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2009年7月30日 (木)

モロンに帰る

色々あったけど何とかセビージャの空港に着いたのは夜中だった。大量の荷物をタクシーに積み込んでモロンに向かった。真っ暗の中でやっとモロンの灯りが小さく見えた時ホットしてしまった。家についても眠れなく荷物の整理を始めてしまい、終わったのは8時頃だった。時差ボケと寝不足でパニックになってしまい、青木さんに電話してしまって迷惑を掛けてしまった。食べ物も何も無く、下のメルカドで簡単なものを買って食事、そのまま8時まで眠りこけた。アントニオの家にお土産を持って行ったら「お前に何回も電話かけたんだぞ、何で電話くれないんだ」と怒られた。空港に迎えに来てくれるつもりだったみたい。ありがたいことです。暗くなった広場は大勢の人で一杯だった。ガジョに行ったらペペもエンカルナも元気で帰ったことを喜んでくれた。ガスパチョの入場券を買って、一杯飲んでセルベセリアに、アントニオ、エレーナと待ち合わせ、カマレロのマノロは相変わらず俺の事を「アオキ!」と呼び歓迎してくれた。ここで飲んでるとやっとモロンにいる実感が少しずつ沸いてくる。コマンダンテにも会って話していると何時の間にか自分が笑っているのに気が付いた。日本ではこんな風に笑うことは無いような気がする。言葉も解らないのに何の屈託も無く自然に笑っていられるのは何て不思議なことだろう。体の何処からか何かが溶け出して柔らかい感じになっていくのが感じられるんだ。やっと俺はモロンに帰ってきたんだ。
アントニオが家に食事の招待をしてくれた。メルルサやポージョの煮物が美味しかった。今回アントニオには自分のLPのコレクシオンを10枚持って行ったのだがその殆どを持っていなかったみたいでとても喜んでくれた。もう一つ飯野さんの「アントニオ マイレーナ のレトラ」本をあげたらビックリしてこれも大喜びだった。自分の意図したフラメンコのお土産を喜んでくれたのはこちらも嬉しいことなんだ。
明日からモロンでの生活が再び始まる。ゆっくり、ゆっくり皆になじんで生きたいです。

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2009年7月27日 (月)

ようやく

スペインに2年住むというのは30年位前からの夢でした。小さい夢が今やっと叶おうとしている時その夢をかなえるためには切り捨てなければいけないものや失うものも大きいと気付かされたのも、今度の一時帰国でした。それでも「夢が叶うというのは、誰にでも出来ることではないよ。」と言ってくれたのは昨夜のナナでの炎さんです。アフシオナードとしての今の自分を振り返ってみると、誰にも媚びず、恐れず思ったことをそのまま正直に言って敵も一杯作ったし嫌われもしたけど、そうやって歩いてきた道に微塵も後悔はしていない。それが出来たのも、その道のりにナナさんやペペさん俵さんたち多くの人の助けがあったからに他ならない。ここらで一区切りしてこれからスペインでアフシオナードとして一からやり直してみようと思っています。最後に俵さんたちが出演したエルフラに行った。Juan Villalのカンテを中心とした島村香、金子文乃、伊集院史郎のバイレでした。Juanのカンテは最初のカナステーロが良くて踊りのカンテも声の出し方を瞬間的に変えてるみたいでレトラも即興で歌っている?のもあってとても良かったです。バイレは金子さんのシギリジャが印象深く、踊りが進むにつれ表情も踊りも変わっていくのにはビックリ!けっして器用な踊り手では無いけれども、他の人の真似の出来ないものを持っている一人だと思う。打ち上げにも混ぜてもらって楽しい一時を過ごさせてもらった。
最後にナナに一人で行ってお客も居ないので炎さんと昔話をした。ナナは自分のフラメンコの殆どだったと言ってよい。此処から始まった自分のフラメンコを今度は別の場所で探すことになる。帰る間際に瀧本さんが入ってきた。Solea、Sigurijya、Buleriaを唄ってくれた。最後までなんて俺は付いてるんだろう!亡くなったナナさんが言った通りだった。。これまでフラメンコで遊んでくれた皆さんありがとう!
Hasta Luego

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2009年7月17日 (金)

ビザ取得

今日漸くビザを貰いました。これまで青木さんには随分お世話になってしまった。「よく待ちましたね」と大使館の人に言われたけど貰うまでに丸1年以上かかってしまったのだ。最長期間かもしれない。そもそも大使館の人が2ヶ月で出るようなことを言っていて申請も言う通りに行ったのだが、それが甘かったのだと言わざるを得ない。とにかく普通の考えではスペインビザは取れないと思った方が良い気がする。だから貰うまでは疑心案暗偽でまた何かあるのでは?と疑い深くなっていた。まぁこれでもらえたのでほっとしたのは事実だけど、スペインでのレジデンシャル(居住許可)があるのだ。それはまた帰ってからですがね。
帰りにスペインのお土産を買いに浅草に行った。久しぶりの浅草はやっぱり外人の人達が多く、ここなら何でも揃うので来て良かった。買った後はこれまた久しぶりに「神谷バー」に。ここはスペインのバルみたいで地元の人も観光客も気楽に入れる老舗です。簡単なツマミと生ビールと当然電気ブランを頼む。地元の人はどうやって飲むのが多いのか?興味があったので見ていた。大抵は電気ブランと水をチェイサーにして飲んでいるようだった。俺はビールをチェイサーにして飲むものだと思っていたんだけどな?違ったみたいだ。あれは本当はどうやって飲むのが正しいんだろうか?
もう後は帰るばかりになった。本当は行くというのが正しいのかも知れないけど、「帰りたい」が本心なんだ。日本には居場所が無いからだけど。

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2009年7月14日 (火)

連荘

2日続けてナナに行ったのは初めてかも知れない。俵さんが開いた時間に能登さんと3人で久しぶりに遊んでもらったんだ。2日目はスペインから帰ってきた井山直子さんも加わった。この4人だともうそりゃぁフラメンコ話に尽きることは無い。3人はスペイン生活が長いのでよく知っているので、色んな話を聴いた。知らないアルテスタの名前がどんどん出てくるのでビックリしてしまう。こういう時俵さんが弾くのはモロンが多いのだけど、聴くたびに凄くなってるのには驚いてしまう。モロンでも若いのはこんな風には弾けないのだ。弾いてるうちに元気になっていくのが解る、そのフラメンコが解る好きな人達だけでいるのは楽しいことなんだ。能登さんのブレリアとナオコちゃんのタンゴが印象的でした。ナオコちゃんのタンゴはそこらのプロのカンテよりずっと上手いし軟弱じゃないんだ。恵さんという人がカマロンのアルバを唄ったけどこれも良かった。俵さんの伴奏も上手いんだねぇ。古くからのナナの常連で関西の大御所と言われてる(本当かいな?)EOさんが酔っ払っていたのかメチャクチャなコンパスでパルマを叩かれました。後であれは一体なんだったのか?話題になりました。他人事より自分はボロボロといった感じでどうも乗れない気分でした。これは練習不足に加え何か違和感があるんだ。自分がどこか間違ってしまっているような、よく考えてみようと思います。それでもナナにいると楽しいので何時も終電になってしまう。ofuuu。。。

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2009年7月10日 (金)

1本のギターから

以前「NaNaのギター」で壊されたギターの事を書いたのだが、この前の「ナナの日」で壊したのはイシドロ バルガスだと聞かされた。亡くなったパコさんからは地方に住んでいるスペイン人が来てメチャクチャに弾いて壊した。とは聞いていたんだ。それを聞いて怒る気にはなれず悲しくなった。ギターは単なる楽器とは思っていない自分にとって、あそこまで破壊するエネルギーって一体何なんだろうか?まるでゴリラが弾いたみたいな壊れ方だったのだ。それほどあのギターが憎かったのか?何で壊す様に弾いたんだろうか?。前にも書いたようにあのギターはペペ島田さんがパコさんのナナを引き継いだお祝いに贈ってくれたギターでタムラのスペシャルギターだったのだ。凄く鳴るギターで自分のコンデと交換して欲しかったし、買えるものなら買いたい程だったのだ。今のナナのギターは代わりに置いた同じタムラでエルフラに来ているホセというギタリストが自分の新しいギターと交換してくれと言ってるらしい。それより数段上のギターをああまで壊すのは一体何なんだ?ギターに恨みでもあるんかい?イシドロは前にも書いたけどフラメンコの怪物君です。一度しか見たことないけれど、比類ないフラメンコを持っている人です。けれども日本の山口の田舎に埋もれていて、きっと誰にもその余りある能力を発揮させる事ができずにいるんだと思う。この前エルフラでやったらしいけど、評判はあまりよく無かったみたいだ。イシドロを考えるときイグナシオを思い出す。二人は似ているような気がするのは、その風貌もだけど”纏った孤独感と悲しさ”がである。イグナシオは誰にも知られていないけど「Son de la Frontera」のギタリスト、パコ アンパロの兄だ。イグナシオは小さい時の病弱からナイーブな性格を持っているのだけど、弾き始めると豹変するギタリストで叔父のDieguitoに近いものを持っていると思う。しかしその能力は舞台の上ではあまり発揮できてない気がする。パコに比べてフラメンコとしては数段上でこれはパコも認めているのにだ。つまり二人ともその能力を発揮できる”場”が見つからず、朽ち果てていく運命なのかも知れない。見つからずと書いたけど、見つけようとしないのかも知れない。こういう良質のフラメンコが誰にも知られず埋もれてしまうのは、アンダルシアのいたる所で昔からあったに違い無い。悲しい滅びの性なのが本当のフラメンコの姿なのかもなぁ。
それとは別に自分が大好きだったギターがそういう人に壊されたのは何とも遣り切れない思いなのだ。

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2009年7月 8日 (水)

7月7日

7月7日はナナの日です。昔ナナさんはサングリアや料理を作って特別な日でした。今でも炎さんはこれを守っています。日本に帰って来たので顔を出しました。久しぶりのナナはやっぱりナナでした。いいんだねぇ。。スペインでもこういうバルは無いような気がするんだ。確かにフラメンコで遊んでる所はあるのかも知れないけどそれはそこの地域の人達のもので余所者が入るのは難しいような気がする。ナナは誰が行って弾いても歌っても誰も文句は言わないので、フラメンコが好きな人にはもってこいの場所だと思う。さて初め雰囲気がどうもフラメンコじゃないなぁと思っていたら、俵さんと小里綾さんが来たので能登さんもいてフラメンコが出来る感じになってきた。瀧本さんが来たのでこれでもう大丈夫。早速ソレアを弾かせてもらった。最初は良かったけど後ろの方で見失いそうになった。ブレリアは散々だった。テイエントは弾いた事ないので付いていくのがやっとの有様。それでも弾いていて楽しかった。スペインのおっちゃん達の伴奏はもっと大変なのです。俵さんとタキヤンのコンビはやっぱり違いますなぁ。そのギターに慣れているのと、知らないとでは大分違ってしまうもの。時間が経って俵さんが帰った後エンリケさんが入ってきてタキヤンとのコンビも良かった。エンリケさんのギターは久しぶりに聴いたけど、上手いと思ったがこの歌はこのファルセータと自然に出てくるみたいだった。ゆうさんがマラゲーニャを唄ってタキヤンが伴奏したりで楽しかった。能登さんは久しぶりに弾いたけどやっぱり難しいなぁ。聴いてて終わり頃に頭に浮かんだのは俵さんは別として”リンピア”だった。カンテもギターも整っていて綺麗なんだ。カンテは歌なんだ。当たり前のようだけど、このところ接していたのは、全然違う種類のものだった。突然ロケやアントニオやペペのカンテが浮かび上がってきて懐かしかった。奴らのカンテは歌じゃなかった、死に物狂いで搾り出す迸りのような物でこんなに綺麗に整っては居なかったし、圧力があったんだ。だから対抗するには集中と根性がいったんだ。俵さんにそこの所の良いアドバイスをもらえたのも良かったなぁ。終わりに少し荒っぽく弾いてみたけど、勿論上手く行くはずも無かった。俺を大嫌いな倶楽部の人達が何人もいたけど、その人達は上目使いで伺っているようで唄いもしないし陰湿な感じだった。楽しんでいないんだね。昔はそうじゃなかったのにな。いい事ばっかりじゃないって事。それでもやっぱりナナはいいなぁ。

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2009年7月 5日 (日)

再会

帰国しました。能登さんが集まりを開いてくれたので久しぶりに会いました。俵さん、Tさん谷口君、能登さんのお友達2人の全部で6人。イベリコのサルチンチョンとハモンセラーノを持っていきました。皆元気そうでこの人達といるとホットしてしまいます。フラメンコの話には尽きることがなく、いつもの様に楽しく大笑いしながらいると4ヶ月も日本に居なかったとは思えないくらいです。楽しみだったTさんのソレアも聴けました。今はあれでいいんだと思います。其処に行くまで俺は大分回り道したもの。谷口君も何時ものように歌っていたし良かった。能登さんのカンテを聴いていて、スペインでMari Penaを聴いた時比べてしまったのだけど、ヤッパリこのままでいい様な気がする。Juan del Gastorが言ってたように今スペインでもこういう風に歌えるのは居ないんだ。しかしながら,まだまだ破綻しかけている所や甘いところも見えるのでカンテの精度をあげていってもらいたいなぁ。俵さんがSiguiriya弾いた時能登さんが途中歌いだした、唄わずに居られないギターを弾いたからだ!これが俺の究極の目標なんだよ、”唄わずにはいられないギターを弾く”事が。やっぱり凄いねぇ俵さんは。能登さんは、どうせやるなら、スペインのコンクルソでスペイン人をぶっとばしてもらいたいなぁ。出来ると思うけどな。日本のしょうもないのに出て賞なんかもらっても良いことないし、まぁくれないだろうけどね。(笑い)
気心が知れた人達とのフラメンコは本当に楽しかったぁ!!皆有難うね。フラメンコっていいよなぁ。

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