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2009年2月27日 (金)

楽器街

午前中スペイン語を習いに行き、午後近所の歩いて5分位の所にある楽器店を回りました。今までこの道は何度も通ったけど、カルナバルの休暇中で店は閉まっていたのです。坂道の両側にずらりとおよそ50件位の楽器店があって御茶ノ水の楽器店より数倍の規模の楽器店街でした。大きいのから小さいお店まで様々で主にギター(VIOLAO)と打楽器でギターは殆どがエレキギターでアコーステックは5分の一もありません。打楽器はドラムセットからボンゴ系に至るまで豊富でした。サックスのような金管楽器は大きなお店か専門店です。アコーステックギターはブラジルの10弦ギターや普通のクラッシックですが、使う木が違うのか色が大分違っていました。何台か弾かせてもらったけど、奥行きが無いし、硬い感じでしたが、弾く人が弾くと柔らかい音が出るようです。勿論フラメンコには向きません。フラメンコはこれだけあるお店でたった1台だけマドリ製のがあったけど、これも安物ギターみたいでしっくり来ません。楽譜屋さんが1件ありはいったのですが、皆JazzやRock関係ばかりでプレスリーのものまであったのですが、肝心のボサノバやショーロのは一つもありません。これにはビックリ、後で聞いたらここはそうゆうのばかりの楽器店街なんだって。CD屋さんもRockやJazzが多く、しかもボサノバでも誰が良いのかも知らないので何も買わず今回は見るだけにした。近所なので何時でもまた行けるしね。サンパウロに来てまだ一度も生の音楽を聴いていないんだ。まぁ遊びで来ているわけでもないんだけど、せっかくブラジルまで来たのにこのまま何も聴かずに帰るような気もしている。ライブハウスの情報も楽器店で聞いても解らないし、まぁブエノスアイレスにいくのでその時音楽に浸れるだろうからいっか。ところでもう一つ楽器店街があり其処は民族音楽のみたいなのと土曜に街路でやっているらしいので見に行こうと思っています。楽しみだね。でも来週になるんだよなぁ。

Yuna_2 ウチの娘夫婦はカポエラをやっているので、ビリンバウやタンバリンやボンゴみたいな打楽器を演奏している。娘は現地の名の通った奏者に日本語を教える代わりに教わっていたらしく、かなり上手いらしい。聴いたことないけど今は無理だものな。お腹に赤ちゃんがいた時もやっていたのだが、そのせいなのか、ワンワン泣いていてもサンバを聴かせると泣き止むのが不思議で機嫌がよくなるんだ。まだ産まれて一週間なのにね。驚いてしまう。やっとオッパイ飲むのを覚えたくらいです。可愛いよー。「ワタクシ ヨッチュ デスノー」みたいなオシャマさんです。

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2009年2月26日 (木)

お天気

サンパウロは標高800m位の位置なので夏ですがそれほど暑くありません。初めの夜は寒くて起きた程でした。ちょっと蒸し暑くて実は大気汚染が酷く1週間たって喘息みたいな症状がでて咳が止まらなくなりました。蜂蜜とのど飴で何とか凌いでいます。そしてサンパウロは一日に四季があると言われるくらい天候の変化が激しいです。今日は婿さんの仕事場にお邪魔して社長のお父さんと二人で近所に生ビールを飲みにいきました。生ビールはショッピといって何処のバルにあるわけでもないのです。銀座の通りみたいなパウリスタ通りのお店でお喋りしました。大学教授をリタイヤされた方で同じリタイヤでも職人のリタイヤとは違うけど同じ人間同士なので忌憚無く色んな事を話して楽しかったです。社長さんはわずか5年くらいで表通りの5階を借り切るくらいまでにしたやり手の旅行業者さんでしたが、お話を聞いて自分がやってきた自営での商売と共通なことを感じて共感する事が多かったです。帰りがけにいきなり曇ってきたので早く地下鉄に乗って駅に着いたら雷雨が酷くて立ち往生しました。一向に止む気配もないので隙をみて濡れて帰ったけど大変だった。近所の楽器店も行きたいのだが一日一つの事をやるので今のところ一杯です。合い変わらず睡眠も不規則だしね。

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2009年2月24日 (火)

寝まくっています。

朝は2時頃から起きて子供を抱っこして娘を寝かせてその間にスペイン語を少しずつ勉強しています。今日は朝から一人でガルボンブエノのシティでお金をだしてからリベルタージュの東洋人街をぶらぶら歩いた。目的はあったのだが今はカルナバルの休暇中でお休みだった。やっているのはお土産屋さんで殆ど中国系で昔は日本人の街だったらしい。CDを1枚買ったのだがボサノバと聞いていたんだけど帰ったら有名な歌い手の歌謡曲だったみたい。まるで秋葉原のラジオデパートのようで意外とお店に入ると中が複雑になってるみたい。観光客も大勢いました。そこから歩いて旧市街のほうに行ってみたら大きな教会の広場のところで色々なパホーマンスをしていたのだけど、ホームレスも多く危険な所だそうだ。ここでカポエラのパホーマンスをしていた。婿さんは会社を辞めてまでブラジルに残ったのはカポエラをやりたかったのが大きく、自分もどんな物か興味があったので見ていたけど、動きが普通でなく本場は凄いなと思ってきいたら、それらはあんまりたいしたこと無いんだと。ビデオを見せてもらったら本当にもっと高度でちゃんとテーマがあってやっているみたいだ。暇だったら練習を見せてもらおうと思っているのだけど、場所がもっと危険地帯なんだそうだ。ブラジルは本当に危険らしくすぐ撃つんだって特に女性の警官には気をつけた方がいいらしい。結局地下鉄4つの間を歩いてくたびれて帰っただけで、それからずっと眠り続けてご飯食べては寝て今まで眠れなかったのを取り戻すように眠い。起きたのが午前1時でこれを書いてます。

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2009年2月23日 (月)

怒涛の一週間

月曜に日本を立って火曜日にブラジル サンパウロに着き翌日水曜にスペイン語を習いに行き、木曜には子供が産まれ金曜はまたスペイン語に行き土曜日は娘が退院、おまけにカルナバルも夜中に見るし、日曜は近所の露天市に買い物に行っただけ。時差ぼけは治らず新生児の子守を全員でやってる状態。ミルクを飲むのが下手でオッパイもあまり出ず、そりゃぁ赤ちゃんも泣くわなぁ。で寝られず20分間きに起きて子守。最近の新生児がオッパイを吸えないのには驚いてしまう。昔では考えられないことだったな。猫でも産まれたら直ぐ吸うのに何故こんなになってしまったんだろうか?吸い方も知らないほど本能が薄れているとしか思えない。新米親子が一生懸命やってるので、黙って見てるしかないのだが、何だか母娘共々大変そうで可哀想になる。色々ありすぎて、ボケも治らず、凄い一週間だった。少し落ち着けると良いけどなぁ。Ofuuuu..

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2009年2月21日 (土)

サンパウロのカルナバル

  リオのCarnabar1_2カーニバルは世界一の規模で観光客向け要素が大きいそうです。サンパウロのカルナバルは地元の人達だけの為のものらしいのですが、この時期それを避けて郊外に出てしまう人も多いらしく交通渋滞が激しいのです。入場券を4人分手に入れてくれたのですが出産の為夫婦だけで出かけることにした。会場まで車で送ってくれたのだが、近くまでしか行けなく大分心配してくれたのだけど警察は一杯いるし俺達は平気だった。10時開始と聞いていたので混雑も考え8時半には着いたけどまだそれほど人は入ってなかった。会場は阿波踊りの会場を大規模にした様で何万人も入れるみたい。9時頃前座のチームが通ったので直ぐ始まると思ったのだがそれから一向に始まる気配がないんだ。観客は満席近くなっていて。ビール飲んだりのりのりで、前の席の仮装した観客にTVのインタビューをしていて後それがでTVで放映された。、しかし疲れていたので段々不機嫌になってしまった。11時半にやっと最初のチームがスタート、それを見たら度肝を抜かれてしまった。想像をはるかに超えていて観客の乗りも凄くて唄うやら踊るやら発炎筒を燃やすし喧嘩するやらで派手だねぇ。娘の旦那に注意されたのにもかかわらず一眼レフとビデオを持っていった(狙われやすいらしい)ので写真を撮りまくったのだけど、カミさんは心配して不機嫌になったのと疲れが限界に近ずいていたんだ。1チームが通りすぎるのが約1時間かかり2000人くらい出ているそうです。山車が凄くてこれを見るとデズニーランドなんて玩具みたいです。2チーム見たところで残念ながら体力が持たない(以前時差ボケ)で帰ったのだが、話しかけるのも多いのだけど殆ど物売りでこっちの人は黒くてデカイのだ。2m100kg近いのが一杯いるし、でも警察官も一杯いるのでタクシー乗り場を教わって早めに帰った。帰宅したのはそれでも朝の3時過ぎだった。

娘は去年3位になったチームに出場していたみたいで、その時の映像を見せてもらったが頭にお茶碗載せて飛び回っていました。疲れてなければもう1チーム見たかった。

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2009年2月20日 (金)

誕生!!

時差ボケが全然治らず朝方4時に寝たと思ったら5時頃娘に起こされた。どうやら破水したらしい。(来たか!)と思いながら右往左往。娘は落ち着いていてサンドイッチなんぞを10個ほど作っている。とりあえずはカメラとビデオをバックにぶち込んで地下の駐車場に行ったら何と他の車が3重に重なって駐車していて、いちいちそれをどかさにゃなら無かった。ここではそれが普通らしくギヤはニュートラルにしてブレーキなんぞ掛けてないらしく手で押してどかすんだ。驚いたね。車に乗り込み病院へ。受付で少し揉めたけど娘と旦那は処置室に入って行って我々は廊下で待っていた。いやぁそれからが長いのなんのって、周りは現地の人だけだし、言葉も解らないのでひたすら待つ他なかったのだ。一度特別に少しの間入れてもらったときはまだまだという感じ。可哀想で見てられないので再び廊下に。娘も旦那もポルトガル語の日上会話には困らないみたいで、受け答えや種類の書き込みなどはスムーズだったみたいだった。待たされること8時間やっと看護婦さんが顔をのぞかせ手招きしているので行ってみると黒々とした髪の毛の女の子が目をパッチリさせて保育器の中にいた。「いやぁ可愛いなぁ!!!」夢中でビデオを引っ張り出して写したけど、後で聞いたら特別に許されたんだと。看護婦さんたちも好意的でよかった。暫くしてから個室に荷物を持って行った。ブラジルでは翌日退院させるのも多く娘は2泊で返されるのだ。直ぐ前が新生児室で見ていてあきないね。写真を撮っていたらフラッシュは駄目(当たり前)であまり撮るなと言われてしまったけど、オイラは日本人だからなぁ。他の誰もそんな事している人はいなかったな。子供達は初め裸だけど直ぐに持っていった幼児服を着せられそれぞれ可愛いんだ。うちの子は娘が自分で刺繍したおくるみとヘヤバンドを着けて編んだ靴下まで履かせてもらって特に可愛かった。ところが日本のような合わせでは駄目で足までくるむ物でなければならないらしく、ズボンを持ってくるように言われた。並んでいる子供達はスヤスヤ眠っているのにうちの子だけが活発に動き回って全然寝ないのだ、子供達の中でも一番大きかった。みんな純粋の日本人は珍しいらしく警備員やスタッフも良く覗いていってくれているんだ。病室に娘が戻ってからもそれまでに持って行ったパンを分け合った食べただけで、あれが無かったらどうなっていたか?恐ろしいことだ。夜8時過ぎに娘の友達が2組お見舞いに来てくれて、色々持ってきてくれてよい環境とお友達ができていて何となく安心だった。やっと帰宅してアパートの1階のイタリヤレストランに行ったのは夜11時近くやっとまともな食事にありつけた。ビールで3人でお祝いし何だかテンションがあがっているのでビノに移りここのパスタは中々美味しかった。しかし疲れたぁ!!旦那はそれから病院に戻っていったけど、気が付かないほどバッタリ寝込んだ。でもボケは治らず2時間で目がさめてしまった。
Yuna記念すべき長い長い一日だったのだ。

名前:Yuna(結愛) Michelli 2009年2月19日13時産まれ。体重2940g。
奇しくも娘と同じ誕生日なのだ。
4人目のめんこい孫です。無事産まれたのと、これで娘達が皆子供を持って自分のファミリアが一人増えて嬉しいかぎりです。皆が健康で幸せに育ってくれることを望んでやみません。

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2009年2月19日 (木)

時差ボケ

ブラジルと日本は12時間の時差があり、何時もの事ながら時差ボケにかかっていて眠れません。前と違って移動が無いので体は楽です。朝食はパンとフルーツにヨーグルト。スイカとマンゴーでした。近所のスーパーを回って品物と何処で何を買うかを教わって、出産後は自分たちが買い物をしなければならないからです。買い物の後地下鉄で数駅先まで行きレストランテで食べ放題(バイキング)を取ることにした。ブラジルのお米料理や豆料理があって飲み物デザートもあり16レアル(640円)くらいで安いし美味しくお客もビジネスマンが多かった。東洋系から現地の人達まで様々でホワイトカラーの人達でした。その後近くの日本フンダシオンの図書館で時間を潰したのだが入るのにパスポートの提示をしなければならないビルの2階にあり其処にはポルトガル語の本や日本の数ヶ月前の週刊誌まであり、年配の女性が多かった気がする。観光客は来ない場所ですな。そこから近くのスペイン語を教えてくれる人の高級マンションに行ったら入り口でマリア先生が待っていてくれたのだ。娘が予約してくれていて先生はメキシコの人で旦那さんが日本人で日本の静岡に数年住んでいて日本語はペラペラでした。しかし週2回で数回しか受けられないし出産が重なるとそれも無理なので具体的なシチュエーションで教えてもらうように頼みました。けれど今まで一度もスペイン語を習ったことが無いので、まず聞き取りが難しく単語力もないので苦戦です。おまけに動詞の活用などさっぱり解らないながらも辛抱強く教えてくれて良い人でした。娘がボランティアで知り合ったらしく、娘のほうがポルトガル語ながら内容が良く解っていたみたいです。あまり詰め込んでも駄目なので適当に切り上げてもらいました。レッスン料も娘が払ってくれてこれじゃ何のために来たかも解らないです。帰宅後は一休みの後カミさんがソーメン(現地産)と野菜の天婦羅を揚げたのだが二度揚げしないと硬かったけど中々美味しかった。飲みに出ようと思ったのだが疲れて出かけなかった。相変わらず短時間しか眠れないのには参っているんだ。無理に寝ないでスペイン語の勉強したりビールをのんだりカミさんとしているんだ。まだ産まれそうにないなぁ。

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2009年2月18日 (水)

サンパウロ 到着

成田を16日の17時30発バンクーバー、トロントを経由しブラジルのサンパウロに着いたのは17日12時50分。途中何の話も無くというか降りたところでビールを飲みながらってのは夫婦の定番なのだ。娘の旦那が迎えに来てくれていた車に荷物を積み込み住処に。サンパウロは車で渋滞だった。医者に行ってた娘は臨月のおなかでパンパン。でも元気で一安心。一休みの後モラートコエリョ通りに食事に行った。通りの両側は洒落たレストランが並び人出も平日にしてはあるらしかった。ピカーニャという焼肉で美味しかった。第一日目はこれで終わり。PCをつなげてもらってこれを書いてます。ブラジルは何とかネット環境はあります。ちょっ疲れたのでここまで。周りが身内なのでブラジルにいる実感が沸きません。遠くに来た気がしないのが不思議。

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2009年2月15日 (日)

Hasta Luego

いよいよ明日出発です。これが行く前の最後のブログです。今までフラメンコが好きで30年もやってきて、例え1年でも住むことができたら、向こうで野垂れ死んでもいいくらいの気持ちの時もありました。けれどもその時は多分実現できるとは思ってもいなかった気がします。今その夢がようやく適おうとしている今不思議な気分です。特にこの2,3年の自分の周りに不思議とこの為に誰かが準備してくれているみたいでした。予定が1年延びたのもこの時期がベストのタイミングでした。人との繋がりでいっても俵さんをはじめ能登さんや西出さん青木さんとの再会など、驚くばかりです。自分のフラメンコはゴールデン街のナナさんが育ててくれたのも、その頃の友達も皆ここに集約されているのです。最近まで行く事だけが目的だったのだけど、今はギターがもう少し弾けるようになりたい。とういう欲がでてきた。それは上手く弾けなくていいから、フラメンコ匂いのするギターが弾けるようになりたい。それはこのところ能登さんや小里さん恵理ちゃんのカンテを聴いて俵さんの伴奏を身近に聴かせてもらっていたのが蓄積されて表に出てきたからだと思う。本当に俵さんとめぐり合った事はありがたいことであった。
漸く本来の自分がどんな奴なのか、柵が取れて向こうにいったら解るのかもしれない。それも自分に楽しみだ。どんなになるのか?ならないのか?まぁ気楽にいこうぜ、ってとこです。

んじゃ、長々と述べちまったけど、これまでお付き合いしてくださった、お姉ぇさん、お兄いさん方、ご厄介になりやした。縁と命があったらまたお会いいたしやしょう、そん時ゃまた遊んでくださいやし、 Hasta Luego でやんす。ごめんなすって。。

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2009年2月14日 (土)

聞いた話

コンチャさんのクルシージョで井上恵理さんのカンティーニャにコンチャさんが大喜びして踊りまくった。と俵さんに聞いた。その場面が目に浮かぶようでした。コンチャさんはレブリーハなので彼女のカンテの意味が直ぐに感じられたんだと思う。その後カラオケ屋でフィエスタになり能登さんのソレアにもビックリしてたらしい。コンチャさんの凄いのは俵さんに「よく育てて大変だったろう」と言われたことでした。物事の本質というか出所を本能的に察知することが出来るのは流石に一流のアルテスタだと思う。日本の事情にも詳しくないのにである。こういうアルテが日本にはまだ育っていないと思っていたはずで、本当にビックリしてたみたいだった。勿論本人達が一番頑張ってここまでに至ったのは言うまでもないことです。中西君も自分達がやってきた事が間違っていなかったのを確認できて大変嬉しかっただろうし、自信にもなって行くはずだ。ここで考えたいのは周りの人達のことだがコンチャさんが良いと言ったからあの人のカンテは良いんだというレッテルを貼って聴かないようにして欲しい。良いカンテだから褒めたのであってそれぞれ聴く人そのものの感性で聴いて欲しい。レッテルで聴いている人が案外多いんだ。やれタレガだペイネスだマイレーナだと名前で聴いているのが多いし、確かに良いけれど、自分のことで考えればペイオネスの良さは解らないのです。その時々の自分の感性で聴いてほしい。名前で解った振りをしないで聴こうよ。一旦名前が売れるとその名前に胡坐を掻いて肝心のカンテがダメになっているのにも気が付かず周りも誉めそやすなんてのはもう止めたほうが良いです。恵理さんや能登さん彩さんはやっぱりその時良かったんだと思う。そこに居た人達は羨ましいなぁ。運のいい人達なんだよね。いつも行っててもその場にいなかっりしたのは運を持ってないんだね。「選ばれた人達」なんだと思うよ。残念Ofuuu...(そうなると思っていたんだよー言い訳だけど)
ようやく今までとは違うタイプのカンテが出てきたのは間違いないと思う。面白くなってきましたなぁ。帰ったらどんな風になってんでしょうか?楽しみです。

追記:コメント欄が何時の間にか消えてました。修正しました.この前はメールが送信できなかったり、どうなってんだろ?。

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2009年2月12日 (木)

お別れ会

お別れ会をファミリーが開いてくれたので出かけました。「草門去来荘」という隣街に5年くらい前にできた懐石料理のお店です。古材を上手く使ったデザインが中々の内装で、こんな店が近くにあるのは知らなかった。子供や赤ちゃんがいるのであんまり話も出来なかったけど、楽しかった。食事もまずまずで、日本酒が美味かった。「三十人何とか」いう酒で冷でした。前々から夢で自分の勝手でスペインに行ってしまうので、子供達には迷惑掛けてしまうけど、勘弁してもらうしかないな。早く終わったので帰ってすぐ寝ようと思ったら。

能登さんから恵理さんがコンチャさんの教室で凄いカンティーニャを歌ってコンチャさんは大喜びして、生徒は泣いてしまった人もいたと興奮した電話があった。こんな能登さんも珍しい。「やられた!悔しい」と嬉しそうに言ってた。恵理さんとも話したけど、解る人にはわかるんだよ。変な日本人のおじさん達(自分も含めて)が、あぁでも無いと言ったり、新人賞くれたり、くれなかったりで一喜一憂するより、コンチャさんの一言のほうが余程価値があるんだ。日本人でも漸く向こうの人にちゃんと認められる人が出てきて嬉しいなぁ。能登さんや恵理ちゃん小里さん達が良いアルテスタに育ち始めているのは俵さんや中西君の力が大きく働いているんだと思う。カンテは方向性と良いサポートをしてくれている人がいないと駄目かも。見たかったなぁ。

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2009年2月11日 (水)

コンチャさん

コンチャ バルガスさんがクルシージョを開いたのでまた俵さんにお願いして横に居させてもらいに行きました。コンチャさんて来日すると一目でも逢いたくなる人なんです。覚えてくれていて「オラ ロコ」と言ってくれました。そのクルシージョはセビジャーナスとソレアを見学させてもらいました。セビジャーナスは今まで見たことの無いもので、正しくヒタナのバイレだった。並み居るプロの踊り手がコンチャさんのちょっとした動きが採れないのだ。そのちょっとした動きの一つでもオレ!とハレオが自然に出てしまう。コンチャさんが「セビジャーナスもソレアも同じフラメンコなんです」と言ってソレアの振りとセビジャーナスの振りを比較して見せたけど、本当にそうなんだ。セビジャーナスが初心者の踊りと言っているのは嘘っぱちだなぁ。そういう人はコンチャさんのクルシージョを取ってみると良いのだ。小里綾さんが歌ったけど良かった。
ソレアはコンチャさんが歌った。これが迫力あって凄いんだね。そして中ほどでコンチャさんが自分のフラメンコの生い立ちを語ったんだけど、かなりマニアックな話でタレガとかアンソニーニとかマイレーナとかカンテの話がでてきて、それらを知る努力を踊り手はしなさいと言ってたみたいだ。聞いていて「それも一つの生き方」の世界でコンチャさんが生きて来たのが良くわかる気がした。そういうことが知識としてでも頭になかったり、その感性を持っていないとコンチャさんの教えていることは理解できないんだろうなぁ。コンチャさんて熱い人なんだ。そしてフラメンコを何より愛してるんだね。
帰りにナナに寄ってミゲリートさんとローレの伴奏をしたけど楽しかった。ミゲさんのシギリジャはカンテに揺れが感じられていいんだよ。ローレのソレアも後半にそういうのがあった。もう暫くは行けないけど健康で楽しく炎さんもすごしてくださいな。

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2009年2月10日 (火)

準備

もう出発まで一週間をきりました。今の段階は持っていく荷物は大体そろったけど結構重いものになってしまった。それにギターが加わるので大変だ。家の管理を娘に任せるのでその引継ぎやらなにやらで、バタバタしているところです。ビザは間に合わなかったようだ。出たら一時帰国しようと思う。それより、仕事の整理もつけて、行くまで一週間を切った今その間の待つことに変な焦燥感や本当に行けるんだろうか?という不安感で胃が痛くなる時がある。不思議と向こうでの生活には不安は持たないのだけれど、出発できるのか?何か起きるのでは?とか思ってしまうのです。結構気が弱いんだね俺って。今漸く夢がかないかけているこの時に嬉しさよりも戸惑いと不安に駆られるのは何なんだろう?臆病なのかも知れないね。かといって留まるつもりは毛頭ないんだけど。矛盾してるよなぁ我ながら。。

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2009年2月 7日 (土)

ソレア

多分スペイン行き前の最後になるかもしれないので能登さんとナナに行った。何と瀧本さんとアルチューロが座っていたのでビックリ。瀧本さんには会いたかったので、これまでのお礼を言えて良かった。佐藤さんがブレリアとファンダンゴを弾き瀧本さんが歌った。やっぱりナナはいいなぁ。続いてソレア、もう歌い放し常態でギターは本当に上手いし、いいんだよ。けれど聴いていて漠然と自分が向こうでやりたい事が見えてきた気がしたんだ。上手く弾けなくてもいいから向こうで匂いのつくギターを身につけたいという方向性が見えてきた。上手いギターは一杯いるけど、そういうのとは違うのを見つけたいな。タキヤンのシギリジャを弾いて最後のFが解らなく弾けなかったけど、それは仕方なかった。
俺が弾いて能登さんがソレアを歌ってくれた。それを聴いたらもう今夜はこれ以上フラメンコを聴きたくなかった。こんな事は初めてだ。このソレアは自分の「宝」です。”カンテは音楽じゃない、心なんだ。”
早々とナナを出てから別の店で色んな事を話した。能登さんにはかなりきつい事も言ったけど、いつかスペイン人を驚かせてやりたいのが目的だからね。俵さんといいよい人にめぐり合ったな。今度はスペインだ。いつか向こうで皆で遊べるといいなぁ。

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2009年2月 2日 (月)

書評というか感想をお願いします。 

ポーレンの2冊の著書を購入された方にお願いですが、どんな感想を持たれたでしょうか?どんな事でも良いのでコメントしてくれると嬉しいです。

「フラメンコの芸術」についての詳しい解説がこいで みのるさんという方のブログにのっています。http://sisyphe.blog90.fc2.com/blog-entry-142.html
是非ご覧ください。自分には書けない文章力で素晴らしいです。とくに
「人知れず粋な音を出している表現者がアンダルシアの何処かにまだ潜んでいて欲しいと思う。そしていつの日かそんな人達と時間を共有できれば本望である」に痺れました。正しく自分が今まで思い続けて来たことだったからです。そんな人達と一緒に遊べたらいいなぁと思い、その為に俵さん達ににフラメンコを教えてもらってきたんですから。今度スペインに行ったらこいでさんの言うようなことが実現できたら、本当に本望です。

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2009年2月 1日 (日)

宴の後

フィエスタの後は当然このままで終わるはずも無く、殆どのメンバーがナナに流れたんだ。聞いたら前日も俵さん達は朝までナナで遊んだらしい。ナナは狭いのでフラメンコの密度も違っている気がする。この頃は大分酔っ払っていたので、記憶も定かではないけど、俵さんが水を得た魚のように凄い演奏を繰り広げた。グラナイーナも良かった。モロンのブレリアは俵さんの個性が本当に出てきた。恵理さんのシギリジャは最後まで弾けて、歌っていて気持ち良かったと言ってくれたので伴奏冥利に尽きて嬉しかった。この夜は不思議とシギリジャはカンテがよく見えた気がするんだ。能登さんも弾けたし、小里さんのソレアも弾けたのでもう満足でした。とうとうカウンターで寝てしまい、すぐ横でガンガン歌ってる谷口君の声が聞こえてたけど子守唄になってたみたい。若い衆の独壇場みたいだったな。朝の始発が出るところでお開きになって帰ってきた。これで心おきなくスペインに行けるよ。もう日本では思い残すこと無くなった。(向こうでどれだけ遊べることが出来るのかわからないけど、ぎりぎりでやっと間に合った気がした。全部俵さんや能登さん瀧本さんのお陰です。ありがとう。言われたことを忘れないように頑張りたいです)俺ってフラメンコでは何時も良い思いをしてるんだ。ナナさんがよく俺に言ってた「あんた程ついてる奴ぁいないよ」は本当だよ。

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マニアックなフィエスタ

フィエスタの人数は前回より少なかったのですが、個性的な人達が集まりました。まずは食事をしてまったりと始まりました。能登さんが今回は本の発刊と同時に自分の出征祝い(壮行会)を兼ねてると言ってくれてビックリしてしまった。(ちょっと感動)柳さんと俵さんが本についての説明があって、自分も少し経緯を話ました。その前に3人で本の中身について熱く語り合ってしまった。まずは関西から来た若い学生のガスパリータさんのソレアから始まった。京都で伴奏したのだけどこのために随分練習してきたみたいで、声も重いし中々のカンテだった。彼とのティエントは名の通りガスパール節で、俵さんと大喜びしてしまったけど、若いのにこんなカンテを自分から採る人なんて珍しいよ。同じガスパールの”Tu”を能登さんに歌ってもらって弾いたけど今一上手く弾けなかった。それからみんなが歌い井上恵理さんと中西君のカンテ、小里さんのソレアも弾かせてもらった。ブレリアはさんじゃないと弾けないんだ。井山直子さんがカンテで少し踊りその後コンチャ直伝?のレブリハのブレリアを唄ったのにはビックリ!のりといいい、カンテの人達に負けない良いものでした。こうとき誰がどんなものを飛び出さしてくるか解らないので楽しみなんだ。クマさんのマラゲーニャに又もや便乗して唄ってしまった。小林結花さんも歌ったし、小林亮君と小里さんの組み合わせが良くて小林君のギターが凄くよかったんだ。中西君と同世代?で若手のギタリスト(カンテも同じ)が一緒に遊ぶということは、やはりお互いに意識しざるをえないけど、その刺激が良い方向に向かって行くのはいいことなんだと思う。始まると一気に空気が熱くなって、それぞれが同じような志向を持っているので他の人が唄っているときは余所見しないでその人に集中して聴いてた。。皆ちゃんとフラメンコを味わっていたんだ。谷口君のブレリアは結花さんが上手く終わらせてくれたので、流石結花さん!でした。彼はモンストロ谷口と命名されました。プロもアマチュアもそれぞれが自分を主張していて、個性的で粒ぞろいの人達でした。俵さんいわく”変な人達”が集まったのです。こういうフィエスタは珍しいそうで、普通こういう風にはならないらしいんだけど不思議だね。俺達が遊ぶと気が付くといつもこんな風になってるので他がどんなやり方なのか想像も出来ない。順番で唄ったりしているのは知ってるけどね。そういうのじゃ無いからね。あっという間に時間がきて能登さんのカンテで良い締めくくりでした。柳さんが持ってきた本は完売しました。青木さん本の中身のモロンのフィスタみたいないぃいフィエスタでしたよ。待った甲斐がありましたね。

,追記:実はこのフィエスタにポーレンの奥さんのルイサさんを招待したかったのですが、あまりに急だったのと体調が優れない為来日できませんでした。ルイサさんからのメッセージです。

日本のアフィシオナードたちのご好意にはとても感謝する、ポーレンも喜ぶだろう、日本は前からぜひ一度行ってみたかったので、機会があればぜひうかがいたい 皆さんにはくれぐれもよろしくお伝えいただきご好意にお礼を申しあげてほしい、

との事でした

このメンバーでカンテコンサートしたらギャラも大きいんだと思う?(俺はその辺はわからないけど)しかしこのフィエスタはアルテスタ達も皆自分でお金を払って遊んでいます。ある若手のカンテを誘ったら(誘う人はかなり”セレクト”しています。伸びていって欲しい才能と”心”を持っていると思うからです)会費を払うのだと聞いたとたん電話が切れたそうです。他人の金で遊ぼうなんてそんな”みみっちい了見”じゃフラメンコのカンテなんぞ歌えやしないぜ。むしろギャラでも貰えるとでも思ったのかね?たかが新人賞貰ってプロとして唄って居る位でスターにでもなっているつもりか知らんけど(日本のカンテでそんな奴いるかい)、自分の足で遊べないような奴に良いアルテスタやアフシオナードにはなれんわな。勘違いしすぎだよ。今度の本を読むとそこの所がよく理解できるかもね。まっこういう奴は読んでも解らんだろうけどな。

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