2009年10月 9日 (金)

偶然

昨日住民登録証を貰ったのでセビージャの警察に居住許可証の変更申請に行きました。相変わらず混んでいて9時過ぎに受け付けて、順番が来たのは12時近かった。もう待つ事はしょうがないと思うことにしたけど、厭だネェ。手続きは簡単に済んでカルタは送ってくれるらしい。バルで持ってきたパンとビールを飲んで、時間が余ったのでセビージャのメルカドに行くことにした。(寒くなってきたので魚が新鮮なら買おうと思ったのだ)ブラブラ歩いてヒラルダの傍に行ったら向こうから見たことのあるような日本人のカップルがいた。よく見たら関西のギタリスト中西君とカンタオーラの井上恵理さんだった。おや!まぁ偶然。来ているのは知っていたけどこんな所で会うとは。彼らは行き当たりばったりの旅行みたいで、近くの"Compas Sur"というセビージャでは今唯一みたいな?フラメンコ専門のCD屋さんに案内したんだけど、自分達も急いで行かなきゃなら無い店があったので其処で分かれた。シェスタになると店が全部閉まってしまうのでその時間帯は厳しいのだ。カジェ フェリアでは路上市が開かれていたけど大したものは無かった。メルカドで色々買ってたら時間が無くなり、やっとバスでモロンに帰ってきたら、カミさんはダウンしてしまい、今になってサンタンデールの疲れがどっと出てきた感じ。明日は完全休養にしよう。スペイン語のクラスも初めて休んでしまった。

追記:10日にカデスの”Pena Juan Villar”で俵さんのコーディネートで平野さんが歌いエンリケさんが弾くのを中西君達は見に行くらしい。スペインに来てワザワザ日本人のカンテとギターを聴きに行くのは奇特な事だなよなぁ。そういう有名なペーニャでやるのはきっとステイタスになるんだろうねぇ。またヨイショ記事でも出るんだろうか?昨夜”Pena El Gallo”でタダで唄った小里綾さんはステイタスにもならんね。(笑い)トルタと俵さんがやるなら見に行くけどね。カデスは遠いよ。

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2009年9月24日 (木)

住民登録((inscripcion en el padron)

居住許可証が下りたらayuntamento(市役所)で住民登録の申請をします。居住許可証(カード)パスポートとその全コピー、住んでいるピソの賃貸契約書のコピー、大家さんの納税証明書のコピーが必要です。それらを提出し数日後に住民登録がもらえます。今日(木曜)提出して火曜日に下りるそうです。細かい話が解らず又もや青木さんにお世話になってしまった。「何日に再び来たらよいのか?」聴いたのだが早口で聞き取れず困ってしまったのだ。アンダルシア弁は本当に何を言ってるのか?解らない時があるのだ。でも無事に済んだのでよいとしよう。驚いたことにこの部屋にオリジナルのガスパチョやフエリアのポスター(原画)が飾ってあり次回、写真を撮らせてもらう事にした。こういうのは解るんだよね。今日から新しいスペイン語教室に行く予定です。此処も無料なので助かります。大抵の市にはこういいう無料の教室があるみたいなので、探してみるとよいと思います。

追伸:行ってみたら誰も居ない。6時からが7時だという。7時に行ったら誰も居ない。今日はしないみたい。手続きの時は火、木曜の6時からと言っていたのに。これがスペインです。いちいち頭にきてたら生活できないのです。帰りにセルベセリアで日も高いのに一杯やって帰った。1日一つの事をこなせば上等だよ。

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2009年7月27日 (月)

ようやく

スペインに2年住むというのは30年位前からの夢でした。小さい夢が今やっと叶おうとしている時その夢をかなえるためには切り捨てなければいけないものや失うものも大きいと気付かされたのも、今度の一時帰国でした。それでも「夢が叶うというのは、誰にでも出来ることではないよ。」と言ってくれたのは昨夜のナナでの炎さんです。アフシオナードとしての今の自分を振り返ってみると、誰にも媚びず、恐れず思ったことをそのまま正直に言って敵も一杯作ったし嫌われもしたけど、そうやって歩いてきた道に微塵も後悔はしていない。それが出来たのも、その道のりにナナさんやペペさん俵さんたち多くの人の助けがあったからに他ならない。ここらで一区切りしてこれからスペインでアフシオナードとして一からやり直してみようと思っています。最後に俵さんたちが出演したエルフラに行った。Juan Villalのカンテを中心とした島村香、金子文乃、伊集院史郎のバイレでした。Juanのカンテは最初のカナステーロが良くて踊りのカンテも声の出し方を瞬間的に変えてるみたいでレトラも即興で歌っている?のもあってとても良かったです。バイレは金子さんのシギリジャが印象深く、踊りが進むにつれ表情も踊りも変わっていくのにはビックリ!けっして器用な踊り手では無いけれども、他の人の真似の出来ないものを持っている一人だと思う。打ち上げにも混ぜてもらって楽しい一時を過ごさせてもらった。
最後にナナに一人で行ってお客も居ないので炎さんと昔話をした。ナナは自分のフラメンコの殆どだったと言ってよい。此処から始まった自分のフラメンコを今度は別の場所で探すことになる。帰る間際に瀧本さんが入ってきた。Solea、Sigurijya、Buleriaを唄ってくれた。最後までなんて俺は付いてるんだろう!亡くなったナナさんが言った通りだった。。これまでフラメンコで遊んでくれた皆さんありがとう!
Hasta Luego

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2009年7月17日 (金)

ビザ取得

今日漸くビザを貰いました。これまで青木さんには随分お世話になってしまった。「よく待ちましたね」と大使館の人に言われたけど貰うまでに丸1年以上かかってしまったのだ。最長期間かもしれない。そもそも大使館の人が2ヶ月で出るようなことを言っていて申請も言う通りに行ったのだが、それが甘かったのだと言わざるを得ない。とにかく普通の考えではスペインビザは取れないと思った方が良い気がする。だから貰うまでは疑心案暗偽でまた何かあるのでは?と疑い深くなっていた。まぁこれでもらえたのでほっとしたのは事実だけど、スペインでのレジデンシャル(居住許可)があるのだ。それはまた帰ってからですがね。
帰りにスペインのお土産を買いに浅草に行った。久しぶりの浅草はやっぱり外人の人達が多く、ここなら何でも揃うので来て良かった。買った後はこれまた久しぶりに「神谷バー」に。ここはスペインのバルみたいで地元の人も観光客も気楽に入れる老舗です。簡単なツマミと生ビールと当然電気ブランを頼む。地元の人はどうやって飲むのが多いのか?興味があったので見ていた。大抵は電気ブランと水をチェイサーにして飲んでいるようだった。俺はビールをチェイサーにして飲むものだと思っていたんだけどな?違ったみたいだ。あれは本当はどうやって飲むのが正しいんだろうか?
もう後は帰るばかりになった。本当は行くというのが正しいのかも知れないけど、「帰りたい」が本心なんだ。日本には居場所が無いからだけど。

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2009年4月22日 (水)

あと少し

エステポーナの青木さんの家に来てもう1ヶ月近くなります。明後日モロンに発つのでこれがエステポーナの最後になります。モロンではネットが直ぐには繋がらないので暫くお休みです。思えば僅か一ヶ月の間に色々なことがありすぎて、展開の速さに驚いていて唖然とする事が多かった気がします。けれどもそれは全てに於いて嬉しい驚きでした。これも青木さんのお陰です。地元のTVに出たことによって何人もの人に声をかけられたり、それは恥ずかしかったけれども好意的に見られたのは嬉しいことでした。ヒメノスさんやイグナシオに会えたのも、モロンでアントニオに会ったのも偶然かもしれないけど、何年も好きだけで追っかけてきたのをフラメンコの神様が可哀想に思ったのかもしれません。ヒタノのフラメンコのファミリーと付き合う事になるとは夢にも思わなかった事です。最後のレッスンにイグナシオにちょっと褒められたのを糧にモロンで地道に練習しようと思っています。ミツコさんが言った「これからがスペイン語も喋れない夫婦の本当の大冒険」が始まるのだと思っています。ゆっくりモロンで暮らしていければよいです。それではまたね。Hasta luego

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2009年4月16日 (木)

Moron 家探し 2日目 その2

アントニオ達と話していると、マヌエーと呼びかけたのでそっちを見るとお懐かしやManolo Coronadoさんじゃぁありませんか!アントニオは紹介してくれるつもりだったのだけど、旧知の仲なんだ。マノロは俺の事「こいつはブレリア下手糞なんだよな」って言いやがんの。「此の前の指の怪我はどうした?」って聞いたら指を広げてみせた。中指が曲がり放っしになってしまっていた。それどもギターは弾いてるみたいで良かった。聞いたらペペと喧嘩したらしくガジョには行っていないみたいなんだ。どうりで空気が冷たかったわけなんだ。25日にPrunaでフィエスタやるからお前も来いと言われたので其処は何処なんだ?歩いていけるのか?と青木さんが聞いたら25kmも離れてるんだって。行けたらいくよって事だね。(後で聞いたらイグナシオにも誘われたので行こうかと思っている。ヒタノが皆集まるらしい)外のテーブルに小太りのいGaspar かにもヒタノのガスパール(まだ若い?)がやってきて「俺はアニージャの孫だ」と言ったので「あのアニージャかい?」と驚いてしまった。(”Aniya la de Ronda” 伝説のカンタオーラでDiegoの大伯母:El eco de unos toquesに写真があります)これは間違いでDolores Amaya Floresの孫みたいだった。アントニオの話だとガスパールの踊りは大したものらしい。(ガスパールは瀧本さんにそっくりで思わず笑ってしまった)青木さんと話込んでいたけど、何だか解らないけど結構俺達を心配してくれて「いい奴ばかりじゃないからな」と言っていたみたいだった。アントニオに今日のお礼にガジョに来てくれるように頼んで帰ったけど二人とも興奮状態でシェスタもできなかった。

ガジョにいくとアントニオヒタノのアントニオ(ややこしい)が入ってきた。二人ともカンテを唄うみたいだった。アントニオがポケットから取り出してくれたのは「2008年ディエゴ生誕百周年記念」に作られたCDだった。まだ日本では発売されてなくこれもForoがかかわっているみたいなのだが、掛けてみると全く聞いたことのないフアルセータの曲がありもう売られていないみたいだが、確かでは無い。PepeがJoselero,Perrate、Bernardaをかけて、いいんです!これが。思わずJoseleroのレトラをなぞったり、Perrateのメロディーを鼻歌で追ったり、ここがいいんだよーと目配せすると「こいつ良く知ってるなぁ」と言ってくれた。(俺だってそれくらいの事はできるんだい、ベラボウメ!(注)長井さんのマネ)アントニオは二人ともSinギターで唄いヒタノのほうはちょいと踊ったりしてこれがまたいいんだね。(笑い)粋なんだよ。(今俺は”ナナ”で遊んでいる時と同じ様に普通にモロンで遊んでるんだなよぁ)と感じたらなんだかジンとしてしまった。こんな事できるとは夢にも思っていなかったし、ただDiegoが好きというだけで、受け入れて普通に話したり(言葉はあんまり解らないけど)してくれるのは本当に楽しかったんだ。やっぱりモロンに来てよかったよ。フラメンコっていいんだよなぁ!!。。。。

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Moron 家探し 2日目 その1

例のバルで朝食を食べてから "Pena Gallo"に行った。Pepe (Lebron)は前よりこざっぱりしていて元気そうだった。どうやら思い出してくれた?みたいだったが、相変わらずの感じで何だか可愛いんだね。最近出した自分のCDをだして早速売りつけられたが青木さんと1枚ずつお付き合い。奥さんのエンカルナ(ローラじゃなかった)が居ないので聞くとあまり体調が良くないみたいだった。青木さんはフラメンコの話をしたのだが、以前と雰囲気が変わっていて、フラメンコの匂いはしなかったのだが、その理由は後にわかる事になるのだが壁の写真は大分変わっていて、増えていたのとDiegoの見たことの無いのも飾ってあった。ちょっと飲んで不動産屋との約束の時間が来たので店を後にした。

案内されたのは街の下の幹線道路沿いの6階建てアパートの最上階だったのだが、スペインに来てまでアパートに住みたくないのでここも断念した。ここも電気、水道、ガス料金は別だった。さて、困ってしまったのでバルで相談する事になったのだが、家賃は殆ど同じで電気、水道料金が同じだとすると、一番初めに見たピソが際立ってよかった。カミさんも仕方なく妥協すると言ったので電話連絡して後ほど会うことになった。歩いていたら突然俺の電話が鳴り足をけがしたマノロからで1時間30分後に1軒見せるのでバルに来いといわれた。了解して電話を置いた途端又鳴って今度はアントニオからで今から1軒見せるからバル ミゲリートの所に来いという。そっちに向かう途中ヒョイと横を見ると「ん!?」向こうもこっちを向いて?”Paco Paco del Gastor”さんじゃありませんか!」奥さんと散歩中みたいでダンディに決めてました。青木さんは20年ぶりに会ったので舞い上がっていて、「あなたの作ったパハロのパエジャは美味しかった」とかわけの解らないことをいってるし、パコはペペ島田さんの事を覚えていてその話をするし、どうやら「そのうち俺の家にも来い」と言ったみたいだが定かではない。こんな風に会ったのは2度目だけど、前回モロンに一週間いたけど誰にも会わなかったのに変だなぁ。奥さんは大柄だけどとても優しそうでカミさんとなにやら話してたみただったが?アントニオに今パコと会ったと言ったら「友達だよ」で終わり。皆知り合いなのかね?
セントロからすぐの道を登った所に大柄で物静かで知的な女性が待っていてくれて、ドア(ガレージ)の鍵を開けてくれた。彼女がここのオーナーのMercedes(Merci)だった。ガレージの奥のドアを開けると、廊下の右にアーチがあって小さなパティオがあった。奥はサロンと台所ここもオール電化、寝室2つ、場所は良い環境で車は通り抜けられないのだ。しかし、またしてもシャワー式で断ることにした。するとアントニオが思いがけないことを言い出したんだ。「この壁を壊して風呂を作ってやれよ。(壁を壊す?)するとメルシは躊躇無く同意してしまったのには驚いてしまった。だって日本ではありえないでしょ!?しかも家賃も負けてくれるらしい。ここまでされては風呂の問題が無ければ良いことだし、決めることにした。懸念していたネットはケーブルTVが入っているので電話を引くことなくできるみたいで、これだけでも助かるのだ。しかしアントニオの友達のマノロとの約束もあるので、そちらを見てから決めることにして了解を取った。バルでマノロと待っていたのはニコニコした銀行員みたいな人で案内されたのは先ほどの家の真向かいだったのには驚いてしまったのだが、中にはいると月とスッポンほど違っていて、3階は3寝室、2階に豪華なサロンと事務部屋1階にキッチンとバスルーム、とてもじゃないけどこんな所に夫婦2人で住めないよー。かえって断りやすかったので良かった。実際の所一番最初のが良かったのだけれども、此処はアントニオの身内やマノロの身内も住んでいて、何かあったときは助けてくれるかもしれないという甘い根性もあるのだけど、何だかここの方がフラメンコの匂いがするんだね。後で聞いたらDieguitoPepe Torreも近くにいるらしかった。夕方書類の事でメルシと会うことにしたのだがバルの前を通りかかったのでそのまま渡して翌日に契約することにして、もうこれで今日は何もする事も無くなって何だか信じられない気分だった。(続く)

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Moron 家探し 1日目 その2

Aoki 待ち合わせの時間に車で」迎えに来てくれたのは若いKiko氏で案内してくれたのはCalle Pocitoから入った2階のピソだった。3寝室、サロン、浴室、キッチンでオール電化、窓の外は古城が見えて抜群の環境。実はこのピソはその後見た中で一番気に入った物件でした。問題は家賃なのだが我々は限られた予算で出来るだけ長く住もうと思っているので、安いにこしたことはないのだ。ここは電気、水道料金が別でその経費が馬鹿にならないのでは?との不安があり、後々カミさんと議論する事になるのだ。とりあえず他も見る事にしてそちらに向かうことにした。
案内されたのは地図で示された場所とは違いLa Carreraに近い小路の2階のピソで2寝室、サロン、キッチンで環境も良く綺麗なピソだったのだが、1つの問題で断念してしまった。それは風呂で、ブラジルでシャワーだけの経験をしてきたので、我々にはそれだけは譲れないと決めていたのだ。ここも電気、水道料金別。もう一度不動産屋で明日他の物件を探してもらうことにした。
先ほどのバルでアントニオに「まだ見つからないんだ」と言うと「心配するな、ゆっくり探せ。見つけてやるから」と言ってくれたけど、正直(あてになるのか?)と思っていたんだ。今日(月曜日)はGalloも休みで食事してオスタルに帰ったが、ピソはともかくもフラメンコがあるのは分かっただけでも良かったな、と自分の慰めにしたけれども、ピソが見つかるか?どうかは全く分からずどれだけ時間がかかるのか?見当も付かず不安が増すばかりだった。けれども腹を括って見つかるまで居ようと決めて翌日も泊まることにしたのだった。

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2009年3月28日 (土)

銀行の事

Dsc_0002 日本のCti銀行でトラベラーズ チェックを薦められこれだと簡単にスペインの銀行にパスポートを持っていけば口座が作れると言われたのだが、そう甘いものではなかった。まず金額が多い(600ユーロ以上)と本社にお伺いを立てなければいけないらしい。アメックスが本物かも問題だ。書類のサインも多いし、何より言葉が解らないのだ。青木さんの知り合いのホセ マヌエルさんが担当してくれて青木さんが全部翻訳してくれたので、何とか口座は作れたのだが物凄く時間がかかった。青木さんが居なかったら途中で放り出していたのは間違いないことだ。ところが終わって食事中ホセさんから電話でTsでは新規口座は開けないんだと。それでもホセさんが自分の責任でやってくると言ってくれたので安心した。青木さんの顔の広さには驚いてしまうよ。他の人もそれなら俺が他の銀行に話してやると言ってくれたりするんだ。結局日本の銀行の情報が間違っていたのが原因で大分迷惑を掛けてしまった。これから来る人達も気をつけた方がよいです。別の対応も準備できたんですから。カードが出来るのは10日くらい先かもしれない。下手をしたらTRは何の価値も無かったかもしれないのだ。お昼は港の前の中華店で点心と炒飯で中々美味しかった。昨夜は歓迎会で3人でやはり港の高級なお店で魚のフライみたいなのを食べ過ぎてしまった。ここも美味しかったです。落ち着いたら近くの村にも行ってみたいな。4月の2週目にセマナサンタがここエステポーナであるのと、とても良いそうなので楽しみです。

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2009年2月10日 (火)

準備

もう出発まで一週間をきりました。今の段階は持っていく荷物は大体そろったけど結構重いものになってしまった。それにギターが加わるので大変だ。家の管理を娘に任せるのでその引継ぎやらなにやらで、バタバタしているところです。ビザは間に合わなかったようだ。出たら一時帰国しようと思う。それより、仕事の整理もつけて、行くまで一週間を切った今その間の待つことに変な焦燥感や本当に行けるんだろうか?という不安感で胃が痛くなる時がある。不思議と向こうでの生活には不安は持たないのだけれど、出発できるのか?何か起きるのでは?とか思ってしまうのです。結構気が弱いんだね俺って。今漸く夢がかないかけているこの時に嬉しさよりも戸惑いと不安に駆られるのは何なんだろう?臆病なのかも知れないね。かといって留まるつもりは毛頭ないんだけど。矛盾してるよなぁ我ながら。。

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