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2009年8月31日 (月)

国民は馬鹿じゃない

自分は政治は嫌いで娘の選挙にも応援しない人間です。けれども選挙はちゃんと行っていました。今はスペインに住み始めたので今回の選挙はいけません。前回の衆院選挙小泉氏の自民党が圧倒的に当選した時今日が来るだろうと予測はしていました。だから今回の選挙はPCのTVに釘付けで見てました。小泉という人は厚生大臣の時から弱者切捨てを始めた張本人で、その酷薄な性格はその頃すでに伺えたからですが、一億の人間がコロッと騙された結果自民党の圧勝で、その後のやりたい放題の政策、特に年金、老人医療後期高齢者保険の問題など、現代の姥捨て山政策や今まで自分からみたら高学歴の人達でさえある日突然ホームレスになって公園で寒さに震えてる、なんてとても近代国家とは思えない現象が普通に起きて、それを平然と薄ら笑って蔑んでる自民党や学会の与党議員達の姿がTV等で映されているのを見ると、このまま国民が黙っているとしたら、北朝鮮と何ら変わりが無いと思っていました。最近変なイデオロギーを持ち出す馬鹿な輩も居るけどそれとは別の次元の話でもっと深刻なんだ。今回民主党が圧勝したがそれは一義的な事で、肝心なことは政治家はこれで自分たちがいい加減なことをやっていたら次はしっぺ返しがモロに来るんだと少しは学習できたと思うからだ。今まで50年も権力の上に胡坐をかいてやりたい放題やってきたのが、ツケが回ってきたんだよ。投票する人達もやっと自分達の一票がどれだけ影響させることが出来るのか気が付いたと思う。だから今日は日本にとって”記念すべき日”になって欲しいのだ。
フラメンコだって同じだよ。胡散臭い奴ほどそうなるのは政治家みりゃ解るだろうよフラメンコの”大御所”なんぞと呼ばれて喜んでふんぞり返っているのが居たら。。そんな奴には本当の事言ってやんなよ。「それってフラメンコ?」

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2009年8月29日 (土)

誕生日

Dsc_0003 モロンに来て初めての誕生日にカミさんが日頃お世話になっている人を呼ぼう、と言って皆に声を掛けたので、来る予定の人が10人以上になってしまい、この2日間はその準備に追われてしまった。カミさんはこういうのが好きなので張り切って太巻き寿司、から揚げ、酢豚、海老のチリソースなど一杯作り、ビールも大量に買い込んで準備万端整えたのだ。けれども結局の所来たのは、アントニオ、メルセ、ビラン夫妻達で他は連絡も無く来なかった。しかしこれで良かったんだ。皆知り合いで、この家に関係している人ばかりなので、気を使うこともなく、笑い声が絶えない楽しいフィエスタになった。スペイン語が解らないにもかかわらず、内容は、大体解るので時々言葉をはさんで笑いを取ったので、良いとしよう。ビランはラマダンの季節なので、何も食べられず残念だったけど、楽しそうで、アイシャも直ぐにも産まれそうなお腹で来てくれてたし、皆にプレゼントも貰ってしまった。余った食べ物も喜んで持って帰ってくれたので良かった。でも一番嬉しかったことは、アントニオがソレア、とシギリジャを唄いこれが凄く良かったんだ。アンドンダのソレア、、シルベリオのシギリジャ カバジョいずれも地元のカンテで味があって弾いてて気持ちが良いのだ。やっぱりカンテはこういう場所で聴くのが一番いいなぁ!しかしそれより嬉しかったのはブレリアの時だった。最初のうち聴いたことのあるカンテだと思いながら自分のギターと妙にしっくりいったので気が付いたんだ。これって何時も、いや何年も聴いてきたモロンのフィエスタで唄われていたものだったんだ。マノリートのブレリア!いやぁ感動しました。スペイン語で説明できなかったけれど本当に嬉しかった。まさかあんなカンテをいくらモロンでも今唄えるのはもう居ないだろうと思っていた。アントニオは凄いなぁ!まるで自分があの当時のフィエスタに居て弾いてるみたいで、夢みたいだった。いや、今まで録音を聴いてここにいたかったなぁ!、と何度も思ったことか。これだけで充分。良い誕生日にしてくれて、ありがとう!

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2009年8月25日 (火)

Jerez

カミさんのお供でヘレスに土曜日から月曜にかけて行って来ました。ヘレスに着いたらレバンテの風で猛暑が酷くて、しかも湿気があって、こういう日はヘレスの住民は海に逃げ出して街には人通りが絶えて静かでした。ヘレスの宿は何時ものSan Andreです。お昼も食べていなかったのでタカコさんお勧めのMeson de la Bahiaで牛肉の串焼きとステーキ、牛ってあんまりスペインでは食べたこと無かったけどここは抜群に美味しかった。値段もそれほど高くなくお勧めです。カミさんは夜用事があったので町を独りでブラついていたらポスターに今夜カンテのコンサートがあるらしい。SantiagoのPena Luis de la Picaという場所らしいけど、解らないのでサンティアゴまで出かけた。
バル アルコのちょっと先にピカの名前が壁にあったのでやっぱりやるみたいだね。
他の人に聞いたら10時頃だろうというので行ったら11時からだった。ちょっと遅れていったらもう人が多勢いて、さすがヘレスのサンティアゴだね、ヒタノが半分以上いるみたいだった。1割りが観光客。ここ嬉しいことにタダなんだ。もっと嬉しいのはビールが1ユーロ、これにはビックリ、普通のバルより安いんだ。フィエスタだと2倍くらい取るよ普通。殆ど地元サンティアゴの人達だからかな?

Jerez_1 Pepe de Morao y Luis Moneo en Las colegio Carmen Benitez
地元サンティアゴの若い衆のブレリアから始まった。それぞれが小手調べといったところで、中々良かったです。ヘレスのブレリアだなぁ!当たり前だけど。
Jerez_2 Luis Moneo が休憩の後登場。伴奏のPepe Moraoも若いけれど、切れが良いギターを弾いた。変にモデルノじゃないのが良い。Solea、Sigiriyas、Buleria 王道ですな。
けれど聴いていてこんなものかい?確かに上手いし、正確に唄っていて、地元の人達には大受けだけど普通でしょ。熱くないんだ。なんだかヒタノのカリJerez_3スト サンチェスみたいな気がした。ポペダの方が余程熱かったよ。ブレリアは流石によかったけど、結局の所ヘレスってブレリアだけかい?何だか最近俺って「カンテ不感症」にでもかかってしまったんだろうか?なんでだろうと考えたらルイスのカンテには野生の植物にあるトゲがないんだな。ざらつきがないんだ。危険じゃないんだ。安心して聴けるお歌なんだね。自分が最初に聴いた生のへレスのカンテがAgujetasだったので、それが今頃になって基準として出てきちゃうみたいだ。Diego でもLuis(Agujeta)でも、上Jerez_34jpg 手いと思うけどカンテの出し方が全然違う気がするんだ。お唄じゃないんだね。上手く唄うのは必要だけど、カンテはお歌じゃないので訴えるものがないと普通になってしまうんだ。やっぱりヘレスも皆豊かになってしまってこれからどんどん変わっていく気がするよ。ヒタノがパジョみたいになっていっちゃうのかもねぇ。だから感想は普通。。でした。
Fin de Fiestaは最初の若い衆達の数が増えてこれはとても良かったです。特にウナパタイータは見たこと無い斬新?な踊を見せる若いのが多くてこれは楽しかった。古いばかりが良いのじゃなくて、工夫して今の時代を反映させることが出来るのは若い力しか出来ない事なんだ。まず普通の舞台では見られない面白いものを見せてもらった気がする。フラメンコは名前じゃないんだ。無名でも負かすことはいくらでも出来るのがフラメンコなんだと思う。今夜はこれにつきるな。
来週はサンボとアントニオ ヘロだそうだけどこっちのほうが見たかった。
[Fiesta de Buleria]には行こうと思っています。”Homenaje Palilla de Jerez”だもの。カミさんは当分週末はヘレスに行くことになりそうです。

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2009年8月20日 (木)

おつきあい

以前青木さんがモロンに来たとき「モロンの人と付き合うのは大変だなぁ!」と言ったことがある。それはお昼前から夜中まで「飲みのお誘い」がしょっちゅうあったからだ。最近では少なくなった(珍しがられなくなった?)のだが、それでも毎日のように誘いの電話が掛かってくる。日中は物凄く暑い(40度)ので流石に昼は少ないのだけど、夜は10時過ぎでも「今何処のバルに居るから出て来いよ」と電話がくるのだ。日本では考えられないのだが、9時頃やっと暗くなりそのくらいから涼しくなるのでバルでは多勢の人が通りに椅子を出して飲んだり食べたりしていて、赤ん坊までいるのだ。昨夜はコレオの通りのバルでアントニオ兄弟とお友達の奥さん2人で、その前の晩も別の場所で散々飲んだのだ。小さな広場の銅像が光に浮かび、いい雰囲気なんだけど、直ぐ傍を車が行き来している。スペイン語がまだよく解らないので聴いているだけ、今はまだ聞き取れない状態だけど、言ってることは想像できるし、質問されれば何とか、簡単に答えることにしている。しかし、この奥さん達、とにかくよく喋るんだ。そして皆良く笑う、喋っているのを見ていても楽しいんだ。言葉と表情と身振りが豊かで、まるで演劇をみているみたい。それとふいっと変わしたり、フラメンコの抜いてく所と全く同じなんだ。で、気が付いたのは、この表情の豊かさが日本人には欠けているとこなんだなぁ、という事だった。作った表情じゃなく自然に、普通に出ているものなんだ。お父さんに連れられた、子供(6歳くらい)が帰りがけにおばさん達に「アデイオス グアッパ!」と声を掛けて行った。何という粋さ!おばさん達はまんざらでもなさそうで顔を見合わせ嬉しそうだった。こういう優しさと粋さが幼い頃から培われていくのかもねぇ。スペインて凄いね。。

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2009年8月17日 (月)

Los Gallos

娘は翌日ローマに立つのでその前にフラメンコを見たいというので、”Los Gallos"に連れて行った。ここも久しぶりですが、セビージャに泊まらなければモロンからは見にこれない。何と8時から1回目が始まるのには驚いたけど小さい子供がいるので調度良かった。6分の入りと云ったところで、、観光客が殆どなのだけど、日本人は自分たちだけ。街でも東洋人は中国人の旅行者が多く、日本人は殆ど見かけなかった。
実の所出演者の紹介も無かったので誰がだれやら、解りません。

1.Alegrias Ana Morales ? モレーナなのだがどうもスペイン人には見えなくアフリカ人みたいな踊り手だったが、決めるときの体の切れは凄くよかった。けれどもヤッパリ踊自体も何か違和感があったけど、面白かった。  

2 Tientos y Tango  Saray de los Reyes ? 普通のバイレでオーソドックスだった。 

3.Cante Solo Caracoles Mara Rey まだ若い歌い手だったけど、一番印象に残ったのがこれだった。唄い方がとても良いのだ、かなり引っ張って、ふぃと変わす仕方が粋で、その後もひねっていて、上手いんですよ。普通のレトラのカラコレスでこんなの聴いたのは初めてだ。他のも聴きたいと思った程。ギターも良かった。

4.Siguiriyas Patricia Guerrero ?  顔の大きい人でヒターナ?見たいなバイレだった。足が強くて気合十分だった。

5.Solea por Buleria 、Hugo Sanchez Pepe Torresが踊るのかと楽しみだったけど、まず良かった。何処かフニに似ているオーソドックスなバイレで切れも良くて見ていても楽しい。まだそんなに歳は行っていないと思う。

6. Fin de Fiesta Sevillanas. Rumba Bulerias 2時間のショー

初め昔に比べて空気が薄いなぁと思っていたけど、全体がプーロなフラメンコだったので良かった。変にモダンじゃないのが良い。サポートするバックは何と言ってもLos GallosのハマコーさんソックリなPaco del Visoがお客を楽しませアルテスタを盛り立てて特にSigiriyasのパルマには痺れたね。踊り手から目を離さず、強弱を使って繊細なパルマを叩いていた。この人が全体を仕切ってるみたいだった。比べると他の若い歌い手は余所見しながら唄っているし、気持ちも入ってないのがミエミエでロクなカンテじゃなかった。ギターは若手のLuis Amadorが良かった。

cante: Paco del Viso,Jesus de Utrera, Fco Contreras, Kiko de Alcalaの誰か
toque: Miguel Perez, Jose Luis El Morito,Luis Amador

 

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セビージャの寿司屋

娘が食事を奢ってくれるというので、ホスタルの近くの寿司屋に行った。外国の日本料理屋というとどうも値段が高いというイメージがあって躊躇してしまい今までブラジルでも入ったことがなかったのだ。サンタクルスのKというお店に入るとテーブルは満席に近いほどで驚いてしまった。メニューは様々な日本料理(寿司、蕎麦、刺身)などがあった。その中で船盛寿司と太巻きを注文した。出てきたのは船型の入れ物の中にマグロ、白身、サーモン、や鉄火巻きが綺麗に並べられていて中々良さそうだった。初めに鉄火巻きを口に入れたら思わず笑ってしまった。シャリが糊飯だったのだ。そうだろうなぁ。でも味はまぁまぁ、寿司酢が甘いながらも、利いていて、クラ寿司(回転)より少し落ちるくらい。座ったテーブルが厨房の隣だったので、握りがどういう風に作られているのか、全部見れたので、面白かった。ここのお店は日本料理を売り物にしているのだが、全て中国人が働いていた。日本人なら寿司の握りはどういう物か知っているし、うちのカミさんも握れるし、よく家では作っていたのだ。だがそういう握りではなくて、まな板の上で形を両手でしっかりこさえて、種を乗せて出されていたんだ。巻物は見れなかったけど中々興味深かった。多勢のお客はこれが日本の寿司だろうと、美味しそうに食べていて、(まずくはなかった)なるほどなぁ、と思ったね。セビージャの別の店ではマグロのタタキ!?(Tataki de Atun)を食べたけど、マグロの赤身のズケを軽くプランチャしたみたいで、とてもタタキとは言えないものだった。日本人から教わったと言ってたけど、素人がインチキ教えてそれがどうやら広まった様だね。しかしこの店は思った程高くなくてこれならアントニオたちを連れてきてやろうかな?と思ったけどどうだろうなぁ。本当の寿司とは言えないけど、こんな物というのはは解るかもねぇ。そうは言っても日本人だから違いが解るので外人にはその違いはわからないかもなぁ。
と思って気が付いたのは、日本のフラメンコもスペイン人からみたら”本当”はどう思われているのかなぁ?という事だ。それなりに整って見た目はらしくしていても、「握ってない握り寿司」みたいで、米粒が見えないのは直ぐ気が付くんだろうなぁ。お店で自分たちも何も言わなかったみたいに、黙って笑っているんだろうねぇ。形はよくここまで真似できたなぁって感心してもやっぱり違うよなとか、お金貰って仕事しているんだから、お得意様には本当の事は言えないだろうしネェ。寿司でもフラメンコでも、他の国の人間が自分たちの国のものを真似すると、その違いが黙っていても直ぐに解ってしまうんだろうなぁ。

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2009年8月16日 (日)

カルボネリアは何時からこんなになったんだ?

孫2人を1週間預かってセビージャに来た娘に連れてった。色々あったのだが、ホテルに送った後、久しぶりにセビージャに泊まることになったので、カルボネリヤに行った。此処に初めてきたのは90年にペペ島田さんと来て初めてPaco del Gastorに会った店なのだ。それ以来何回か来ていたのだが今まではプーロな、舞台とは違ったものが見れていた。勿論プロとは違うけどそれなりの物はあったと思う。今は夏のシーズンで観光客が多いのはわかるのだが地元の客層が殆どが若者に代わっていた。前は若者もいるけど年配のアフシオナードの姿も結構居た気がする。今は殆ど若者ばかりである
この夜はギター、カンタオール、バイラオーラの3人組だったのだが、ギターが主導しているグループだった。いやはや何と言ったら良いのか?ギターは自分がテクニックがあると思っているのかキチガイみたいに弾いていて、お前はロックのギタリストか?、自己満足の世界に完全に浸っていたのだが、どう考えてもコンパスが変なんだ。カンテも何だか変に自信がなさそうで、まだ日本人のほうがマシだよ、と思えるほどだったのだ。バイレは何だか中途半端で、つまり3人ともずれまくっていたんだ。タンゴ、ブレリア、ティエントみたいなのを演じた。驚いたことにはこんなのに若い観客が大拍手なんだ。パジョばかりとはいえ酷すぎるだろうよ?。一体これって何なの!?セビジャーノなら少しはフラメンコ知っとけよ。此処はセビージャのカルボネリアだろ?信じられなかった!グラナダも相当酷かったけどセビージャも負けないくらい酷かった。フラメンコは何処に行っちゃったんだぁ?その前に見たロス ガジョスとは完全に別の世界だった。こんなのフラメンコとは名乗って欲しくない。スペインも相当酷くなっているのが解って、腹が立って、そいつらの前で悪態ついたけど、勿論日本語だからわからねぇだろうけどな。本当にロクなもんじゃねぇよ。セビージャでこんなのがフラメンコなんて言ってるのじゃ日本で何でも有りです、なんちゃってフラメンコで、、もっと酷くなっていくのも当たり前かもなぁ。あぁやだやだ、もう来るのよそう。。気持ち悪くなってきた。

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2009年8月15日 (土)

8月15日

今日は終戦記念日ですが、新宿ゴールデン街のナナさんが亡くなった日です。
ナナさんが居なかったら今の自分は違っていた者になっていたのは確かです。モロンにも来る事は無かったでしょう。
フラメンコと云わず生き方を教えてくれた気がします。”媚びず臆せずは”ナナさんが教えてくれたものです。気風の良さは天下一品の人でした。こうやっていてもあのガラガラ声が蘇ってきます。「ペペさんの会」での「今日はパーティーでぇす!}という嬉しそうな声も、元気なときのナナさんしか思い出せません。変に気難しかった自分を庇ってくれたのもナナさんです。自分で勝手に「ナナさんの最後の弟子」だとも思っています。俺位ナナさんに怒られた人はあんまり知らないです。(見て無い人もいるだろうけど)けど1回も出入り禁止にはならなかったのも不思議です。何もしてやれなかったけど、感謝の気持ちは何時までも忘れません。ナナさんありがとうね。。。

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2009年8月14日 (金)

思い込みは間違いの元

これからビザを取ってスペインに暮らそうと思っている人たちの参考になればと思ってこれまでの失敗の数々を述べておこう。
スペインに3ヶ月以上滞在するのにはビザが必要です。これには労働、学生、リタイヤメント、永住等があり自分はリタイヤメントを取りました。これを取るのに1年かかってしまい、その間様々なことがあって、スペインの行政にたいして不信感や神経質になったのだが、その原因も自分の思い込みや考え違いから起きた事だったのだ。その為随分遠回りもして青木さんにもお世話になり放しだったし、ご迷惑もかけてしまったのだ。やっとビザが交付されその為に1ヶ月近く日本に帰ることになったのも仕方無い事だった。
ビザが下りると90日以内にスペインに入国、その後1ヶ月以内に居住している警察所にpermiso residente(居住許可)を申請してカードを作らなければならないとありました。その後madotonamiento(住民登録)をすることになります。
スペインにきて20日あまり実はこれに大変な思いと皆にまたもや迷惑をかけて、助けられてしまった。フラメンコどころでは無かったというのが現実だった。そのことを順を追ってみることにする。 

その1:現在モロンに住んでいるのでその居住区モロンの警察と思ってしまったのが間違いの発端だった。(居住区の警察に提出する)モロンの警察にはその受付はなくセビージャのスペイン広場にあるpolicia nationalに行く事になりタカコさんが一緒行ってくれたのだったのだが、大勢並んでいてやっと受付の券を貰う番になったら「これは此処では駄目だから日本に行って貰いなおせ」と言われたのだがその会話が解らずタカコさんが猛然と抗議してくれて「よく見て、ちゃんと貰っているから受け付けないのはおかしい」と言ったら相談してやっと受付の券をくれたのだった。それから待つこと3時間今度は「此処では駄目だからマラガに行け」と言う。この会話も解らなかったのだが、最初に出したビザの申請住所がエステポーナだったのでそれで駄目なのか?とは理解できた。結局5時間近く待って何もならずタカコさんには大迷惑をかけてしまった。 

その2:タカコさんのアドバイスで日本大使館に問い合わせたところ居住区のエステポーナ警察でも受け付けているのでそちらが良いだろうと教えてもらった。今度はアントニオが一緒に行ってくれる事になってエステポーナの警察に提出したら。「カードは持っているのか?」と聞かれたのだけどこっちはそのカードを貰いに来ているんだ。アントニオが説明してくれてやっと受付の用紙を貰い近くの銀行でE15払って再び警察に提出したら何処かに電話していて「やはりマラガに行け」と言う。その上またエステポーナに戻り再提出しろと言うのだ。これで切れて「何故なんだ!?」と言ったけど聞き入れられず紙を渡されお仕舞い。もう本当に嫌になって落ち込んでしまった。アントニオは月曜にまた一緒に行ってくれると言ってくれたけどそんなに甘えてもおられないのだ。

その3:とにかくアントニオにもそうそう甘えられないので自分たちでモロンに帰るときマラガに寄って警察に行ってみようと朝早くのバスで孫2人を連れて行った。前の日に日本大使館に電話してこれまでの事情と、もし何か解らないときは電話するから聞いてくれとお願いした。大使館員は親切だったのだがスペイン語も碌に解らないのに自分達だけで申請するのは無謀だといってその為の代行するのがあり普通はそこでやっていると聞かされたのだが、それが何処にあるのかは大使館では教えてくれなかった。
失敗はまだ続いてエステポーナで貰ったインフォメーションの用紙にsubdclegacion gobicrnの住所があり此処に行けばよいと思ったのがまた間違いだったのだ。ちゃんとエステポーナの警察で次は何処の住所の何処へいけば良いのか書いてもらうべきだった。とにかくマラガに着いてタクシーでその場所に行って入ったら空いていて直ぐに受付て貰えたのだが又もや此処では駄目だという。もう本当に嫌になって「なんでこう盥回しにされるんだ、エステポーナでは此処に行けと言われたから来たんだ!!」と大声になったら、怒られてしまった。日本大使館に電話して、カミさんはタカコさんにも電話して聞いてもらったのだが、タカコさんのほうが的確で大使館員では要領が得ず駄目だった。結局此処では駄目で別の場所にあるofcina de extranjerosで用紙を貰い税金E10.2を払いマルベージャまで行けという。ここでまた悶着があり「なんでマルベージャに行かなきゃならないんだ。また駄目だったらどうするんだ?」と言ったらマラガの警察でも良いことになった。Auroraを尋ねて行けと次の手順まで書いてくれたのでまたタクシーで反対側まで行って建物に入ったら人が多勢待っていたのだけどアウロラさんに会いたいと紙をみせたら直ぐ呼んでくれてそのまま2階に行き用紙を作ってくれた。そこからcomisaria policia nacional(警察)は5分くらいの所にあり歩いて行った。銀行で払い込まなければなら無いので暑い中を往復30分歩いて払い込み用紙を持って警察に入ったら又もや人が多勢いたのだがextranjerosは空いていて直ぐに受け付けてもらえた。またもや「カードは?」と聞かれたので「初めての申請です」と言ってエステポーナでの申請用紙と共に写真2枚提出したら指紋を取って受け付けて終了。受付の人は日本語を覚えているらしく好意的だった。40日後に此処にパスポートと受付済みの用紙を持って取りに来いという。「知らせは無いのか?」と聞いたら「直接来い」と言われた。外にでたら座り込みたい程の安堵感だった。孫達も文句も言わず附いてきてくれたのには助かった。今日は最初に間違ったのがその後スムーズにいったのだ。というのはアウロラさんを紹介してくれたのが良かった。初めからOficinaに行ったら物凄く時間がかかって1日では終わらなかっただろう。孫を連れてたので同情してくれたのかも知れない。

その4:色々な本でも日本大使館でも居住許可申請にどういう手順があるのか本当に解ってはいないのだと思う。大使館では現地の警察の言うとおりにしろと言うだけで手順さえ把握していないのが現状なのだ。その警察さえ初めてのカルテルを出す業務内容を知らないと思えるほどなのだ。なので大使館や警察の言うことを鵜呑みにしないで、一つ一つ確認して書いて置かなければいけない。思い込みや勝手な解釈では通用しないのは自明の理だ。それとスペイン語が話せないのは致命的であって大使館員やタカコさんにも「無謀だ!」と言われたのだが、これより取る手段が見つからなかったのもあったのだ。何とか人様のお陰で此処まで漕ぎ着けた。スペイン語が堪能でなお業務に精通している人の同行は必要なのだ。代行業者というのがどういう物かわからないけど出来れば頼む方が良いと思う。しかし全て代行してくれると思うのは間違いで、パスポートとか指紋は本人申請だと思うからだ。

初めてpermiso resident(居住許可)を取る手順(日本でリタイヤメント、ビザ取得の場合)

1.ビザ交付後90日以内にスペイン入国すること。
2.1ヶ月以内にビザ申請地管轄するofcina de extranjeros でパスポートとそのコピー(入国スタンプ、ビザ、パスポート番号)添付して提出して税金申請用紙を貰い銀行で10.2ユーロを払い込む。
3. その用紙をもってcomisario policia nacionaに行き別の申し込み用紙記入後15ユーロを銀行で払い込む。パスポートと2つの申し込み用紙、写真2枚を添付し申請する。指紋を取って受付用紙を貰う。後日その警察にパスポート、受付用紙を持って受けとりにいく。
注意すべきは居住地の警察が必ずしもレジデンシャルの受付していないことがあるので確認してから行く事。(自分の場合居住地エステポーナ警察では駄目で近くではマラガマルベージャしか出来ないという事だった.。つまり日本大使館もエステポーナ警察の言うことも間違っていたのだ。)

これから住所変更と住民登録と免許証の書き換えがのこっているので経緯はまた書いていきます。

追記:最近ビザについては厳しくなっていて、3ヶ月過ぎて不法滞在が発覚すると相当な罰金が科せられ再入国も何ヶ月(1年?)も出来ないそうです。最近1年暮らして見つかった人が罰金を取られたそうでその人は意図的に滞在してたので仕方がないそうです。自分たちもそうしようと思ったのは事実で、それを聞いてやったぱりちゃんとしておいて、良かったと思います。周りの良い友達に迷惑をかけてしまうのが嫌だったからですが。フラメンコを習いにスペインに来る人はお気を付けくださいな。

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エステポーナ

日本から長女の孫2人がモロンにやってきた。娘は翌日2人を残してロンドンに行ったので1週間面倒みることになったのだ。9歳と6歳のニエタの世話は本当に大変。で、他の理由があって青木さんのエステポーナの家に行ったのだった。行きはアントニオが車で送ってくれたので楽だった。3ヶ月ぶりのエステポーナは夏の休暇シーズンの真っ盛りでマンションも随分人が入っているみたいだった。久しぶりに海岸の中華レストランで炒飯を沢山食べた。アントニオたちも美味しかったと言ってくrたので良かった。二人は忙しいらしくその日のうちにモロンに帰ったのだが、わざわざその中を送ってくれたのかと思うと、何と言って良いか解らない。良い人に恵まれているんだ。翌日から2日間は近くの海岸で終日遊んでいた。と言っても長椅子に寝そべって朝からビールを飲んでただけだけど。スペインのコスタ デ ソル に自分が居るのが不思議な気分だった。特に違和感も無く色んな国の人たちがいて、堂々とオッパイ丸出しにしている人を見ても普通で、江ノ島にいるのと大して変わらない気分なんだただし景色と空は最高でやっぱりスペイン屈指のリゾート地なのだ。夜はミツコさんの家に赤ちゃんを見に行ったのだが立派な男の子で、ミツコさんはもはや母親の貫禄が出ていて良かった。直ぐにお暇して海岸を歩いて帰った。夜店がずらりと並び見ているだけでも楽しい。11時になっても人は大勢で、やっぱりリゾート地なんだと改めて思った。チリンギートで遅い夕食。海老と小鰯がとても美味しくて珍しく当たったなぁ。4日目の今日は朝早く出てマラガまで2時間。1時のバスで帰ってきた。2時間30分でセビージャに着いたのだがそれからまたモロンへ、流石に草臥れてしまった。

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2009年8月 9日 (日)

小さなライバル & お宝ゲット

ガジョに入ったらペーニャの役員の息子が写真を見せてくれた。ガスパチョのだった。これが中々良く撮れていてビックリ、彼はペーニャでもよく写真を撮っていたのだけど見たのは初めてだった。いやぁ良いライバルが現れたものだ。
モロンに帰ってきたのはガスパチョの2日前だったので、ポスターが既に貼られていて欲しくGazpachoandaluz09_ln_eventooriginalて探したのだけどもう既に何処にも無かった。仕方がないので終わった後断って1枚張ってあったのをもらった。ガジョで役員に聞いたら何と1枚残っていてもらうことになった。いやぁ嬉しかった!!早速額に入れて飾った。モロンではポスターは消耗品であんまり大事にしていないみたい。昔のも随分探したけど骨董品屋でも無かった。流石にペーニャにはあるけど売ることは出来ないのだ。ガジョには古いポスターにAntonio Mairenaのサインがあったり、本に乗ってるのは此処から殆どが出ているのが解る。もう1軒”Bar Aleman”には本当に貴重なオリジナルがあったりで、垂涎の的になっています。しかし今年のポスターが手に入ったので充分満足だ。

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2009年8月 7日 (金)

カンテの伴奏って

 カンテの伴奏lって難しいですねぇ。モロンに来て色々な人の伴奏を聴いたけど、上手い人程、弾き過ぎないと思った。プロだからそれぞれテクニックは凄いのを持っているのは解るけどそれを押さえて弾く人と、ひけらかす人がいるんだね。日本の新人公演のカンテをみてると、カンテを殺してしまう人が殆どだった気がする。カテよりも自分のギターを目立たせんばかりの一つ唄うと直ぐファルセータ、またフアルセータ、それも如何にも弾けるんだぞと言わんばかりのが多い気がした。唄っている間も弾き放しで此処ではこのコードと決め付けて弾いてるみたいだった。カンテ自体もソロとはいえ踊り歌を一人で唄って「ソロカンテ」と言ってるだけなのでそれも仕方無いのかも解らないけど、プロのギタリストといわれてるのがあまりにカンテを見て弾いてないのには驚いてしまった記憶がある。最近感じるのはギターはカンテを良く見てるんだなぁ、という事です。カンテのノリに自分も合わせて弾いていて、良い弾き手はそれを楽しんでいる感じがする。ソロのカンテはコンパスが伸び縮みするのは当たり前で、気分しだいでどう変化するかも解らないところがフラメンコの根幹なのだ。ソロのカンテとは「そのカンテでは踊れない」というのが究極のカンテだとも思っている。こちらではカンテを唄う人は歌いたいから歌うという人が多いのにも驚いた(不思議ではないけど)そのときにファルセータは余計なものになる。4つレトラ唄ったら一つのフアルセータで充分なのだ。カンテ伴奏におけるフアルセータはいわばカンテの”箸休め”に過ぎない。カンテが疲れてきたら弾くものなんだMaria Solea のSiguiriyaの伴奏でMolaitoはたった一つのフアルセータを弾いただけで会場を唸らせた、同じ場所で同じSiguiriyaのカリスト サンチェス の伴奏したマノロ フランコがのべつ弾いてテクニックだけで何も感じないものだったのと対照的だった。若手ではCurro Vargas にビックリ、あれ程カンテを待って弾いてるのは今では珍しいかも。
もし新人公演のカンテを見る機会があったらギターの伴奏も見てください。唄っている人を見ないで弾いてるのがいたら論外です。呼吸を合わせようとしないギタリストもインチキです。カンテを邪魔していないか?フアルセータを弾き過ぎていないか?いくら練習していてもカンテは生き物と思って、カンテをいかに目立たせるように弾いてるのか?。プロの伴奏者も採点してみてください。ついでに審査員も審査しましょう。只お金払って観てるだけじゃつまらないもの。(笑い)観客ももうそろそろ遠慮しないで物を言う時期です。

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2009年8月 6日 (木)

モロンの夏

モロンは誰に聞いてもあんな暑い街は無い、と言われます。地元の人は勿論セビージャの人さえ言います。けれども午前中はそれほど暑くはありません。12時を過ぎると気温はぐっと上がります。しかし日本での暑さと湿気に比べたら耐えられる暑さです。我が家は1階なのでクーラーもあまり付けません。このところ何もかも上手く回らなくなっていて、まだ時差ボケもあるので、気持ちが落ち込んでいるところです。でもやっとギターを取り出して練習を始めました。今日は人通りも絶えた暑い道をギターを担いでガジョに行った。誰もいないバルでぺぺと二人だけでやった。今回はCana,Solea,Siguiriya,Fandango,Buleriaだった。
Canaから始めたのだけど、初めてなので散々の出来だった。練習していったのが全部飛んでしまい、何とか合わせようとするけど泥沼状態でした。Soleaはまあまあで追いていけたのだが、これも今一だった気がする。Siguiriyaも最初は良かったのだけど、段々難しくなっていき、これも途中で解らなくなった。けれどもギターは絶対に止めるわけにもいかないので、喰らいついてくしかないのだ。Fandangoはフアルセータが2つしか知らないので途中で作って弾いてる状態になった。Buleriaは何とかコンパスだけは外さずにできたのだけどコードをもう少し知らなければならない、けれども思ったよりラスゲアドの切り方を変化させることが少し出来るようになった気がする。(あくまで気だけど)練習と言ったのだが、ペペは教えるわけでもないし、練習するわけでもない、唄いたいから歌うだけであって、歌いたくないギターだったら唄わないんだ。日本での練習とは違って本気で勝負する気で行かないと駄目だし、練習なんて雰囲気でも無い。ペペは何時も唄うときは本気だし、歌い始めると全力で全部を出そうとする。しかも色々な唄い方を知っていてレトラは自分の物なので自由に唄っていくから予想する事が出来ない、かなり集中して聴いてなければ附いていけないし、長いので集中が途切れることがあった。ブレリアは短かったのだがそれでも15分以上は唄うし、他のも唄い始めると30分くらい歌い続ける。今回の反省は弾いていて練習不足もあるし、カンテを知らな過ぎるのもあるのだけど、一番は弾いてて気弱になっていた事だ。気弱になったらいいことは一つも無くなる。心が萎えたら負けてしまう。こういう実戦をしていったら少しは弾けるようになるんだろうか?1時間40分くらい弾き、ペペは唄い通したので疲れて直ぐ帰った。でもこういう事が出来るのはモロンに居るからであって、嬉しいことなんだ。これがやりたかったんだから。今はやれてるとは言えないけど。何時になったらあの迫力あるカンテ(ペペに限らず)が普通に感じられるようになるんだろうか?少しずつ慣れていかなければいけないけど、またスペイン語も同じように覚えられるんだろうか?やっぱりまだまだと言われてしまったけど。出来ないのが普通、これでフラメンコをやっと始められた気がした。これからだなぁ。。ofuuuu。。

追記:ペペに日本のカンテの楽譜を見せたら(ペテネラ)レトラを見て即座に唄ってみせた。楽譜を見るのではなくレトラで唄い分けたのだ(楽譜は読めないのが殆どだから)そして誰かは同じレトラをマラゲーニャで唄っている、と言って歌いグラナイーナ、フアンダンゴでも歌った。そんなものなんだな。フラメンコって。

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2009年8月 2日 (日)

Gaspacho Anduluz は プーロだ。

     ガスGaspacho_1_2パチョの会場の闘牛場に入ったら、Yさんが一人でテーブルに居たので一緒に見る事にした。彼女とはヘレスでのドロレスの時以来だ。
出場者は以下の通り。 

Gaapacho2Gutarra Solista : Paco Delgado, Ganaina,Solea,Sguiriy,Buleria
オーソドックスで芯のあるグラナイーナス、ソレア、ブレリアはDiegoのファルセータが多く使われていた。モロンのギタリストなのか解りませんがコンパスはモロンじゃない感じだった。安心して聴けるギターで良かったです。

Cante: Canela de San Roque, Toaque: Antonio Carrion,,Solea,Siguiriya,Fandango,Buleria
Gaspacho_3ヒターノらしい唄い方で熱があって良かった、伝統的なカンテ、カリオンは弾き過ぎのところも見られるけど、上手いことは確かだと思う。 

Cante: Fernando de la Morena, Toque: Rubichi, Solea Siguiriya,Buleria
Gaspacho4フエルナンドは歳とったなぁ、ブレリアは良かった。ルビチは渋いギターを聴かせた。ただここから音響が極端に悪くなり、後でかなり怒っていた。

Guitarra: Paco Amparo,Luis Torres,Cante:Rosario Amador,Luis Amaya,La Chiquetita,Bulerias
Gaspacho_5パコとルイスのモロンのブレリア、カンテはチケティータが良くてルイスはカマロンの真似、何でガスパチョでこんなの唄うんだ?他所で歌えよ。もっと他に唄うもの(モロンのカンテ)があるだろよ。と思ってしまった。  

中休みにイグナシオやクーロ バルガス、ルビチたちと話した。何だかモロンに住んでいるのが嬉しい感じ。あちこちで知り合いに会えるもの。 

Cante: Calixto Sanchez, toque: Manolo Franco, Tientos, Siguiriya, Alegrias
Gaspacho_6上手いカンテは解るけど、それほど訴えるものは感じられず、長く唄えばいいってもんでも無い気がした。眠くなったのがこの時だけだったもの。場違いだと思った。でもフィグラなんだよね。何故なんだ? 

Baile: Pepe Torres, Cante: Enrique Extremeno,Moi de Moron, El Galli,Toque:  Rafael Rodriguez,  Buleria, Tangos,
Gaspacho_7ペペ トーレは今回初めてちゃんと見た気がした。この人の踊りは好きだなぁ。アンドラーノの匂いがするモロンのバイレ、それは今時のグルグル回る踊りとは全然違う、一見地味だけど、味がある踊りとはこういうのを言うんだ。フアルキートのような野獣のような動きとは対照的かもしれない。モイもカジも凄く良かった。踊の伴唱にはもったいない。エストレメーニョは最近では一番良かった。日本の舞台でのあの手の抜いた唄い方とは全く無く別人だった。やれば出来るじゃん。

モロンのガスパチョはやっぱりプーロが似合う。Solea、Siguiriya、Buleriaがモロンなんだ。ウトレラのポタヘに比べ舞台に金掛けてないシンプルさだったけど、それがフラメンコにも現れていた気がする。地元贔屓かも知れないけどモロンの方がフラメンコだった。ただし音響は最低、技術不足、前のフィエスティバルも同じようだった。欲を言えばもっと地元モロンのアルテスタを出して欲しかった。もっと一杯唄える人も、踊る人も、弾く人もいるのに。殆ど他所からだもの。年々地元色が無くなっているみたいだ。

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2009年8月 1日 (土)

Diego de Moron

Mさんがヘレスからやって来たので、セルベセリアでお昼をした。彼女はもう10年もスペインにいるのでスペイン語はペラペラなんだ。コマンダンテも加わって二人で話しているのだが、さっぱり解らない、何時になったらあんな風に話せることが出来るんだろ?外にでたら横のバルでDiegoが友達と飲んでいた。少し話していると、友達の一人が他のバルに行こうと言い出した。お前達も来いと言われたのだが、Diegoは行きたくないようで俺達と話したそうだったんだ。しかし行くことになり、その途中そいつ(ホアン)が頭の上に指で輪を描いた、それは勿論Diegoの事を指しており、俺はむかついたのだけど、「普通だよ」と強調して何回も言ってやった。(だったら付き合うなよな)まだ行った事のないバルだったけど人が一杯で、俺達3人はフイノを飲んでいたら、Diegoは俺達に猛烈に話しかけた。それは今のフラメンコから自分の事までウップンを晴らすかのようだったのだ。Mさんが通訳してくれたので大体は解ったのだけれど、それは日頃から自分が思っていた事とそう違いはなかったので共感することが殆どだった。Diegoの悲しさがよく感じられた気がする。あれだけナイーブで感性が強い人が自分がどう思われているか、気が付かないはずが無いのだ。ホアンみたいなのが己の自慢の為にDiegoを連れまわすことなんか百も承知しているのに違いない。「もう俺は何処でも弾きたくないんだ」と言って急に店から出て行ったけど、その姿には孤独感と寂寥感が滲んでいたような気がして、心の中で溜息をついてしまった。弾きたくないはずは無いんだ。あれ程の天才が。。悲しいなぁ。誰か一人でもちゃんと(普通に)、認めて支えてやればいいのになぁ。Diegoと俺は同い年なんだ。もう何年活躍できるか解らないのだから。日本が大好きなDiegoがまた日本のフラメンコ達にあのギターを聴かせて欲しい。誰か日本に呼んでくれないかなぁ?
その後また道で会ったら手を上げて挨拶してくれた。又会おうな。。

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