く死ねというのに他ならないのです。今プロとしてフラメンコで食べている人達の多くは多分国民年金だと思いますが(二束のわらじは別として)、貴方達が歳を取って動けなく(怪我や病気になっても)なった時同じ思いを持つと思います。その一方で本来国民の安定した生活を考えなくてはいけない役人や己の私利私欲の為だけの族議員達の汚職、やりたい放題の無駄使いを続けているのを聞くにつれこの国の病んでいる様がみえるようです。真っ当に生きてきて長年年金を払い続けていてもその先には生活もできない程の支給額しかもらえないのが現実です。貨幣価値が変わっているのにもかかわらず只数字のみを基準としてしか考えない、国民が歳をとった時生きて行けない国、政治とは何だろう?国民の半分は厚生年金でも後の何割かの国民には死ねと言っている格差社会を実感したのはこういう証明書を他の国に提出しなければならないのが日本人として恥ずかしかったからです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月31日 (土)

MP3

作ったモロンのCDをMP3に変えてスペインに持っていけばよいのでは?と考えていたのだが,どうやら簡単に考えていたみたいで、数えてみたら160枚以上のCDが棚の上にあったのだ。これをすべてMP3に変えてタイトルつけて曲名もつけてとなるととんでもなく時間がかかるなぁ。その他にもCD化してないテープもあるんだわ。参ったねぇ。それをI podを購入して入れていかなければならないなぁ。。CDをPCにMP3化してそれをフォルダに名つけて保存してそのままI podに入れればそのフォルダがアルバム名として表示されるんだろうか?Itune とかいうのに入れるのかいな?良く解らないけど、とりあえずMP3にしといた方がいいんじゃないかな?詳しい人いたら教えてくださいな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月30日 (金)

Dr-1

20771510206 今日は朝病院で定期検診を受けそのまま外務省に行って年金証書のアポスティーユを貰ってきた、が少し疑問なことが出来たのでもう一度大使館に行ってこようと思っている。
新宿の淀橋カメラでとうとうTASCAMのDR1というICレコーダを購入した。ポイントカードが残っていてそれを使ったら充電器込みで26000円だった。ナナに行くつもりだったけどまだお昼なので帰ってきてしまった。ところがこれ中々やっかいです。自分のような歳では覚えるのに大変みたい。説明書を読んでもよく解らないのです。困ったものだなぁ。
何とか録音とPCからのフアイルの移動が出来るようになった。MP3の音ってイマイチ ピンとこないなぁ。慣れないといけないかもね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月26日 (月)

「スペインで暮らす」の準備

「スペインで最低2年暮らす」とういうが長年の夢でした。人ってそれぞれ、様々な重荷を背負って生きていかなければならないのですが、一つの目標があればそれが達成されなくても心の支えになると思う。子供を育てて親の介護をしていてもいつもその先にはスペインで暮らしたいという憧れを常に持って辛抱してきました。今の人達が簡単にスペインに行けるのは羨ましいけど自分は自分の責任を果たしてからでないと行けないと思って、ようやくその責任も少し果たせたようなので、何十年来の夢だった「スペインで少しでも暮らしたい」という夢を実現するために、とりあえずその為の準備を記録しておこうと思っています。
3ヶ月以上滞在するのにはビザが必要で、先日スペイン大使館に行ってビザの申請書類をもらってきた。リタイヤメントビザという非営利目的ビザで主に年金受給者なら申請できるらしいのが解ったからだ。しかし何種類もの記入項目がありスペイン語訳が必要なものや、警察の無犯罪証明書なるものその公的書類のためのアポスティーユという外務省の証明も必要なことがわかって来た。現地での宿泊証明書は現地の公証役場みたいな所で弁護士の立会いの下の書類を作らねばならないのだ。初めこれを聞いて絶望的になりました。けれどやらなければ行けないのであせらず自分で日本で出来ることはことはやろうと思います。今までやったことは警視庁に行って無犯罪証明書を貰いそのまま外務省でアポスティーユの申請をしました。年金証明書というのは社会保険事務所できいたら、そういうものは出していないという事で年金証書しか出してくれなかった。もう一つには海外傷害保険契約が代理店では解らなかったので再び大使館を訪れきいてみたら親切に教えてくれてどうやらその証書のアポスティーユも取らなければならないとの事。そのまま外務省に持っていったら何とか受理してもらった。またもや受け取りに行かなければならないのだけどそれは後日行くことにしている。残ったのは海外障害保険の契約とスペイン語の契約書の写しと健康診断書、と宿泊証明だ。申請後3ケ月くらいで下りますよ、といったけどスペイン時間を考慮して4ケ月をみている。今年の12月には行きたいのでその間を逆算して提出したらよいと大使館で教えてくれた。その間どのようなことがおきるのかも書いていこうと思っています。スペイン語の勉強が出来ないのが困ったことの一つだ。勉強って嫌いだからというのもあるのだけどね。
「何しに行くのか?」と聞かれるけど特にないので返事に困ってしまう。ギターやカンテを習いにいくわけでもないけど、少しでも話が聞き取れて喋れるようになりたい。語学学校は高いので今のところ考えていません。限られた予算でどのくらい住めるのかわからないし、なるべく長く居たいので安いところを調べています。行けば何とかなるんじゃない?といつものように能天気に考えてもいるんだけど、どうなる事やら。。

| | コメント (5) | トラックバック (0)